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ビジュって言うな、今すぐ死ね

 ビジュっていうことばがマジで気持ち悪くて絶滅してほしいと思いつづけてもう4年くらい経つんだけどいっこうに絶滅しそうにないし今さらビジュってことばに逆張りして気持ち悪がってるのも古いし遅れてるみたいな雰囲気すら出てきてるから早くビジュって自然に言えるようになりたいんだけど普通に他人の見た目の良し悪しをビジュってことばでコーティングして気軽に言えてしまうのが気持ち悪すぎるしていうかビジュという概念に逆張るのは古いみたいになってるの自体が皆が言ってるからセーフみたいな話でビジュってことばの手軽さが他人の見た目をコンテンツとして扱うことを加速させてるのがおかしいってことはなんにも解決してないしせめてまっすぐ顔が良いとか悪いって言いたいでしょどう考えてもとかいまだに思ってしまってるその全部を早くやめたいのにみんながビジュって言うのをやめることがないからおれはイライラして死ねとか思うけどこの世界では死ねの方がビジュより悪いことばってことになってるから言えなくてだいたいビジュなんてことばはオタクが見た目で売ってるアイドルとか褒めるときに使うことばで一般人相手に使っていいわけないだろって言いたいのにそういえばおれは仕事でYouTubeなんてやってるから誰かがおれにビジュってことばを使っても文句は言えないんだった。



 小さい頃から家でも学校でもほとんど見た目を褒められたことがないまま親に鼻が低いと言われてみたり目が一重でかわいそうと言われてみたり歯並びを矯正しなさいと言われてみたりしながら塾に入って勉強をしつづけて12歳ですごい難関の男子校に入ってしばらく男の子だけで遊んで暮らしているあいだ男たちが平気で他校の女の見た目をバカにしたり皆で褒めたりしてるのが死ぬほどキモくてこいつらのちのち医者になってちょっと金持ちになるのが決まってるだけで中世の王様になった気分かよとか思ってそのあとちょっと勉強して18歳になって東大に入ってそれくらいからキモい男だけじゃなくて普通に女も他人の容姿を評価して悪口とか言うんだなって気づくようになって初めて恋人ができるも特に容姿を褒められることもなくとにかく女の子に優しくできるところが評価されているっぽいなと思うようになり22歳でYouTubeをはじめたくらいで顔のかわりにビジュということばが流行りだしてこんなに視聴者がいるのに歯並びの綺麗さ以外でビジュを褒められることがほぼないと気付いてネット上ではビジュが終わってる側のスタンスでおもしろに昇華する感じをやっていった方がいいのかなと気付いてさいきん髪型を坊主にしたらこれがネット民にはおもしろいのかイジられまくりの大好評であげくの果てに坊主にしてから初めてやったYouTubeの配信のコメントではこいつイケメンが坊主にしたときみたいなスタンスだよなってコメントに50件もいいねがついてて何やってんだろう全員死んだらいいのにってなるけどそういえばYouTubeをはじめたての2020年春頃もたまたま坊主にしててそれから4年間のあいだ坊主の頃の方が良かったとか色気づいておもしろくなくなったとか飽きるほど言われてきたからたぶん皆ビジュが悪いやつがおもしろいことを必死で言ってるのとか好きなんだろうな。



 もちろん別に今さら自分の見た目に興味も関心もそんなにないから普段いちいち気にもしてないけどなんかそういうイジられ方とかコメントとか重なるごとに自分の魂が腐っていくような感じがしてイライラするし冷静におれ自身について考えたら別に見た目として普通の範疇なのでそんなに本気で悲しんでるわけでもないのに自虐して毎日整形考えてる女の子とか生まれつき奇形のある男の子とか年取って禿げかけてるおっさんとか本気で悩んでる人が見たらどう思うんだろうネタにしてること自体が社会にもうあるビジュどうこうみたいな規範を強化してるんじゃないかって気持ち悪くなるけど人を笑わせたりいいねを稼いだりするのが仕事なのでそういうのもやるしかなくておれが強化した規範のせいでこれから傷つく12歳の頃のおれとか19歳の頃のおれの恋人とかごめん。



 この前たまたま風呂上がりでYouTubeの動画に写って顔がスッキリしてた日があってこの日はビジュがいいねってコメントに書いてあったからじゃあ普段はこの日よりイマイチだと思われてたんだなとか新鮮にびっくりしてしまうけど意外とそういうコメントをしてくるのはだいたい女の子でTwitterとかYouTubeで容姿について酷いこと言ってくるのも意外と女の子が多くて男がキモいのは当然として普通に女もキモくて本気で他人のビジュを褒めたり貶したりしてんだなーなんでなんだろうとか思ったときに男より女の方がキモいやつにジャッジされ慣れてるから他人をジャッジすることに対するハードルが下がっててそんなに悪気なくそういうこと言ってるのかなーそれを自分でやってて怖いと思わないくらいこれまでキモい男とか女にジャッジされてきたのかなーとか考えてしまって今まで俺が自分の友だちとか恋人たちにしてきた傷つけないための思考ってなんだったんだろうってなるけど俺が1回のジャッジで傷ついてるあいだに女の子は100回ジャッジされてるんですかねごく一部のキモすぎる男が見た目のことばっか喋るせいで俺自身は一回も女に向かって今日はビジュが良いとか今日はビジュが悪いとか言ってないのに今日もネットでビジュビジュ言われてんのかなと思って苦しくなるしそれを女の主体的な意思とは別にある傷みたいに捉えるのもおれの傲慢な気がしてとにかく厳しいっていうかこういうこと書くと男女論大好きなネットのキモいやつらの餌食になるのでこれ以上は考えたくない当たり前すぎるけど女はこうとか男はこうとか本当は言いたくないし書きたくないし考えたくない



 見た目が好みの女の子におれがいままで無意識にしてきた優遇とか見た目が好みの女の子におれがいままで無意識にむけてきた視線とか見た目が好みじゃない女の子と話すときに無意識に下がっているかもしれないおれのテンションとか初対面の女の子の見た目が好みかどうかを無意識に判断しているおれの心臓とかのそれらすべてが気持ち悪いと思ってやってきた自己嫌悪とか不完全な気遣いとかぜんぶ意味ないじゃんおまえらの方からこっちにビジュがどうこうとか言ってきたらさあってなるけど男が見た目にコンプレックスありますみたいな感じでやってても誰も同情も心配もしないので今日も自分の見た目をインスタントな笑いに変換してこの気持ち悪い世界を温存しつづけてみてるけどそうしたらそんなに自虐しないでください私は好きですとかそんなこと言ってるところ見たくないですとか言われてじゃあもうどうしたらいいんですか俺は生まれてからビジュがずっと悪いから勉強しておもしろいこと言って再生数も増やして留年して自虐していいね稼いでそれしかやり方がわからないんです



 整形したいってずっと言い続けてたし整形垢みたいなよくわからないTwitterアカウントを毎日漁ってた何年も前の恋人におれが何回おまえは世界でいちばんかわいいって言っても過去のキモい男たちがブスって10回言ったせいでおれのことばは信じてもらえないしその恋人が自分がされたのと同じように他人をジャッジする癖はなくなることがないしおまえはこれからも整形のことばっかり考えて生きていくのかとか思ってじゃあおれは誰を恨んだらいいんだろうってなるけど埋没で二重になったおまえの目をみておれはかわいいなと思ってしまう



 そもそも生きてておれが他人をジャッジする権利なんかあるのかってずっと思うし他人にジャッジされたくないともずっと思ってるしだからキモいやつにジャッジされないためには勝ちつづけるしかないからそれで東大まで入って本も出してYouTubeも伸ばしてんのにいまだにおまえは終わってるとか東大がピークとか医者失格とか言われてるのがウザすぎるけどそういうやつに対していやおれの人生より普通におまえの人生の方がどう考えてもしょうもなくないかとか思うのも絶対間違っててもし俺に勝ってるやつがいたら俺のことをわざわざジャッジして否定しないだろうからたぶん俺はそいつら全員に勝っててその勝ってるってことば自体どういう意味なんだよって思うし普通にこの文章でもおれは他人に向かってキモいとか死ねとか書きまくっててマジでもうどうしようもない。



 ていうか最初からおれのことをジャッジできると思うならやってみろよって感じでおれはおまえがジャッジしてるその目をいつでもまっすぐ見返すことができるしこの文章自体もおまえはジャッジしながら読んでるんだろうけどそのおまえ自身のことをおまえに問い返すためにおれはこの文章を書いてるしおまえはここで胸に手を当てていろんなことを考えるしこの文章は読みづらいからおまえはこの文章の「「「ビジュ」」」が悪いのが気になるかもしれないけどおまえにおれの文章の「「「ビジュ」」」が良いなんて一回も思ってほしくないから俺は絶対に読点も書きたくなかったし記号も書きたくなかったし読みやすくてわかりやすい文章なんて絶対に書きたくなかった。



 死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、他人の使う悪いことばが嫌いでイライラしているのに、同時におれは頭の中で、もっと悪いことばを使うのがやめられない、他人の見た目を評価するのがやめられない、他人の知性とかセンスを見下すのがやめられない、そのたびに死ねって思う、誰に死んでほしいとかない、死ねって思うだけ、ビジュって言っても怒られないけど、死ねって言ったら怒られるから、いつものおれは死ねってことばをあたまのなかで濾過する、だからおれの頭の中は悪いことばでいっぱいになる、だけどここでだけおれは悪いことばが言える、おまえは読みたくなければいつでもこのページを閉じていい、死ね、誰かが悪いことばを濾過しないで使うたびにおれは死ねと思うけど、それは誰にも言えない、頭の中がぐちゃぐちゃになる、おれにビジュって言ってくるやつは死ね、おれの文章をジャッジするやつは死ね、おれの文章を読むやつは死ね死ね、今すぐ死ね、もちろんおれが最初に死ぬ、もちろんおれだけが死ぬ。

グラドルはリッツ・カールトンで自撮り 僕は過激な私刑がほしい

青松輝


エッセイ「の最新のヴァージョン」はnote上で連載し、
晶文社から書籍化することを予定しています。

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