推すということ

BMKの北川せつらが脱退、退所を発表した
ライブを見たときにとても目を引くメンバーだった
推しではないけれど、衝撃だったし動揺した
そして、「推す」という事を考えさせられた

彼はまだ21歳だ
将来の選択肢は幾らでもある
でも、ファンは今の彼である事を望んでしまう
今のBMKの北川せつらが好きだから
BMKの北川せつらを求めているから

しかし、それが彼の人生にとってプラスであるかは彼にしかわからない
彼の人生は彼だけのものであり、私たちは観客でしかない
その距離がどれだけ近くても、人生はその人だけのものでありその他はすべて観客にしかなれない
これはタレントも一般人も関係ない
すべての人生の主役はひとりだけなのだ

「推す」という事は、他人の人生にフリーライドしているだけなのかもしれないと思った
その人の夢、希望を消費する行為に近い
でも、消費とは違う何か
推しと共に人生を歩んでいる錯覚に陥ることのできる麻薬のようなもの

私が推す事によって推しが幸せになるのかわからない
でも、彼が望む道があるのならその道をついていきたいと思う
その場所に連れて行って欲しいとも思う

自分の愛した推しの道を全肯定するのは難しい
肯定する必要がない時だって当然ある
その時は推しと別れる時であり、文句を言いながら推すのは違うとも思っている

タレントは自身を売る仕事である
でも、その仕事から離れた時タレントは忘れられる権利を手に入れる
彼がどんな道を歩くかわからない
でも、その道を困難なものにしないのが私たちにできる事なのかもしれない

彼の未来が明るいものであるように
7日のソロライブ
すべての人が後悔することのないライブになりますように

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