僕が人の幸せを願わない理由/願うより掴み取る

今日、質問箱を久々にいただきました。
ありがとうございます。

ちょっと、僕の返答が偏屈すぎたので、追記のように書きます。


幸せを願う。ってどういうことなんでしょうか。と考えると、誰かを想うことだと感じるんです。
中学時代に仲のよかった友人、今は何をしているのかな。あの時は、二人共オタクで周りからの印象はよくなかったけど、今は幸せになってるといいな。
って感じですかね。僕にそんな友人はいませんけど。
もしその友人がいたとしても、友人は僕の願いなど知らずに、自分の幸せのために日々精進していると思います。
そこなんですよね。
人って、誰かに応援してもらったり、気持ちの共有をすれば、パワーになりますが願うだけではダメなんです。
僕は、誰かを想うなら、多分メールなり、行動なりでやり取りすると思います。

だったら、願うぐらいであれば、自分の幸せを共有したり、愛を込めて、幸せにしたいです。
結局、言いたかったことは何かと言うと、願うぐらいなら、掴み取れ。ってことです。
願うぐらい想うのであれば、多分並々ならぬ気持ちだと思います。
願うぐらいなら、あなたにその人を幸せにできると思います。
誰かの幸せを願うと言うのは、結局、自分の幸せを願っているのです。

僕は、人生であった人。みんな幸せになればいいと思っています。結構、本気で。
そのほうが絶対、いいじゃないですか。いろいろな問題を抜きにして、全人類が幸せであることっていいことです。
でも、僕が人生において、幸せにできる人って数人程度なんですよね。ほとんどの人には影響を与えれません。
なので、疎遠になった人に対しては、願いを込めていることより、尊敬を込めています。
その人は、僕が願わなくても幸せになれる。不幸にならないように、自分でしっかり生きていける。と。
それは、願うより、人に、期待をかけずに想うことだと思います。

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