twitterを見ていて、どんどん気分が暗くなるのは、なぜ?/人は選んでこなかったものを否定しなければならないから

twitterでよく、気に入らないtweetを見て、言葉では言い表せれないけど、気持ちが、ぐにっとなる時があります。
自分の好きな作品や、昔ドハマリしたゲーム、それを悪く言われていた時など、自分に直接悪口を言われてるわけではないのですが、それに言い返したいようなそんな気持ちになります。
そんな風に、twitterと見てると、どんどん自分が否定されているようで、気分が落ち込んでいきます。

頭ごなしに、個人の趣味を否定される時なども、そんな複雑な気持ちになります。
テレビを見ていて、オタクが出ていると、さとさんみたいだね。と、実際、オタクは否定できないのですが、悪気はなくても言われたりすると、うーん。となります。
メディアのために抽象化されたオタクと一緒にしてほしくない気持ちや、ジャンルが全然違ったり、知識がない癖にそういうことよく言えるな。と思います。
むしろ、知識がないゆえにそういうことが言えるので、知らないことに対して、笑うことを、自分の無知アピールをしている人だ。と、僕はいつも心で笑い返しています。

人は、自分が選んでこれなかったものに対して、人格形成に強く影響されると思います。
マンガ、アニメを見せてもらえなかった人は、出来なかったことを強く肯定する為に、マンガ、アニメ、オタクと言う文字列を見ると、頭ごなしで否定しないといけないのです。なぜかと言うと、
「自分の今、生きている道が正しいと感じるためには、その部分は間違いだ。と考えるためです。」
これは、マンガアニメに限った話しではなく、人によってその否定する部分は違ってきます。
テレビであったり、車であったり、人の生き方、学歴であったり、生まれの良さであったり。色々です。
ポイントは、「自分が選んでこれなかったこと」が多いことです。
親や先生に、マンガアニメゲームは悪だ。学歴がないとダメだ。と、自分の好き嫌いで選ばなかった場合、強く出ると思います。
自分で選んだ方が、強く出そうなものなのですが、自分で選んだ場合は、納得して選んでいるので、他人に対して劣等感を感じにくいんです。
自分で選べなかったからこそ、そちらのほうが良い結果になると劣等が生まれます。自分が選択していたら、自分が選んだことだから、がんばろう。がんばるしかない。となるのです。

僕は、この考えを持った時に、かなりスッキリした気持ちになりました。
前挙した、twitterの気に入らないtweetや、頭ごなしの否定などに、嫌悪感を抱いていたのですが、それは、自分を否定されているような気持ちになるからなのです。
実際、その人がその発言をしなくてはいけなかったは、一定の誰かをディスりたい為ではなく、その人には選べなかったから、そういう発言になるのだと。自分が正しいと思うために、そういう発言になるのだと。
そのtweetを見た僕に向けて言っていたことではなく、その人の生きてきた環境が、原因だったのです。

そう考えた時に、人が発している否定的な言葉に理由があると思い、自分のせいでないと考えると、それに関してあまり嫌な気持ちにならなくなりました。
あぁ、そういう風に生きてきた人なんだな。と言う割り切りできる理解ができたのです。

もし、マンガアニメは悪だ。というようなtweetが流れてきたとしても、それはひとつの意見として、考えればいいのです。
それを、なぜ理解できないの?。と強要するのが、おかしいことなのです。
意見は、別々であって、それはすべて理解できるものではない。のだと思います。
学校の統一された教育の中では、常識がひとつ。向かっている方向はひとつであるべき。なことが多いです。
なので、人の意見はすべて理解できると言うような考えの人が多いと思います。

人とは意見が違うのが当たり前で、それが理解できないのも当たり前だと考えると、色々な気持ちの悪さや、イライラから少し開放されると思います。


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