短歌という魔法
魔法は存在するでしょうか。存在しない、と答えるべきでしょう。歴史的に、魔法のように見えたものはいつも、あとから科学によってその原理が解明されてきたからです。
しかし、私たちが詩に求めるものは、それが見せかけであったとしても〈魔法的な何か〉です。「短歌を書く人にはこのように世界が見えているのか…」という読者の驚きにみちた声は、作家の〈魔法的な才能〉を前提しています。
作者には魔法が使えるでしょうか。いいえ、と答えざるをえないでしょう。書くときは、つねに何かしら計算が働いているし、さんざん働かせた計算のすえに、くだらない一首を作ってしまうことが殆どだからです。
しかし、ときどき、魔法のような一首に出会うことがあります。それは他人の短歌だったり、自分の短歌だったりするのですが、自分でもそのときは何を見ているのか分からず、光っているのはマジカルな瞬間で、それは生きることの魔法みたいな一瞬にも似ていて、すぐに忘れてしまうから、欲しくなるのは次の魔法です。
つまりおそらく、私たちは、詩学を必要としています。
青松輝(2022 7/27)
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7/27に大阪・ラテラルで歌人の初谷むいさんとトークイベントがあります。〈短歌という魔法〉というタイトルです。配信もあるのでぜひ!
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