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吉田、主務になるってよ Ep2 停滞と希望

Ep1をご覧になられた方ありがとうございます。

今回のEp2は3年生に成り立てのところから話が始まります。正直ここからの1年間は辛さがほとんどで、愚痴を言うだけになってしまっても良くないので一話分で簡潔にまとめます。

タイトルにあるように停滞期であります。

ただ "希望"があったのは心強い(当時の)三年生の仲間、それからとあるコーチがいたおかげであります。

ではどうぞ

_______________以下 本文______________

気持ちがのらない。何をやるにも倦怠感が伴った。こんなんではダメだというのは自分にもわかっていた。
マネージャーの決断をした時に、選手のサポートに徹してチームへ貢献すると決めたのだから。。。

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4月には焼津ハーフマラソンがあった。出場選手は数名いたが欠場が相次ぎ、走る選手は当時のキャプテンのN宗さん一人だ。

私は静岡までの遠征試合にK塚コーチ、N宗さんと帯同することになった。

その遠征を通して自分が無力であることを思い知った。N宗さんは優しく感謝を伝えてくれたが、サポートを終えたあとに反省がコップから溢れる水のごとく出てきて、止まらなかった。

ただ終わった後、暗かった目の前に一筋の光が差したのを感じた。
遠征時にK塚コーチとお話しをした際に色々なアドバイスをいただけたからだった。

遠征から帰ってすぐ反省を書き起こし、なにをすべきだったかをリストアップした。この時はアイデアがコップから溢れるようだった。

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マネージャーチームは正直回っていなかった。当たり前のことをやるだけで、プラスの要素をもたらなさかった。それにその当たり前のレベルにさえ危うい時があるくらい。

嫌われようがなんだろうが最低限のことはできるよう声を上げるのが私のその時の精一杯だった。またマネージャーとしての熱意の温度差を感じた。一人で背負いこむことで解決しようとした。

一筋の光はどうやら周りには見えていないようだ。

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夏合宿は記憶にないくらい早いスピードですぎた。
その年は予選会前に一本ハーフが入り、一関ハーフマラソンに出場することになった。
帯同の責任者はK塚コーチだ。

出場選手は9名ほど、マネージャーで私が帯同させてもらえることになった。

「一人でもできることをやりきろう」と心に決める。

この遠征試合はK塚コーチのアドバイスもありながら、マネージャーとしてサポートできたという実感を持って終えることができた。

一筋の光が少し開けた気がした。

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あっという間に予選会が訪れた。
結果は15位。

涙も流れなかった。

涙もろい私は全日本予選の時、エースの先輩S田さんの涙にもらい泣きをして鼻水をたらしていたのに。

「負けは勝ちの原因だ。負けがあるから勝ちがある」
K立部長の言葉で予選会は終わった。

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そしていよいよ最終学年が訪れる。
やりにくい立場での辛かった一年間、T舘やY満を始め同期のメンバーへの相談なくして乗り越えられなかっただろう。

そのメンバーたちと新しいチームを作っていくことに胸が弾んだ。

一筋の光がパァと開け青空が見え始めた。

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Ep3に続く

※だいぶ表現を抑えているのと書きたい内容が書ききれていませんがご了承ください。



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