推しに概念はあるのか

「推し」という存在に出会った
私の「推し」は突然現れたのではなく
そこにいる知ったものが「推し」というものに姿を変えた人だった
「推し」という言葉はこの国に浸透し
多くの人にそれぞれの「推し」がいる
それなのに、その「推し」というものがなんなのか
説明できる人は少ないように感じる
当然のように、私は説明することができない
ただ言えるのは吉原雅斗という存在が
私の中で唯一無二の存在であり
絶対的な「推し」であるという事実だ

恋愛でも母性でもない感情
慈しむわけでもなく畏怖を抱くわけでもない
彼は神でなければ愛する存在でもない
でも、私は彼をとてつもなく愛し崇拝している
ものすごい矛盾だ
でも、それが私の彼に抱く感情

彼の前で無でありたいと思う瞬間もあれば
私の存在を知ってほしいと思う瞬間もある
空気のように存在したいと願うと同時に
あなたを必要とする人間がいると知ってほしいと願う
夢に並走したいと願うエゴを抱えながら
ただその人が幸せであればと願う
「推し」の幸せがなんなのかわからないのに

何度も書いているけれど、私は「推し」の人生にフリーライドしている
「推す」という曖昧な行為を通じて、見ることのできない夢を見る
無責任な行為が「推す」ことであり
その無責任な感情をぶつける対象が「推し」だ
でも、その感情が悪だとは思っていない
悪であるとは思いたくない

誰かの崇拝の対象になることは恐ろしいと思う
彼らのように対面を必要とする形態の人は特に
その思いが強ければ強いほど
その人の生活を揺らす存在になる
怖いことだと思う
少なくとも、彼らはその意味を理解している人たちだと思う
それでもステージに立ちエールを送り、私たちを支えてくれる
誰かの「推し」になる責任を抱えている彼らは強いと思う

そんなこんなで「推し」が何かはわからないし
「推し」ってすごいなって思ったのです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?