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自分の中の二つの存在が起こす葛藤はどうするか?

〜人生のオーナーシップを自らの手に〜Vol.4

前回発信したものの最後に
自分には「二人の自分」が居るということを書きました。
この「二人の自分」が正反対の性格というか特徴を持っていて
何かしら困った事や決断が迫られる瞬間になると、
その両者が、言い合いや批判をし合ったり、けんかを自分の中で始めてしまい
(言い合いをしている内はまだ良いのですが、その内に片方が相手を叩きのめし、黙らせようとしたりすることも多く)
結果として、自信を余計に無くしたりしてきました。
この内面をもっと整理できないのか?一本に統合できないのか?
もしくは、いつもやり込められている存在を、もっと前向きな特徴に変容させられないのか?
これが僕にとっての永年の課題であり、人間的な成長だろうと思い込んでいました。
ちなみに、二人の自分を紹介しますね。

一人は、
新鮮感や変化を好み、挑戦や冒険を嗜好する自分。

これは、ここまでテーマとしている「人生のオーナーシップを自らの手に」
を体現した生き方を求め、行動を起こしていこうともします。
ですので、ここまでご紹介してきた、キャリアを自発的に切り開き、人生を悔いの無いように生きていこうとします。
この部分が前面に出ているときには、活発でエネルギッシュで
思いっきりが良く、比較的臨機応変に対処していこうとします。
この自分を僕は【挑戦冒険くん】と呼んでいます。

そしてもう一人は
安心や安全を好み、葛藤を避けようとし、状況や反応を繊細にキャッチし、入念に準備をしようとする自分。

これは、仕事を引き受けたり実際にするに当たって、
入念に準備をしないと気が済まないというか、気が気でなくなる。
また、相手や受講者がどのような受け止めをしていたり、その場で何が起きているのか?を繊細にキャッチし、それに対処しようとします。
この部分が前面に出ると、慎重に物事を見極めてから判断し丁寧に行おうとして、事細かく状況を知ろうと質問や確認を多くしていきます。
また、度が過ぎると相手やその場の反応を気にするがあまり、相手の顔色を窺いすぎかねません。
この部分を僕は、【臆病者、神経質、弱気」なところ】と呼んでいました。

この慎重に物事を見極めて判断しようとしたり入念な準備、事細かな確認、相手の反応への配慮などは
実のところ、仕事でも前職の頃から永年してきました。
そしてそれは仕事相手からの信頼構築には高く貢献してきました。
一方で
充分な準備が出来なかったり、相手の反応が思わしくなかったりすると、必要以上に不安になったり、相手の顔色を窺うようになりかねないところは、
【臆病者、神経質、弱気」なところ】で恥ずべき部分と認知し
自分にとっての欠点であり、弱みであり、他者には見せないでおくべき自分の特徴だろうと認識していました。
実はこれまで、私の仕事仲間やお客様などに、私の印象を聞くと
「エネルギッシュで、ムードメーカー、思いっきりが良く、存在感が大きい。とか熱意とハートに溢れる」
といったように評してくださる方が多くいらっしゃいました。
これは、どちらかというと【挑戦冒険くん】が前面に出ている場面を目にされて来られたのだろうと思います。そういった部分も確かにあります。
特に独立した後の仕事の場(研修講師としてであったり、ワークショップリーダーとして)ではエネルギッシュな【挑戦冒険くん】が「表の顔」として優先的に表現されていたのだと思います。
意識的では無いものの、自分で理想化した「【挑戦冒険くん】だけの自分」を表現してきたのですが、周囲からやお客様からポジティブ特性が強いエネルギッシュな「【挑戦冒険くん】だけの自分」が評されて気に入って貰えたり、賛美されたりして頂いているように思えてくると、
(実際には、僕の繊細さを読み取ってくださる仲間もいらっしゃったので、私の思い込みが始まりなのですが)

自分としてもどこか
「本当の自分はそれだけじゃない」という気持ちや
「そうで無い部分(「臆病もの、神経質、弱気、繊細さ」)がバレたら、みんなから愛想を尽かされて、みんな離れていってしまうのでは?」
といった不安がずっと残り、心から安心できていないんですよね。
その不安が、周囲との間に心理的壁を自ら築かせ、心理的距離を置こうとしたりもしていました。
要は
この「慎重で繊細な自分」を卑下していて、恥じていた故に、自分のことを全体的存在
(【挑戦冒険くん】も【慎重で繊細な自分】もあるからこその自分)
として認められずに、自信も持てず、【慎重で繊細な自分】がばれたらどうしようと思うから、
不安になり、周囲との心理的距離を自らが置き、その結果、「やっぱり、自分は周囲から心底から受け容れられないんだ」
と悲しみ、余計に自信を失う。
まぁ、こうして俯瞰してみると「独り相撲の悲劇」ですね。
僕が自分の【慎重で繊細な自分】を卑下し、恥と考え、抑圧し、奥に押し込めようとしているところが「事のはじまり」なんですよね。
ですので、この自分の「慎重で繊細な自分」を卑下せずに自分の一つの特性として捉える事が必要でした。そこでその部分を
【繊細安心くん】と名づけ、【挑戦冒険くん】との対話からまずは始めてみました。
このあと、どのような対話を自分なりに行ってみたか?は
最後段に載せておきます。
ご興味があればご覧下さい。
ここで
臨床心理学者のカールロジャースの言葉をご紹介します。
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不思議なパラドックスは、ありのままの自分を受け入れると、変われるということだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分の中にある、誇れる部分・前面に出している部分だけでなく、ひた隠しにしている部分にも
徐々に日の目をみるようにしていく。そうして自分の全体を受け容れたその先には、どちらも自分の大切なリソースとしてお互いを活かし合える道へと変化していく。
これが、「自分の中の二つの存在が起こす葛藤」をどうしたら生きやすくなるか?の僕なりのやりかたとなりました。
そしてこれも、「自分の人生のオーナーシップを握る」上での大きなリソースになるように感じております。
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さて、
あなたの中にはどのような【あなた】がいますか?
複数居るのであれば、それらの関係はどうですか?
それらが今よりもお互いを尊重し活かし合えたらどのような変化があなたには起こるでしょうか?

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自分が大切にしている「人生のオーナーシップを自らの手に」という世界観やこの言葉の言霊が僕に体験させてくれたこと、僕が思っていることを発信していく時期に来たという感覚に従い、不定期ではあるものの、発信を始めてみました。(何も真理を説くつもりはありません。あくまでも私の私見です。)

ご覧になって頂いた方の何かしらの参考や刺激になれば嬉しいです。
では、また。
エグゼクティブ・コーチ
ヴィニー垂水

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【繊細安心くん】と、【挑戦冒険くん】との間での対話は、こんな内容で行いました。

<まず最初>お互いが相手にどのような認識をしているか?
・相手への非難や不満ももちろんあったし
・相手への要望も愚痴もあった
(この応酬が結構な分量ありました)

例えば、
【挑戦冒険くん】⇒【繊細安心くん】まどろっこしい、タイミングを逸する。お前がいるから僕は男らしさが失われている。
【繊細安心くん】⇒【挑戦冒険くん】乱暴で配慮が足りない、周囲への尊重が足りない、わがまま。だから独りぼっちを感じる。
こんなことを続けていると徐々にこんな気持ちも湧いてきました。

<相手への感謝>
・相手があったからこそ、今この時生きている
・相手があったから、体験できてきたことがある。
言わば、相手を誇りに思うことでした。
例えば、
【挑戦冒険くん】⇒【繊細安心くん】独立後に結果としてなんとかやってこられたのは君のお陰
【繊細安心くん】⇒【挑戦冒険くん】新鮮感を失わずに自分のモチベーションを保ててきているのは君のお陰

この流れの中で
【臆病、神経質、弱気】な自分の一部分は名実共に【繊細安心くん】に変わった気がしました。

このプロセスを経た後、
この【繊細安心くん】、そこを抑圧すると「臆病、神経質、弱気」になることが判ってきて、自分に【繊細安心くん】がいることを自分に許し、そこを恥じずに適時に自覚的に活かすことをし始めると、過度に「臆病、神経質、弱気」になる事が減少してきているように感じています。
もちろん、完全には無くならずに、へなちょこで、弱虫で、臆病で、愚痴をこぼしたがる弱気な自分が今もいます。

これが、ある意味、自分の中の統合の1つと言えるのかも知れません。
この統合しているところが増えていくと更に
「慎重さや繊細さが活かされて、更に自分としてを納得感を持って、
挑戦や冒険をしていく。」
ことが増えていくように思えております。
(これまでも、そういう挑戦や冒険をして来ているとは思いますが、
更に増えるような気がしています)


自分の人生のオーナーとして主体的に生きることで、自分が持つリソースを気づき、最大限に活かすマネジメント・リーダーシップを発揮したいという方は↓


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