見出し画像

さらに、

次のような天風先生の文章を読んで

「病も運命難も同じだ!」と確信を得た。


「例えば、
 事業に失敗した時でも考えなさい。

 『俺は運が悪いなあ』と思わないで、


 『ああ、何か俺が事業をする場合における、

  心構えなり、方法なりに、

  大きな間違いがあったからこの結果が来たことを、

  天が教えてくれているんだろうなあ・・・』と。」



「どこかに俺の筋道の違っている処があるんだなあ。


 ああ有難いことだ。

 このままつぶれて了っても仕方がないのに、


 兎に角、生かしといて下されば、

 又盛り返す事もあるわい・・・」と。


わたしは心から

「ほんまやなあ。この心がけが大事なんやなあ」

「感謝というのは、このように持ったらいいのか!」

「感謝するというのは、こう考えることなんや!」

と、心の底から思った。


そして


「ア~、俺がやっぱり間違っていたなあ。

 貧乏になったのも、借金をいっぱい作ったのも

 全部、自分のせいや。

 自分の責任や。


 自分が甘かったんや。

 何より自分自身に。


 お金に疎かった。

 それはお金を大事にしてなかったからや。

 お金にルーズやったからや。

 
 けっきょく

 自分の人生にルーズやったんや!


 ええかげんな人間やった。

 ええかげんな今までの人生やった。


 もう、こんなことしてたら

 あかん!」


「この事に気がつかせてくださったのは

 本当にありがたいなあ。

 俺に、【もう目を覚ませ!】と

 天が、教えてくださっているんや!」


と心の底から思った。


それから私は変わった。


私は、どのようにしたか?


先ず私は、一番大事なのは

家族だと思った。


今まで私は、

苦労して育ててくれた母に対して

多少の感謝の気持ちを持ちこそすれ、

【きちんと伝えていなかったな】と

思った。


男とし、また、息子としての対面もあり、

気恥ずかしさもあった。


しかし

いつ自分は死ぬかも知れない身だ。


生きてる間しか【感謝の言葉】は伝えられない。


いまから約20年ほど前、母が生きていたときに
思い切って言ってみた。


照れながら。


だいぶん以前の夕食の時だ。


「お母さん。

 今まで、いろいろ迷惑や苦労をかけたな。

 でも、少しずつ生活もラクになるように

 がんばるからな。

 お母さん

 生んでくれてありがとう」


と小さな声で言った。



母は、そんなことを息子が言うなんて

思ってもいなかったみたいで少し驚いた顔をしていたが、

嬉しそうだった。


その後も

数日、私が感謝の言葉を、

折に触れ使うようになってきた。


たとえば

「今日も美味しい料理を

 作ってくれて

 ありがとう」


とか


「こんなことができるのも、

 お母さんのおかげや。

 ありがとうな」


すると


母も、少しずつでは、あったが、

何かにつけ

「これも、かっちゃんの、おかげや」

「ありがとう」

と、感謝のことばを

返してくれるようになった。


当時、常に我が家は

【感謝の言葉が飛び交っていた】


「何ともホンワカと居心地の良い状態」

に、なっていた。


そして


家庭の雰囲気が良いと

仕事にも力を入れやすいものだ。


これは、

感謝の言葉を頻繁に使うように

なってから現在まで、実感している。


次に・・・

次回に続く




※【感謝と歓喜】その1はコチラ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?