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治療始まる〜院内リハビリ

その2
昨日の初めての投稿からの続き。

さて、救急車で運ばれ何とか命は助かり、これからの治療方針など主治医の先生から現状なども説明くださる。先生曰く「脳幹に近い太い大事な血管が詰まってしまっていたから、年齢からいっても完全には良くならないし、ちょっと起き上がったり、することは難しいんじゃないかな…」とのことでした。
先生は、あまり無責任な事は言えないでしょうから最悪を鑑みてのことだったのかもしれません。 とはいえ今は昔と違い、このような状況でも身体をなるべく早いうちから動かします。
記憶は定かではないですが、1週間目くらいには先ずはベッド上での座位(座るを維持する)をできるように、リハビリ科のPTさん(フィジカルテラピーの略、理学療法士)と、OTさん(作業療法士)に脳疾患障害の典型的な後遺症である指が丸まり手指が開かなく固まってしまう(じゃんけんのグ✊ーの状態)のを防ぐためにベッド上での訓練が始まりました。

そして救いだったのは、父が私を「娘」だと認識できたこと。これはかなり救いでした。中には症状の状態も様々で、脳にダメージを受けたら認知症のような症状が強くでて、家族の顔の認識もできなくなったり、人格が変わったような様子になったりもよくあることのようです。

そして今後を決める大事な嚥下機能訓練(飲み込み) は、STさん(スピーチテラピー言語聴覚士)のもとで慎重に行っていただきました。父の最大の後遺症として意識は戻っても、自分から話せない状態、というのはどれほどの辛い思いだったのか…または、それすら感じないのだろうか… ある程度点滴にて病状が一定になった頃から開始、高カロリーゼリーを飲み込む訓練から。 スプーン3分の1くらいからS Tさんが口腔周りを刺激してから先ずはゴクッー喉仏のあたりを通過し、ゴックンと通過するまでの訓練。普通ならばいとも簡単に飲んだり食べたりする機能も、脳のなせる技 こうも大変なことなのか…と思い知りました。ちなみにこのスピーチテラピストさん(言語聴覚士)は、PTさん、OTさんよりも数が少なく病院内のリハビリテーションの先生方の割合としても少ないそうです。なので中には院内に在籍がない病院もあるみたいですが、こちらの病院にはお2人の方がいらっしゃいました。

基本は点滴での水分栄養補給の上でリハビリをする、という日々が1週間くらい続きました。

私は、先ず父のとにかく命は助かったこと、いまは回復に向けての訓練中でであること、父の手帳を見て記入されている予定をみながら分かる連絡先には、事情説明などしていました。現役退き趣味の集まりでしたからさほど大変でありませんでしたが、お見舞いなどは一応遠慮していただきました。やはり、本人が話せる状態ならよいのでしょうが…私の気持ちとして、変わってしまった父の姿を見せてしまうことに躊躇があっだから、というのが正直なところです。

一応この病院では家族の付き添いは認めてなく決まった時間に「面会」という形をとっていました。今は多くの病院は病衣なども指定のリースですし、家族がすることはないのですが、私としては、リハビリの時間に見学しに行くというのを毎日していました。右半身が使えないということは、ベッドから起きあがるのも人の手を借りないとできないので動作全部がリハビリの日々。

3週間が経ったころたびたび熱が上がり下がりの繰り返し。ほかに内臓の持病はなかったのですが、やはり飲み込み時に、少なからずうまく食道に入らず、気管に入り肺での炎症の熱だろう、ということですが肺にまだ肺炎といえるものではないと… そしてこのよくわからない熱については、悩まされました。

ここで、高齢者を介護する上で、または生活の中でもキーワードともいえる「誤嚥性肺炎」について、情報を記しておきます。

★簡単な説明としては口に入れたものは咀嚼し
舌の力で後方(ノド)へ送り喉頭から食道を通り胃に入ります。 誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)とは、ノドから食道へ行かず気管へ行ってしまうこと。
どうして起こるのか…? 普通健康な人も急いで食べたり飲んだりすると、ムセることがありますよね、すると反応としてゴホ、ゴホと咳をして何とか阻止しようとしますが、そもそも脳の機能が弱っていたり、喉まわりの筋肉の衰えがあると反応が鈍くなります。もっと重症化すると異物が入っても気がつかないうちに誤嚥してるなどの場合もあります。
先ず位置からして食道の前面側に気管がついています。気管の先には肺があります。肺に異物が入ると本来は空気しか入らないところですから、飲食分は異物なので炎症が起きるのです。 

私はこの時の父の病状から、飲み込み訓練を見てきたおかげで実は、今にして思うと、これから残りの人生において研究、啓蒙していくある意味、ヒントを得たのだと思うのでした。その最中はまさか、こんなことになろうかとも思いませんでしたが。

どういうことかというと…

私は声楽を研究してきました。専門は「オペラ」。年数だけで言えば音楽に携わり30年ほどでしょうか。このノド周りの筋力を使うことは 実は誤嚥性肺炎予防、しいては人生最後まで食事をとれること。人生の最後の時まで尊厳を保てる 人生の質を高めることにつながるのです。そして、以前は高齢者死因の中で「肺炎」と一括りに言われていましたが、近年は細分化され、「誤嚥性肺炎」が日本では大変増えてきているのです。 今にして思えば父の病状のおかげで、私のこれからのライフワーク?!のきっかけとなったのです。

やはり父の場合も知らないうちに誤嚥していたり、あとは何かしら体力の衰えで高熱がでてしまったのでしょう。脳梗塞の治療とは、急性期病院では血栓をうまく通すようになれば後遺症が残っても退院しないといけません。高齢者の場合や後遺症のリハビリをする必要があると認められたら、次の病院先をみつけるのが必要になります。

そこでの大きな問題がでていました。熱が続いたため、点滴での体力維持に戻る→ますます飲み込む筋力が落ちる→このままだと経口摂食は難しい… で担当医からは 選択肢のひとつとして「胃ろう」を勧められました。

この時は、本当に悩みました。
今日はここまでとします。
次回は、転院先についての悩み、長いリハビリの始まりについて記していきます。

拙い文章読んで頂きありがとうございました。


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