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骨は折れたけど、心は折れない

「おー、こっち、 こっち! 元気かぁ?」
「ごめーん。遅れて。」
「今、ちょうどビール飲み始めたとこだ。酒は、お前が選べよ。」
「どう、体調は? 歩いてる?まだ目眩するのか?」
「うん。でも、もうずいぶん良くなった。放射線治療の副作用がよ~やく消えてきた!? って感じ。 ほら、見て。 髪の毛も生えてきた!」
「生えてきた!? 魅力的な響きだねぇ。」
「へっ!?」
「ハハハ、 ダメだよ。 SやMの前で、髪が生えてきたな~んて言っちゃ。こいつら、 もう二度と生えねぇんだから。なぁ。」
「えっ? あー そっか。 ハハハ」
そんなことを平気で言い合える同級生仲間との会食は、楽しく、毎回大笑い。
私以外は皆、まだ仕事をしている。そして、その傍ら80~90代のお母様の介護をしていて、その話で盛り上がる。
介護とまでいかないけれど、今は、息子や姪の助けがなければ生活は成り立たない私としては、耳が痛い。
ついこの間まで…と思ったが、実は、もう2年半も前のことになってしまった。店に立っていたのが嘘のように、突然の癌告知、手術、帰国、入院と、ドタバタだったので、なんの準備もできなかった。
ドクター達のご尽力と幸運としか言いようがない!お蔭様で、意識が戻り、幸いボケなかったので(都合の悪い時だけボケたフリしているけど)ビジネスパートナーやMとの交信はし続けている。
もちろん、残してきたスタッフにも毎日、Mを通じて「あ~しろ。こーしろ!」と口だけうるさいので、嫌がられてることだろう。
本当は、直接指示を出せないのが、もどかしい。、 直接、現場に立てないことが歯痒い。
病院通いと狭い部屋に掃除機かけて、洗濯するだけの日々。虚しくて、悲しくなってしまう日もある。
そう思っていることを、分かってくれたのかな。
「またな! 今は、 生きることだけ考えろ。とにかく生きることを諦めるな。生きてれば、また皆で温泉行ける。 こうやって一緒に呑んで笑える。生きてれば、それだけでいいんだからな!」
「うん」 それ以上、何も言えなかった。
大袈裟だなぁと思ったし、「Sってそんなキザなこと言えちゃうの〜」っと茶化したかったが、 嬉しくて何も言えなかった。

そして数日後、 めずらしく、 いや、訂正 久しぶりに昼から軽く呑んで、 ほろ酔いで、 しばしお昼寝。
あー、気持ちいい。 夢は 海辺のプールサイドで、ウンピン(インドネシアの木の実せんべい)をチャべ(チリリース)つけて食べながら、ビールビンタンを飲んでる。 生ぬるい潮風が心地良い。

そこへLineの 受信音。
めったに気付くこともないのだが、なぜか気がついて開くとFくんから。
“クニコさん、もういないんですよね。とてもさみしいです。”
???
もしも、これをご子息 が読むことがあるのであれば・・・ ???
息子じゃなくて、本人が読んでますけどー!どーゆーこと?
”どしたの? 私、生きてるよん!”
すると、Line電話がかかってきた。
なんでも、旧T社ジャカルタ駐在員の間でクニコ死亡説が流れたので、確認したとのこと。
「ちょっとぉーー、カンベンしてよ! どっから出たの?その話?」
「これ、本当にクニコさん本物だよね?良かったー! ホント良かった!」
「先に、誤報ですって、止めるから、ちょっと待ってて、本当に申し訳ない!」とにかく、火元はどこなのか?と聞いたら、なんとインドネシアだと言う。
インドネシアのジャカルタの店にはMがいるから、 そんな話は出ないだろう。 あっ! チカランのA○○A 店に私がずっと居ないからか?
チカランのA○○AのMさんにWA(WhatsApp)した。” ご無沙汰してます。ひょっとして、 そこでクニコ死亡説の噂が広まってますか?”
”えっ、 初耳です。”
ーーー当たりめぇーだよ! 3回目ですとか言ったら殴るよ!
その後、火元を辿ってみると、 旧T社、現在もインドネシアにお住まいのYさんだったと発覚。
WA callした。 「それはね、△社のMさんが久しぶりにインドネシアに来て、ゴルフをやった →クニコが死んだと聞いて →日本にいる旧T社のOさんにメールで流した →Oさんが、インドネシアにお住まいのYさんにメールした→Yさんは、そのまま旧T社Kさんに流して、Kさんが元部下に確認させた。
全容が解明してすっきりはしたが・・・ 勝手に殺されたあたしゃ、どーなるの?

「なんで、その時、確認してくれなかったんですか?」と噛みつくと、「なんで、 クニコさんにそんな風に言われなきゃいけないの?なんで僕が、確認しなきゃならないの?」
えっ!?
「わかりました。ありがとうございました。」と切った。
その時、
私は気付いた。
70も過ぎれば、 「Aも逝っちゃったなー。Bも亡くなったんだってな。 あー、そうそう。 昔、 ジャカルタのうちのオフィスがあったビルの地下にあった店にクニコさんっていたじゃない?
「あの人も死んじゃったんだってよ。」
「へえ、そうなんだ。」 という流れで。 彼らに、何の悪気もなかったのだろう。その流れで何で昔行ったメシ屋のオバチャンの生死なんか確認する?! そらぁ、しないわな。ってことか。
アホらしくて怒る気も失せた。
それより皆様、ご健在で何よりだ。

私は、学んだ。こういう話を、せんべいの値段が上がった。こっちは、まだだ。
のようにフツーにうわさするバアサンになりたくないなと。
私には、私を刺激してくれる美しくて、まだまだアクティブな先輩方がいる。相談したら、応えてくれる年上友達がいて、良かった。
今、改めて思う。
癌になって、身体も思うように動かない。昔からやってる前夜に書き出すTo doのうちやれるのは、1つか2つ。何も出来ずに終る日々。
歯痒い。もどかしい。
それでも、とにかく 生きろ! と言ってくれる同級生がいて、私の死亡説が誤報であるとちゃんと確認してくれる年下ボーイフレンドがいて良かった。
「もう、笑ったよー」と話したら、我が事のように憤慨して「ひどい!私が、今度、Yさんをいじめときます!」 と言う年下ガールフレンドがいる。こわい、こわい!

友達って性別とか年の差とか関係ない。ましてや役職と地位とかじゃない。
その人とどれだけ、温かい気持ちで接した時間を持ってきたのか?なんだと思った。
先日、風の強い日だった。
外に出たくなかったが、足腰が弱るのが嫌なので、せめて近くのドラッグストアまでちと買い物に...と思って歩いている時
ビュー!!さぶっ!! とふるえた瞬間。
びゅん!?飛んだ?畑の周りを囲んでいる鉄柱にぶつかった。イッタァーー!
でも、
普通に動くし、たいしたことないと思っていたが、2~3日後、腫れてきたので、整形外科へ行ってレントゲンを撮ったら、手の甲の骨がちょっと折れていた。
どんだけ、か弱いの。ワタシ。 とほほ
でも
骨は折れても、私の心は折れない。
私には、温くて、優しくて、固い 友達というギブスがあるから。


(蛇足ながら…)
後日、この間、こん事があってさー、笑っちゃうでしょ?この携帯にご子息様にLine 入るかもだから、そん時はよろしくね。ご子息様!
っと、長男の腕を叩くと
俺、笑えないんだけど...

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