出名古屋記

・引っ越した。

・就職に伴い、18歳から25歳まで7年間過ごした愛知県名古屋市を離れた。7年って嘘だろ。幼稚園児が中学生になるくらいの時間を自分は名古屋でダラダラしていたのか。気が遠くなるぜ…と回想していたら、オマケみたいな感じで20代の前半がちょうど終わったことにも気づいた。

・20代前半を終えると同時に学生生活を終え(というか大学院を中退して無理やり終わらせ)なんとか就職活動を終えてそこそこのとこに就職した。そこそこのとこでそこそこの感じでまあまあやってます。まあ普通に気づいてたけど自分しっかり発達障害だな、とか、東京の会社に来たのになんで埼玉県民になってるんだ、人生で埼玉県民になりたいと思ったことなんかないんだが、とか、関東ってなんか土が赤いな、とか考えながらやってます。ちなみに会社に入ってから2週間で6キロ痩せて、そのあとの2週間で4キロ戻った。生活リズムを正すだけで6キロ痩せるくらいはちゃめちゃな生活をしていたということです。

・新しい部屋は会社の借り上げ社宅で、結構狭いが家賃は2万、住宅補助カットが入り実質4万、という具合です。正直自分で物件を契約する必要がないのがかなり助かった。実は引っ越しの2ヶ月前まで板橋区の社宅に入る予定になっていたのだが、直前でやっぱり埼玉ですとなり驚愕したが、地図を見たら隣の隣の駅だったので納得した。2年後に出ないと行けないので次は都内に住みたいが果たして…。

・基本的に遊びに行くのは東京で、というのも新宿や渋谷に行くのと大宮や所沢に行くのでそんなにかかる時間が変わらないので、必然的にそうなる。むしろ本数が少ないので埼玉の上側の方がアクセスしづらい。一回東京を経由しないと行けない埼玉県の地域がめっちゃある。東海で例えると岐阜の分断のされ方に似ていると思う。山地なのも似ている。

・こっちに来てからやたらと東海のことを考えるようになった。そもそも関東圏出身の人からすると東海3県でなんて全部同じっしょ、みたいな扱いだし、三重で生まれ高校卒業後名古屋に来た自分からすると旧友はほぼ東海3県出身なので、不思議と地元 = 東海みたいな気持ちがどんどん出来上がってきている。あとシンプルにチーム友達の東海Remixが出たのもある。まあアレに出てる人たち全員愛知か岐阜出身だけど。

・つくづく三重というのは微妙な街で、大阪・京都に近いところは言葉も文化も関西寄り、名古屋に近いところはほぼ名古屋で、真ん中あたりに関東と関西が絶妙に混じって薄くなった三重独特の文化が広がっている。奈良・和歌山に近いところは山奥の独自の文化で、言葉もかなり違うのでほぼ他県である。三重県はお伊勢さんとその参道として栄えてきた歴史があるので、みんな基本的に温和である。何もしなくても参拝客が来て、適当に仕事をしてても食えてしまう。海沿いの方はそれなりに荒っぽいかもしれないが、漁師町にしては相当大人しいと思う。真面目でおおらか、平和主義。人当たりが良く愛想がいいが、競争心に欠ける。なぜかやたらと子供を塾に入れたがる。ラッキーアイテムは赤福、伊勢海老、あおさのり。


・そんな伊勢うどんのようにやわやわな場所で生まれ育った人間としては、東京はあまりに広く、忙しなく、雑多で、いささか臭すぎる。その代わり、それぞれの街にカラーがあり、そのひとつひとつが替え難い魅力を人々に提供している。日本という国は、田舎に行けば行くほど景色が収束していくようできている。チェーン店が立ち並ぶ国道沿いの先には過疎化が進んだ山間が広がっているだけだ。友人の車で奥多摩を走っている時、私は自分が岐阜の山道にいると錯覚した。その点、23区内は極めて雑多だ。一駅ごとに別の街が広がっている。路線が変わるだけで景色が一変する。電車は恐ろしいほど混み合い、ダイヤは複雑に入り組んでいる。

・名古屋に住んでいた時からなんとなく思っていたのだが、自分は割と繁華街が好きだ。怖い人がたくさんいるし、危険でうるさくて汚いし、ほとんど用の無い飲み屋や夜のお店だらけだが、なんとなく好きだ。デパートやテレビ局でバイトをしていた時期を思い出すから、というのが一番の理由だろう。コロナ真っ只中の2021〜23年あたり、大学を休学し昼夜が逆転した生活を送る中で、バイト中に目にする得体の知れない人たちとすれ違うことが社会との唯一の関わりだった。みんな少しづつ社会から逸脱していて、でもみんな社会の一員でもある。どんな人間も少なくない逸脱を内包している。繁華街はその逸脱にけばけばしい装飾を施して、看板に描いて、人を呼び金を稼ぐ。当然、下品で、猥雑なものが多い。田舎ではその逸脱が可視化される場所が少なく、個人や家庭という狭い範囲に閉じ込められる。どちらが良いかは、人によるだろう。

・と言いつつこの前新宿に訪れたのだが、噂以上に最低最悪の街だった。臭く、汚く、巨大だった。本物のトー横キッズや本物の立ちんぼを、匂いがわかるくらい近くで見た。多くは自分より年下だった。こんな場所ぶっ壊した方がええんちゃうか、と思って空を見たら、巨大なゴジラ像がこちらを覗いていた。最低の冗談だと思った。

・とりあえず今はいろんな街に遊びに行き、ふーんこんな感じねと田舎もん丸出しでキョロキョロする日々である。2年後にどの街で暮らすかを考えながらウロウロしている。今は、町田洋が「惑星9の休日」や「夜とコンクリート」を書いた時、日本のどこの街で暮らしていたのかがとても気になる。


(終わり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?