舞台青嵐について

※本記事では「少女☆歌劇 レヴュースタァライト -The LIVE 青嵐- BLUE GLITTER」の公演内容についてネタバレが含まれます。まだこの舞台を見ていないという方は、是非配信などで見てみてください。


いや~本当に良い舞台でしたね。何度か言ってるんですけど今までで一番好きな舞台だったまであります。どこが自分にとってそんなにお気に入りだったのか、色々と思い出しながら書いてみます。

舞台を見終えてまず思った感想は「スタァライトらしくて良いな~」でした。The LIVE 青嵐ということでスピンオフのような形ではありましたが、スタァライトの良さが全面に表れた舞台だったと思います。

じゃあスタァライトの良さってなんだ、って話ですが、自分が感じているスタァライトの良さというのはズバリ「考察すればするほど楽しい点」です。様々なコンテンツが溢れ返る昨今に今更特筆すべき点ではないのかもしれませんが、それでも自分はこの点に惹かれてこの作品を追い続けています。

今回の舞台では#2でライバル校として聖翔の前に立ちはだかった青嵐のストーリーが描かれており、青嵐自体#2でしか触れられていないので、各キャラの深い設定などはわかっていない状態でした。にもかかわらず、本公演の主題歌の「BLUE ANTHEM」は舞台が始まる前に既に公開されており、多くの人が曲を聞いた上で舞台を見に行ったと思います。

さて、では自分にとってこの舞台の価値を大きく上げたBLUE ANTHEMという曲についてお話します。自分はこの曲に対して、舞台を見るまではそれほど大して好きだとは思っていませんでした。Star DivineやStar Diamondの系譜のカッコいいタイプの曲だな~、ラスサビいいな~とかは思ってたんですけど、他のスタァライトの楽曲の方が「スタァライトとして」好きでした。何故かというと、舞台を実際に見るまでは歌詞の意味があまり分からなかったからです。

青嵐の3人については#2での知識しかなかったので、おおよそどのようなキャラクターなのかは理解できていましたが、細かな性格についてはわかっていませんでした。涼/氷雨→まひる/ななへの感情のデカさとかはなんとなく見て取れますが、それぞれがどのようなことを考えて普段の舞台に立っているのかとかはわかりません。それ故曲の解釈についても捗りませんでした。自分はスタァライトは話や曲を何度も見たり聞き直してそこに隠されていた意図に気づいたときにこの作品の面白さを感じています。なので、BLUE ANTHEMについて、あまりスタァライトらしい楽しみ方をできていませんでした。

しかし本公演を経て、あの楽曲の、スタァライトの強さについて改めて感じました。あの曲も例にもれずスタァライトの、青嵐の、小春/涼/氷雨の3人について様々な点を考慮したうえで書かれた曲であり、曲を聞く上で知識があればあるほどより楽しめる曲でした。舞台を見た上であの曲を聞けば、舞台の上での彼女たちの様子がありありと浮かんできます。自分は初めて聞いたときはなんてことなかったこのBLUE ANTHEMで、2回舞台を観に行って4回流れたこの曲にきっちり4回泣かされました。そのくらいこの曲とこの舞台は密接に関わっています。あの舞台が、あの物語があってこそ、この曲は輝くのだと思います。

曲の考察に移ります。まずはこの「BLUE ANTHEM」という曲名です。ANTHEM、アンセムというのは、最近はアニクラに行ったりしているので「定番曲」「有名曲」といった意味で捉えがちでしたが、本来の意味は「特定の集団のシンボルとしての賛歌」という意味で、集団のシンボルという部分だけが切り取られて今のような用法になっていると思われます。

この曲のサビの歌詞は「君のため 賛美の声 BLUE ANTHEM」であり、確かに実際に賛美しています。でも実際に讃美しているのは置いておいて、この曲名の「アンセム」は現代的な用法もされていると感じました。

この曲は舞台で青嵐の三人が様々な衝突や交流を経て、「青嵐の舞台少女らしさ」を取り戻し再確認した上で流れ出しました。ともすれば、この曲そのものが青嵐らしさを表しているとも言えるのではないでしょうか。

さて、賛美という言葉についても少し掘り下げます。この言葉を聞いた舞台創造科生はまず真っ先に再生讃美曲について考えると思うんですが、この二曲では賛美の意味は異なると思います。再生讃美曲は「選ばなかった過去たちへ静かに捧ぐ讃美歌」であり、BLUE ANTHEMは「君のため賛美の声BLUE ANTHEM」です。見てわかる通り、賛美する対象が違いますね。再生讃美曲では過去を、BLUE ANTHEMでは共に舞台に立つ仲間を賛美していることになります。ここからも感じられるかもしれませんが、再生讃美曲で使われる讃美ではより神秘的なニュアンスを含んでいます。曲調もそれを表しています。対してBLUE ANTHEMでは、「相手を褒める」という、単純化、一般化された意味で使われていると思います。

理由は舞台の中にあります。青嵐の三人の口上の後、三人は実際に言葉にしながら青嵐の舞台少女らしさについて、自分たちらしさについて話します。その中で柳小春は「仲間をリスペクトする」と言いました。この「リスペクト」という言葉が、BLUE ANTHEM内の「賛美」に繋がってくるのではないかと考えています。

人にはそれぞれ得手不得手があり、全てが完璧な人間にはなれない。自分ができない事を人がやってのけているのを見ると、それに羨望の眼差しを向けてしまう。それが人間というものです。しかし、自分の苦手なところ、弱いところは仲間に任せて、自分だけでは不完全でも、仲間達と一つになり夢を追うことで、自分一人ではできなかったことを成し遂げていく。これがこの舞台での物語です。自分よりできる他人を羨み、自分が追い付こうとするのではなく、その人を讃え、自分は自分のできることを全うする。それが青嵐総合芸術院の、その舞台少女らしさというものなのです。

サビの歌詞に舞台の良さが詰まっているので、このまま次の感想もいきます。

「『聞こえてる?』届かなきゃ奏で合う意味がない」。これも本当に良い歌詞です。舞台序盤、脚本を読む後輩に対し小春は「声にしないと何も伝わらない」と怒鳴ります。これは思いっ切りブーメラン発言で、後にも氷雨から「何もわかりませんよ!」と言われています。自分が何を思っているのか、言葉にして相手に伝えないと何も意味がありません。それを小春は自分で言っておきながらも、自分で実践できていない部分がありました。ですが歌詞振りでは「聞こえてる?」の部分を小春が歌っており、相手に直接確認をしているこの様子は大きな成長だと思います。

「涙顔 揺れてる水面には映すな/揺れてる雲に向け晒せよ」。ここはかなり独自の解釈が入ります。水面はダメで、雲はOK。何が違うのでしょうか。これには、舞台の台詞や歌詞にもある「凪」という言葉が大きく関わってくると思います。海が凪いでいる時は、海面=水面もそれ程揺れたりしません。しかし舞台上でこの曲が流れるときも、歌詞の進行的にも、既に雲が揺れ動くほどの青い嵐が吹き荒れている最中です。そんな中で俯いていないで、どんな自分も前を向いてさらけ出せ、っていう意味なのかなと思います。

歌詞の最後は「自分改革」です。このフレーズは「アタシ再生産」と同じように表示されたことから、青嵐と聖翔とで比較ができる点だと思います。では改革と再生産でどのようにニュアンスが変わってくるのでしょうか。

ぶっちゃけイマイチわかりませんでした。

まだまだ浅いなあと反省しています。そもそも自分は「アタシ再生産」という言葉についてすら説明ができないと気づきました。情けないです。

とりあえず現状の解釈だけ載せておきます。「アタシ再生産」とは「舞台が変わるたびに演者本人が新しい役を自分に重ねていく様子」のことらしいです(古川監督のインタビューより)。あくまで根本の自分は変わらないようですね。次に「自分改革」ですが、改革という言葉も基本的な部分は保ちつつ変化をもたらすことだと説明されています。じゃあ一緒じゃん!

というかそもそも革命のレヴューで自分改革が行われるわけなんですけど、言葉の意味を調べている限り革命と改革は別物だという説明があるんですよね。あくまで小春も涼も氷雨も、根本的な自分らしさはそのままに他者を受け入れていくということで自分改革が起きているので、革命ではなく改革を起こす、という対称的なワードチョイスなのかもしれません。とにかくわかりません。


あとは舞台で印象的だったシーンをまとめていきます。

走駝先生と八雲先生の過去、二人のスタァライトのシーン。走駝先生の「本気こそ仲間への最高の贈り物」って言葉がすごく心に残っています。

「追ってくる者のため、応援してくれる人のため、最高の自分で居続けなければならない使命感」

これは天堂真矢の言葉です。どちらも聖翔の首席の二人が、頂点に立つものとして、自分を追いかけてくる人に対し全力を尽くすのが礼儀だ、という考え方が共有されているのに非常に感動しました。自分はこの考えがあるからこそ天堂真矢が大好きなので、それを彷彿とさせるこの走駝先生の言葉には心が震えました。

あと気になったのは柳さくらの武器です。彼女も姉の小春のような盾のような武器を持っていましたが、小春の武器が攻防一体であったのに対し、こはるは盾の部分と剣の部分が分かれる形になっていました。これは二人の学校の様子と同じだと思います。剣、盾の部分がそれぞれ役者と裏方と捉えると、そのどちらも同時に学ぶ青嵐、どちらかに集中して学ぶ聖翔と、二つの学校の在り方を表しているようだとも考えられます。めっちゃいい武器。

あとはまた走駝先生の言葉ですが「良いものは分かち合いたい」って言ってましたね。#2での八雲先生の「良いものは盗め」って言葉に対してのものでしょう。そもそも八雲先生はあの言葉を本気で言ってるわけではないですし、正反対の考え方を持っているとしたら、八雲先生と走駝先生で良い教育者として考え方が一致してるってことになりますよね。いいね~~~。

自分が特に印象的で覚えてるのはこの辺です。あとは各演者さんの動きがとても良くて舞台としてもすごく楽しく見れました。八雲先生、足払いって攻撃として成立するんですね……。あんなもん現実的に無理だろって思ってました、勉強になりました。

だいたい言いたいことは言いつくしたのでこの辺にしておきます。

漫画化よろしくお願いします。

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