介護保険、介護者の疲労

今日は介護保険の話しから。
昨日の投稿では療養型病院の事を書きましたが、必要のない方には、おそらく耳にしたことはあっても、実際はどうするのか?と思ってらっしゃる方多いのではないかと思います。
介護保険: 40歳から64歳まで健康保険料とともに徴収されています(天引き) その金額は、健康保険組合(市区町村により)によって違います。
65歳から、申請して使用が認められば使用できます。実際に使用可能になれば本人負担は費用の1割(収入多い場合は2割に変わりました)を支払い介護サービス利用可能となります。

実際には私も無知でしたので分かりませんでしたが、療養型病院に入院するのは基本的には「要介護度」がつく患者です。父の場合はすでにどうみても身体の後遺症が続くだろうという見込みから、この病院に入ってからすぐ申請をして入院時には「介護3」とつきました。

当時は何も知らず初めてのことだらけで「そんなものか…」と思ってましたが、今考えればどう考えても介護4に匹敵しただろうなぁ、と。
といいますのは、介護保険を申請すれば介護認定といって、介護認定調査員という人が本人の様子や動作状況を確認しに来ます。
日常生活に必要な細かい動作、どのくらい可能なのかを調べにきて、判定結果は1ヶ月後にきます。 これが調査員により見立てに、かなり幅があるのでは…?と率直な感想です。

あきらかにある程度不自由はあっても何とかできる人が介護度が高くついたり(介護度数は1〜5 数字が高いほど重度) その逆もあり…。
豆知識としてお伝えすると、滅多にはないでしょうがあまりにも理不尽な、納得いかない場合は、介護度に対して、再調査 「不服申し立て」も可能です。その場合は違う調査員さんがまた認定するようです。

今、病気はなくまだ介護保険のお世話にはならなくて良さそうだけど、将来不安、、だとか
親御さんと今は住まいは別にされ急に倒れた時が不安、と思ってらっしゃる方は一度、その該当者さんが現在住まれている、地域にある市役所の介護保険課か、お役所には相談しにくいならば「地域包括センター」が何処にあるのかを頭の隅においておいてもよいかもしれません。または相談だけでもしておくと、もしもの場合の備えになります。
たとえば、「今はまだ、大丈夫そうだけど、年々物忘れがひどくなり…,とか薬もちゃんと飲めてるか心配…とか 買い物も重いものが持てなくなり億劫になり気味で食事も偏ってきて…」などを、地域包括センターの相談員、もしくはケアマネージャー、または民間の会社のケアマネージャーでも。いまは「介護度」にはいたらなくても場合によっては「要支援」という階級が可能かもしれません。

さて、この病院での期間で少し慣れたころ私のほうが、精神的に疲れが溜まってきました。治療はするわけではないし、一応毎日のように面会、様子を見に行っていただけですが精神的なストレスでしょうか… 原因は、この療養型病院にいつまでいられるのか、という事と、思いの外、回復の上限がある程度わかってきたという現実から、いつも「その先」のことが頭をよぎっていたこと。つまり完全治癒はなく必ず誰かの手を借りなければ生活はできないという事実でした。この頃病院に面会に来てる家族さんってだいたい同じ方で、毎回会う方がいました。そのうち、挨拶をかわすようになり、休憩室でちょっとした話しから、意外と情報交換など役に立ちました。
そこで、ご家族の介護で疲れたら先ずは、
「自分自身の健康を最優先、必ず少しでも自分だけの時間をつくりだす」
「できれば、同じ病を持つ人(家族)での情報交換、ネット、SNSなど通じてでも」
これだけでもかなり、違うと思います。私も当時はがんばらなきゃと、いう変な?使命感もあったのか意地もあったのか、本当に自分をニュートラルにしておかないと、何か大事な判断をする時に判断も誤ります!
先ず自分自身の健康があってからこそ!です。

父の方はこの病院にきてから、頻回にでていた熱も出すこともめっきり減り、とにかく、何でもいいから声を出させる、(自分の意思を伝えることできませんが) 模倣させる作戦で喉頭周りを動かさせるのを増やした成果あり、で
点滴なしで、なんとか流動食事から刻み食で食べれるようになりました。この件についてはまた詳しく書こうと思いますが、声を出さないでいると、喉頭、舌の筋力が落ち生活の質が下がります。特に高齢になったら、意識的に使うよう(無駄口でも)にしてるくらいがちょうどいい。認知症で何回も何回も同じ事を言ってる!?のも「ノド」を鍛えるためには、仕方がないか?くらいに。日本人が特に誤嚥性肺炎で亡くなるのは、男性の方が多いのも、女性に比べて大方無口になる傾向が多いためです。

それにしても、人間の生命力とは、不思議です。可能性があるうちは、とにかく歩みは少しでも、後悔はしなくてすみます。
結果的にこの病院では落ち着いてリハビリもできたこともあり、最大許される範囲ギリギリの
4カ月くらいお世話になりました。入院して3ヶ月になったころ、病院のケースワーカーさん、担当医師、看護士さんとの面談で、「この先…」の方針が話し合われるようになってきました。
もう、このまま居させてくれないかなー
という本音。しかし時間は過ぎていきます。

次は、終の住処について

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