有限会社めがね部の成長期時代

めがね部の歴史をhttps://web.archive.org/ で掘ってみた。

一番最初のセッションバンド時代からのスクショがあり、そこからファンの人にメアドを無料で渡して、からの一般の人に提供するという期待値と、自分の経験の上がる速度がちょうどあった何年間だった。

サーバー事業自体は、全くの赤字だったけど、そこから培ったサーバーの運営、復旧に対する折れない心、などは、ユーザーに早くサーバー復活しろと、せがまれつつ、当時は、あほだからRAIDも知らずに、からのソフトウェアRAIDを知って、最初は3日かかってた復旧も1日ぐらいでできるようになって。あの頃は今のスタジオっぽい部屋ではなく自作組み立てサーバーが部屋に20台ぐらいあって、その中で寝てた。

最初のサーバーは確かgatewayの当時100万ぐらいで買ったけど、時間が経ってスペック的にしんどくなったのをDNSにしてた。他の自作がHDが壊れたりするなか、意外にもずっと元気だったな。

一番最初にドメイン取って、DNSの設定がうまくいかずにメーリングリストの人に、meganebu.com じゃなくて、maganebu.comというのがwhoisにあると突っ込んでもらったり。

24歳の頃は、西荻に住んでて、HTMLとかめっちゃ勉強してて、https://www.tohoho-web.com/html/ の人に興奮しながら感謝のメールを送ったら返事が来た。

あったことはないけど、いろんな先駆者から受けた恩恵を、学生向けの無料サーバーとして、社会貢献してきたのかなと。

1万分の1か、1000分の1の確率ぐらいで、何年かに当時のサーバーを使っていてくれてた人に会う。

blockchain x musicと、音楽ありきの出会い系を作って、また何か貢献できるシステムを運営しようかな。うむ。

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