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【ART】 5月3日(土)『石を立てる~Standing stones』対談

根石院展 『石を立てる~Standing stones』
同時企画『TRABANT』
@Village Hinohara


レセプションパーティー
対談トークショーarchive

石は上流から中流へと流される過程でおきる摩擦や衝撃によって形を変えていく。そこから下流までいく頃には、さらに細かく砕かれ、やがて砂や泥となっていくものもある。なぜその石を拾い、そして立てたのか。Village Hinoharaで5月3日(金)からはじまった根石院展 『石を立てる~Standing stones』に際し、展示作家の根石院こと久保田弘成さん、キュレーターの岡田智博さんを交えて行われた対談をアーカイブした。

登壇者:久保田弘成(アーティスト)、岡田智博(あきがわアートストリーム総合ディレクター)、清田直博(Village

岡田あきがわアートストリームという展覧会を毎年させていただいている岡田智博です。昨年のあきがわアートストリームに作家としてお誘いした根石院さんが、こともあろうに、檜原村で展覧会をすることになりまして。今日から第一日目となりました。この溢れんばかりの根石を立て、そして並べていただいた根石院さん。よろしくお願いいたします。

久保田:どうも、根石を並べた久保田です。根石院と名乗り始めたのが6年前ぐらいなんですけど、それまでは車を回していました。まあ車を回すって言っても意味分かんないと思うんですけど。まず中古車屋さんからもらってきた車のエンジンを外して、その車体を高速回転させるっていうのを世界中でやってきたんです。でもそれが全然金にならなくて、なんかうまくいかなくて。それで最近は石を立てています。それで根石院と名乗ってるんですけども、よろしくお願いします。 

石を立てた経緯 / Villageでの展示 / ここでしか見れない芸術

岡田:今回はこの個展に対して、久保田でなく、根石院を作家名として名乗っているのですがその理由はなんですか?

久保田:もともと久保田弘成って名前は出さないようにしていたんです。車を回してるから、この石を買ってくれっていう風にしないようにと、最初は思ってたんです。石の良さをわかってほしくて、こだわってやっていたんです。最初はこだわってやってたんですけど、だんだんひよってきて。久保田の名前も見せるようにしているんです。

清田:車を回すのと、ベースは一緒なんだろうなと思ってたんですよね。

久保田:ベースは一緒なんですけど、それを説明するのがなかなか難しくて。簡単に説明すると、丸太に乗っかって、人が坂をわーって降りてって、たまに死人がでたりする祭りのあるところが出身なんです。立ってる木を切って、それを人が引っ張って、神社に持っていったら、その木が神様みたいな扱いをされる。そういったところから車をすごい速さで高速で回したら神様みたいになるんじゃないかっていうことで車を回し始めたんです。石もね、転がってる石も立てれば、まあなんていうか違う雰囲気になるんじゃないかって説明をするんです。でも聞いてる人はいまいちよく分かんないなっていう顔をしてますね。

岡田:ちなみに立ってる石って、触っていいんですか?

久保田:別に何しても、触っても舐めても、何してもいいですよ。

清田:岡田さんが去年のアートストリームで根石院さんの展示をされていましたが、お声掛けをしたその一番の理由というのは?

岡田:もともと、根石院さんのストロングスタイルに対して面白みを感じていたのですが、ある時、あきるの市内で根石院と出会ったという人間に会いまして。この根石がこのエリアの石を中心としているのであったとしたら、まさにこの山の中で、ここでしか見れない芸術であると。そして秋川の自然からできたものを、檜原村で展示することには共鳴するものがあるんじゃないかと思ったわけなんです。

久保田:そうですね。秋川アートストリームのときに、岡田さんがいきなり連絡してきて、展示しないかっていう話だったから、ちょうど暇だったし、やりますっていう感じになったんです。でもまさかその後、檜原村に展示してくれって言われてびっくりしましたね。あんまり深く物事を考えないタイプなんですけど、繋がりがあって、ここで展示してるのかと言ったら、別にそういうわけでもない。間に入ったのは神保さんという方(DRIVETHRU)。もう十年ぐらい前に私が車を回してる時に一緒に展示した方で、神保さんから、「ここで展示したら面白いですよ、やりませんか?」って言われて、それであれよあれよという感じで。だからそういう経緯があったことはよく知らなかったんですよね。

申し訳ないけど最初、始めたのはチ○コから始まったんですよ。そういう石を集めていて。それで卑猥な雑誌とかからインタビューを受けたりしていてね。「ち○こ石を集めてる男!」みたいな感じでわーって出てたんだけど、私は彫刻を勉強してたんで、そのままの形しててもつまんないって分かってきたんです。そっくりな石があっても、だから何なんだっていうことになって。結局、石ってその自分が思った通りの形なんかしてないんですよ。探しても自分の思った通りの形をしている石なんて一個もない。それで気がついたのは、自分が思ってる形なんかないんだってこと。確固たるこの硬い石が転がってるのを見て、あ、これいいねっていうぐらいのセンスは持ち合わせているんだって気付いたんです。

だから粘土とかで自分が気に入った形を作れって言われると、いや困っちゃうなって。1週間ぐらい粘土で形つくっていても、いやこうじゃねえんだ、ああじゃねえんだよってずっと形の定まらないタイプなんですよ。それで人の形を作ってそのものそっくりできたぞっつっても全然感動できない。形はそっくりできたけど、人の生命力みたいなものなんか全然表現できてねえじゃねえかって思っちゃう。それで石と出会って、石がどういう風に成り立っていったのかって調べたら、地球のマグマとかエネルギーが発生していって、どんどん成っていったのが分かってきて。はまっちゃったんですよね、石に。

息子のキュレーション / 石と自分が意図する何かとの境界線

岡田:車を回していてっていうことに、限界が見えてきたかもしれないっていう時に、久保田さんの息子さんが「お父さんの石!」みたいに持ってきたっていうのは息子のキュレーションもすごいですよね。

久保田:そうですね。車を回すのを色んな経済理由とかでやめて。もう私は車を回すのを辞めますって宣言してやってなかったんですけども。このままアートから遠ざかるかなというような。それから試行錯誤して。もともと縄文土器とか縄文石棒が好きだったんです。子供はちっちゃかったし、博物館のはタダだったから、博物館巡って石棒巡りをしてたんです。そこで縄文人は石棒を神体みたいにして祀ってたんじゃないかっていうようなところがあるんですけど、石棒のシンポジウムとかにも参加して石棒研究をしてる人に、これは何に使ったんですか?って言ったら、それを私に聞かれても困りますって言われちゃった。分かるわけないでしょって言われて、ですよねって言って。でま、自分なりの石棒解釈をしてはいたんですけど、でも解釈できなくて。そんな時に息子が公園で、パパはち○ち○型の石が大好きって勝手に思い込んで石を持ってきたんです。それが漫画のち○こみたいな形の石で。これいいなと思って集めてみようかなっていうところから始めたんです。

岡田:台座をくっつけるっていうのは、最初から考えていたんですか?

久保田:台座は全くつけないでそれでやってみたんだけど。とりあえず人が見た時に台座がついてないと何かわかんない。石と自分が意図する何かとの境界線みたいなものが必要だった。それで台座をつけ始めたんですけど、まだその頃、台座と石は分離してて、接着をしちゃいけないというルールがあったんです。石はすごいパワーがあるから、台座をつけて作品化なんかしちゃいけないんだと。自分の所有物にしちゃいけないんだっていうところから始めて。いつでも自然に返してあげようみたいな。そこからとりあえず毎日毎日石を探す日々が始まったんです。もう六年経っているんですけど、最初の頃はこんなんじゃなかった。台座もろくなもんじゃなかったし。

岡田:ある意味、台座があるっていうことで人は作品ということを了承していくと思うんです。例えば、山梨県みたいに石がたくさん出るところだと、石そのものを、あのいわゆる商品として売るとか、水晶のでかいやつとかあるじゃないですか。それにも必ず台座がついてると。根石院さんの作品もある意味、ストロングスタイルのデコラティブなものだと思ったりもするんだけど、台座っていうものに注力するようになったっていうのは、どういうところからなんですかね。

久保田:台座っていうのは、方向性を与えるものなんです。ただ川に落ちている石って横を向いてるんですよ。人が見る時に、河原の石を見てどっち向いてるのかなんて誰も分かんないんですよ。それを私が人間で申し訳ないんだけど、石さんに方向性を与えるっていうことで、台座で上やもしくは斜めを向かせる。倒れそうだけど倒れないっていうぐらいの方向性を与える最小限のものとして台座を最初始めました。

擬人化 / 不自然な状態 / 小さな劇場

岡田:茶道なんかもそうなわけじゃないですか。自然物を作り手が見立てるという風な形で無理やり起こしたりとか、無理やりどこかにぶっさしたりとかするわけですよね。それと同じように石士(いしし)としての根石院が、石を美的な姿にせり立てているような感じがするんですよ。

久保田:石として美的っていうと、これって美的なのかなって色々考えちゃうけど。例えば、石が山の形をしてたら感動できるっていうのは、鎌倉時代とかから中国の影響で、山の形したり、滝のしたり形をしてる石を愛でるっていう文化がずっとあったんですけど。ちょっと俺は山とか滝の形してる石に興味ないないなっていうようなことで、とりあえず最初は男根型にして、方向性を与える。立ってるものっていうものを作るっていうのをやってて。例えば選ぶ時も細長いとか、そういうのを選んでました。

岡田:起立は今でもしてないといけないんですか?

久保田:起立はね、基本的にしてないといけないと思ってますね。寝てるものもありますけど、それはこいつ立ててもしょうがねえよって思って寝かしていて。石はもう自分が思うような形してないんですよ。ぼやっとした形である石さんの形を変えてやってるんですけど、どうしてもその時の気分で寝てる方がいいかなってなったりもする。これ本当に六年間毎日じゃないんだけど、週に五日は必ず石を立てていて、その時はほとんど分業でやってるんです。拾ってる自分と、立ててる自分、台座作ってる自分と台座に色をつけている自分、全部違う自分っていうか。石を立てるだけで、もうだんだんそれに飽きてきた自分もいるし、拾う石に対して、これじゃ良くない、これが良いなっていうように、自分がだんだん育ってききたっていうのもあるんですけど、これは多分石拾いしてる人じゃないと分からないもんかなって。

岡田:まあ寝てると言っても台座の上に自立してるわけで。人間が石を立てるってどんな行為なんですかね?

久保田:多分あるいは擬人化だと思うんですよね。地面に対して垂直に立ってるものの方が神々しく見えるっていう本能があるのかもしれないです。

岡田:石は裸なわけですけど、起立させることによって、見える表面積も増えるし、寝てるだけだとやっぱ見たいものにならないんじゃないかなって思いますよね。

清田:多分、立てることで不自然になるんじゃないかなと思います。

久保田:そう、立てることはすごい不自然な形ですよね。川に行ってこんなに立ってるやつ見たことない。不自然な状況、非現実的というか、そういう状況を作り出す1つの小さな劇場みたいな。車を回すのもそうだったんだけど、横にするものを立てて、何か1つのステージを作るみたいなことをやってるのかもしれないです。

石の値段 / 重さとの葛藤 / 脱チン

岡田:毎日、石を立てているっていうのはすごいですよね。

久保田:毎日石を立ててないと感覚が鈍ってくるんです。職人なんかがそうだと思うんだけど、毎日やってないと腕が鈍るとかあるでしょ。この展示会を始めてからもう何日も立ててないんですよ。だから多分明日立てたら、多分なんかすごい堕落した石が立てられるはずなんです。でもそれは石だから、結局誰がその石に感動するかっていうことなんですけど。まず自分はとりあえず最低限感動するようにっていう目標を立てている。でも人に見てもらうと、曲がってて立ってる中途半端な形の石みたいなのにすごい感動を示す人が中にはいるんですよ。なんでその石を買ったんですか?っていうようなものを買っていく人がいる。逆にこの絶対に見つからない奇岩っていうような特別で絶対に見つからない形の石とかに一番高い値段をつけてるけど、そういう人にとってレアなものかどうかってどうでもいい。そこら辺にあった石を立てた時に、その方が価値があるよって思う人も中にはいるわけですよ。だけど、それを5万円では買えませんよっつうだけで値段をつけただけで、その好き嫌いが分かれていくっていうか。ま、自分が値段をつけて、これが一番高いよって示しているから価値が出てくるんだけど。実際はね、みんなそのろくでもねえような石が好きなんじゃないかなっていう風に思います。すごい立派な石なんで欲しくないっていう人も結構いると思うんです。

岡田:ろくでもない石と言ってもですね、買っていった人間にとっては石のない空間に石を置くわけですよね。今回だってたくさん石が並んでるわけだけれども、作品としての石であって、一般的な石っていうのは存在しないなかでこいつらがいるわけであって。この展示的な空間の中でろくでもない石ってないと思うんですよね。

久保田:まあ全ての根石に責任を感じてますね。立ててしまったので。一応売れるまでは世話をしようと。本当に拾ってきた責任があるので、ちゃんと梱包したり保管してます。

岡田:そのいわゆる、おち○ち○から変わってきたっていうのは、どういう心境があったのですか?

久保田:例えば川に石ひろいに行って、ち○ち○型の石を探すって言ったら無いんですよ。ただ細長い石はすごいあるので、拾ったらものすごい量になっちゃうんだけど。これはもう細長いだけで、別にち○ち○型じゃないんじゃないかっていうことにだんだん達していったんです。細長いだけで石を立てても、生命力ってそういうもんじゃないだろうっていう風にどんどん達していった。あと拾った石をまとめるとものすごい重さなんですよ。その重さに対して葛藤が生まれるんです。それでこのどこにでもある細長い石をいっぱい持って帰ってたところでっていう葛藤があって。そういう中でどんどん細長いだけじゃなくて、生命力があるような石の方が貴重だっていう風になっていったんです。静岡の安倍川っていうところには、もう砂漠みたいに石がぐっと広がってて、その中で下を見てずっと歩いているんですけど。真夏とかね、ここで倒れても多分誰も助けてくれないだろうなというところで歩いて見ているんですけど、カゴもだんだん重くなってくる。そこで本当にこの石で良いのかってずっと葛藤してるんです。箱に入れるかどうしよう、どうしようって。すごく辛い作業なんです。その中で選びつくされてきたやつらなんですね。この重さとの葛藤のなかで生命力のある石を選ばなきゃいけなくなってきたんですよ。長期的に面白い形の石っていうのは本当にそんなにあるものではない。何の話だっけ?

岡田:脱チン。

久保田:脱チンか。そう、ち○こ型のっていうのはね、たまにある。これはすごい!ってやつは一応持ち帰りますよ。だけど見つけた石がすごい顔していたり動物に見えるような石は自分の中でアウトだと思ってる。それだけは絶対に選ばないようにしようって。それでもともと男根もしくはそれに準ずる生命力を持ってる形っていうのを極力選んでいたんだけど、ただ細長いように見えるだけなら本当につまらないし、いっぱいあるっていうことが分かってきた。それからはもっとあり得ないような、上に伸びていこうっていうような形態の石が増えていった。それを重さの中で持って帰るか、持って帰れないかっていう勝負をずっと河原で繰り返してきたんです。そのうちにこの形のカクカクした上に伸びていくっていう流動的なイメージではないけど、カクカクしてることで、その強さをこいつが醸し出してたっていうようなところで、自分の幅を広げていったんですよ。

彫刻家の趣向 / ストイックな石 / 逃げ場

岡田:石を芸術作品そのものの対象とした場合、多くは丸くて優しかったり、いわゆる優しさを石に求めていくような感じがするんですけど、彫刻家として考えた場合、このいわゆるパワーのあるストロングな石を趣向するのはなぜなのでしょうか?

久保田:優しさとか丸い石なんて川に行ったら死ぬほどあるんですよ。みんな安らぎを求めたりほっとしたりっていう気持ちになりたいんだろうけど、自分はそういうタイプじゃないなって。そうじゃなくて、丸くならないでギリ角を残しながら下まで流れてきた石をどうにかしたいなっていう欲求があったんですね。こういう形を残すっていうのは逆に難しいと思うんです。激流にのまれて、宿命として丸くなって最後は砂粒になる運命。だからもしかしたらそこに違う意味での優しさがあるんじゃないかっていう風にも思うんですけど。

岡田:そうは言っても、石を綺麗にするわけじゃないですか。いわゆる石を綺麗にする行為っていうもの自体に対して、何か思いっていうのはあったりするわけなんですかね。

久保田:それこそ最初は石を洗ってはいけないってルールもあったんです。でも例えば都市に行ったりして、植え込みの中にも石があるんですけど、すげえ汚い。汚いっていうか、ゲロ吐いてあるところじゃねえかって。でも汚いなと思いつつ、これだけで同じ石だよなと思って磨いたら綺麗なんじゃないかなって思うんですけど。でもそんな石に反応する奴いるかって。石を売ったり、人に見せるっていうことをやっぱり意識し始めてからは綺麗にみせようっていう風に変わっていったんです。

石ってすごいストイックなんですよ。たとえばもしこの台座がなくて、1つの石をとりあえず5秒だけ見てよって言って、その後一時間見るっていったらすごい辛いと思います。だから綺麗にして台座を設けることにした。台座はなんか石の逃げ場みたいな意味もあると思うんです。でも石を洗ったり台座を付けたりとで綺麗に見せることって、もしかしたら俺は間違った方向に向かってるんじゃないかっていう風に思う瞬間もあります。石を売らなきゃって思って、目につくような石を選んでる自分もいるし、台座のぱっと見で飽きないようにしてるっていうような、石を成立させてしまっているっていうところがあるんで。そこに見てる人が追いついてきて「最近、根石院さんなんかそういう売れそうな石に走ってませんか」って言われたりもして。でももう走ってますよ、だから何ですか?って言ってる。本当に何ていうか、アーティストとしては、本当にろくでもない状況ではあるんですけど。だから、まず買ってもらって、その色々文句を言ってほしい。こういうものじゃないでしょうって。こんな色の台座をつけてどうなんですか?っていう文句はいまだに受けてこないから、そろそろ言ってもらいたいなと思います。

トラバント / 自然物に工業製品が圧倒されている状況

岡田:話はちょっと変わるんですけど。ま、今回、根石だけではなくて、トラバントのオブジェの展示もあるんですけど何か意図があるんですか?

久保田:この展示会が始まったのと一緒ぐらいに神保さんから声をかけてもらったのがきっかけですね。別に必然性があったわけではなくて、ただ声をかけてもらったからっていうだけですね。

岡田:トラバントに対する愛着ってなんでですか?

久保田:正直トラバントっていう車への愛着はもともとは無かったんだけど。ドイツに行って車を回したのが二十年前で、いきなり行って、ドイツ語も英語もろくに喋れないし、日本語しか喋れない状況で工場探しから始めたんですよ。最初はBMWとかドイツを代表するバカでかい車を回したいと思ってたんだけど、出会ったドイツ人にちょっと車回したいんだけどって言って工場とかの段取りとかしてたら、トラバント回したらどうだって言われて。え?って思ったけど、やり始めたんです。正直なし崩し的にトラバントを選んで回したんですよね。

日本とは気候も全く違って寒くて暗いところでエンジンをばらして回したあと、それが社会主義の車って知って。社会主義っていうものに触れることも今までなかったんですよ。車を回す時に、元東ドイツの人たちが手伝いをしてくれたんだけど、西ドイツの人と東ドイツの人は全然違うパターンなんですよ。人として性質が全然違っていて。西ドイツは一応西側の自由主義の人たちで、東ドイツにいた人とは何か笑う場所っていうのか怒る場所が話すと全然違う。なんでそんなとこでムキになるのって。なんでそこに本気になって怒るの?っていうようなところでやり取りしていて。自分はしょぼい英語でしかしゃべれないから、向こうもしょぼい英語同士で東ドイツの人と一緒にこの車を回すのをやってたんですね。その人たちにいくらかのお金を払って。トラバントを解体するのは、あなた達にしかできないからって言って一緒にやって。それでやってるうちに人となりが分かってくるっていうか。なんかちょっと資本主義社会に対して、劣等感のようなものを感じつつ、このアートっていうのに携わってるって。これを東ドイツの人たちは胸を張って言えるような感じではない空気だったわけですよ。トラバントっていうのはすごい複雑な思いのこもってしまったもの。東西のベルリンの壁が崩れて混ざった後にだけど東ドイツでずっと生まれ育った人たちの怨念みたいなものがこもっている。トラバントは西側からするとすごくお笑い草みたいな車で、東ドイツの人としてはなんていうか敗北感みたいなのを持ってる。愛着を持ってはいるけど。それでトラバント回すよって言ったら、俺がやってやるよって感じで東ドイツのやつが言ってきたんだけど、なんていうかすごく寂しさみたいなものが付随して一緒に作業してたんだよね。でも向こうの人達は技術がすごい長けてたんですね。溶接なりなんなり。東ドイツの人は純粋で、これ俺が教えてやるよみたいな感じで純粋に教えてくれる。そういうの資本主義社会にはないというか、カネ感情ではないというところで教えてくれたりする。だからトラバントは悲しい想いと混ざった不思議なもの。その塊みたいなものですね。

岡田:日本で車を回してからどういう風に世界中でも車を回せ、みたいな感じに広がっていったわけなんですかね?

久保田:実際は大して広がっていってなくて、いきなり来た日本人が勝手に回し始めたっていうのが正しいですね。回してくれっていうオファーが来たわけじゃないんですよ。自分が行って、回すもんねえかって地元の人に尋ねて、勝手に回し始めたっていうのが正直なところ。回してくれって言われていったのは、アメリカのテキサスとヨーロッパはベルリンとアイルランド。ポルトガルでも回してくれって言われて行ったことあるんですけど、ある程度予算あるのかとか色々聞いたりしても、とにかく回そう回そう、とか言われたから、とりあえず現場に行ったら泊まるとこも無かったっていう。そういうのはよくあるんですよ。でまあそこで車じゃなくて面白いもん回そうって話になって、キリスト像回したら怒られるんじゃねえか?って言ったら用意してくれるってポルトガル人が言ったんだけど用意できなくて。じゃあ俺が千手観音作るからそれ回すかって言ってやったこともある。そういう風にいつもやりたいことをやれるわけじゃなくて、押し売り的に、なんか宣教師みたいに勝手にやり始めたというかっていう流れなんですよ。

岡田:なぜ押し売り的にしても、回そうっていう風に思ったのでしょうか?

久保田:勝手にウケるって思ったんですよ。絶対に回したらウケるぞって。アートなんでするのかって聞かれると困っちゃうのと一緒で、何で車回してるのかっていうと、それが面白いっていうのを世界に広げてやろうっていう動機しかないんですよね。あと車の中を石で目一杯に詰めることもした事があって、それをスウェーデンでもやったら、なんかすごいウケたんですよね。理由を聞かれると困るんだけど、結局、自分が作りたかった造形物っていうのは、見た目にインパクトがあって、自然物に工業製品が圧倒されてる状況を作りたかったんですよね。それで車をなんか力技で回したこともあったんだけども。

地域らしいもの / 錯覚 / 揺さぶり

清田:岡田さんはアートのキュレーターだったり、展示の企画を普段されているなかでアートへの知識も深いと思うんですけど、その岡田さんからみて久保田さんの作品の魅力はなんですか?

岡田:地域の人って思うんですよ、地域らしいものが必要だって。だからここら辺のものをずらして何か違うものにするっていうのは、地域の人から見たら、分かりやすいわけなんです。この根石がもし相模川水系だったら久保田さんにお願いしなかったと思うんですよ。先ほど石の話をされたように、そこら辺にあるようなものなんだけど、それがこう立ったりとか何かをすることによって、人々は錯覚を覚えて揺さぶられるわけですよね。この揺さぶる力っていうこと自体は美術家の力なのかなっていう。たとえば大理石を磨いてなんかこうねタマタマを作るみたいな話とか。あとは優しいふにゃっとした女性的な、みたいな話とかってあったりとかするんだけどさ、それとはまた違うかな。それより、このいわゆるパワーと向かい合うことができるっていう趣を感じたんですよ。

久保田:んーなんだろう、結局は現代美術とかのとっつきにくい流れっていうか。例えば自分の親とか自分の周りにいる人が、現代美術的な文脈の流れのものを自分が作ってても、入り込める余地なくなっちゃうんですよ。そういうところで、どうしたらその入り込める余地ができるものを作れるのか、若い頃からずっと課題だったんです。それで結局、車を回すっていう結論に達したのは、そんな現代美術のなんか小難しい文脈かなんかか知らなくたって、そこら辺に歩いてるおばあさんとかでも、なんだこりゃっつって入ってくれるっていうところがあるっていうのを見つけ出してからやり始めたんですよ。それならそういう人たちも難しくて、よくわかんねえって言わないんですよ。車を回してれば。拒絶反応は起こさずなんとか解釈しようとしてはくれるっていうところで続けられたっていうのもあって。

あと外国に行っても、どんな車を回したいのかって現地で聞くんですよ。たとえばアイルランドでは、コーク市ってとこで回したんですけど、そこの住民の8割型はアメ車のフォードの工場やそれに関係することで働いているって話を聞いて、勝手にフォード車を用意してきたと。で、こんなでかいの回せない、となったんだけど、そうなるとすごい協力してくれるんですよ。いきなり来た日本人が回したいって言ってるから俺達もやるよって。それはトラバントの時もそうだったし、テキサスでシボレー回した時もそうだった。何ていうか自分の力だけではできない、協力を得るためのまあ1つの素材っていうところでそれを選んだのがあるんですね。それで結局石を選んだっていうのも、その誰でも石だったら接することができる。別に小難しいことを言われなくても立ててる石を見れば、どんな人だって入り込めるっていうところで、元々の確固たるコンセプトとして持ってるわけでもなかったけど、自分は求めてたものだっていうことはあるんです。

岡田:あともう1つ、根石院が面白いと思うのは、展示されている圧倒的な数の異なる根石があの存在しているっていうことに心がざわめくっていうところがあるのかなっていう風に思っていて。

久保田:ま、自分でやっててなんですけど、こんだけ石が立ってるのを見たことがなかったから、解釈はし放題何だろうけど、でも1個の石を深めるっていう楽しみも絶対あると思うんですよ。あとは水晶とかみたいに磨いちゃうんじゃなくて、これは自然のやりっぱなし感があって好きなんです。で、整えようとして立てましたので、それは最小限のやり方で整いましたけど、綺麗にまとめるとかはしたくないのがあるんです。

岡田:なるほど。最後に質問したいのですが、根石院なのか久保田さんなのかはわかりませんが、これからの射程について何かお考えはあったりするんでしょうか?

久保田:んーこれはね、石でやっていこうと思ってますよ。今回、車を回すってことをやめて、もう未練を全部捨てて石に入ったわけですけど。それでずっとやってきたわけです。でもね、細々とは車の修理してるんですよ。将来、宇宙戦艦大和みたいバーと出てくるみたいな感じで、ヨボヨボになったおじさんが車を回し始めたっていうのをやれたらいいなって思ってます。今はちょっと状況が許さないんだけど。全然ね、回したいとは思ってるんですよ。


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