個人的自由民主主義観
今回の暗殺の件で「民主主義に対する挑戦だ」のような言説が見られる。これは随分怪しい議論で、武装権など実力による変革を想定することも抵抗権として民主主義の一部だという見方もできるが、ここでは実力による現状変更は民主主義の破壊、挑戦であるという世界観が正しいと仮定しよう。しかし彼らはこうも言う。「自由民主主義の破壊は、絶対に何があっても止めなければならない。」と。これらのタチの悪いところは自分たちの利益のため、ではなく「全」人類にとってこれらが望ましく、正義であると心から信じて口に出しているところだ。自らの道徳的正義の確信度合いを考えればこれほど厚顔無恥な行為もなかなかない。
ところで、「無敵の人」が人口に膾炙して久しい。社会的に失うものが何も無いために犯罪を起こすことに何の躊躇もない人を表すインターネットスラングである。彼らの人生には希望がない。「無敵の人」が犯したといわれる様々な事件で彼らのほとんどは就職氷河期世代、そうでなくとも金銭的に余裕があるとはとても言えない人々である。私はかつて官僚を目指していたのだが、試験突破のための学生間の自主的な勉強会に参加した。その時、おそらくこの先忘れることができない出来事に触れることになった。「多様性を尊重する社会」の実現のための施策を論述せよ、という過去問だったのだが、テスト答案とはいえ、ガチの「底辺」を見ている政策を出す学生がいなかったのだ。リモートワーク推進、職場への託児所併設、ジョブ型雇用の推進。確かに、確かに、重要で、求める人が多い施策だろう。しかし、ホワイトカラーでないとリモートワークなんてできないし、子供持てるだけの「強者」でないと託児所は意味をなさない。ジョブ型雇用では生きるのに必死で数十年間碌にスキルの取得機会がなかった底辺中年にとっては地獄である。かく言う私も解を見つけることができず、苦し紛れにベーシックインカムなどを提案したが、「革新的すぎて官僚は嫌いかも(笑)」と言われ辛すぎて泣いてしまった。(余談として私より圧倒的に優秀で、官僚に進まなければ何倍もの生涯収入を叩き出せる人たちが、自ら進んで公僕になりに行ってるので心から尊敬している。)これは官僚の卵たちの話だったが、今の政策を見ると、政治家も氷河期世代とかいう負け組底辺中年は見ていない。彼らには一生ワープアか自殺するか無敵の人と化してして暴れるかぐらいしか選択肢がないのである。これは他人事ではなく、かつてよりも高齢者の票が重視されるなか、コロナ禍就活難世代もここで失敗すれば「自己責任」の名の下なんの保障もなく社会の吹き溜まりへと追いやられることは目に見えている。
これでも自由民主主義は絶対的に正義で、それに力で反抗するのは絶対的に悪と言えるのだろうか。現状を維持し、暴力による変更を認めたくないというのは強者の論理でしかなく、ポジショントークでしかない。「暴力による変化を否定するのであれば、「他者を精神的・金銭的に追い詰めて健康を侵害する」行為もまた同程度の量と瞬発性を持って罰せられるべき」であるが、政策は我々民主権力側が是としたことなので罪には問われない。
私にとってみれば、絶対王政も利益者にとっては正しいし、同価値で自由民主主義も利益者にとっては正しい。功利主義などで後者を肯定し得るかもしれないが、憎しみに満たされた失うもののない人々にとっては、それは一方的な屁理屈でしかないだろう。我々強者かつシステムの利益者は、そのような人々を踏みつけて平穏と秩序を得ているということは疑いのない事実で、ただ踏みつけている自覚がなく、現状の秩序が当然かつ絶対正義だと思っているのはマリーアントワネットと変わらない。中立であるというのは欺瞞であり、その事実と向き合った上で、踏みつけた者たちに首を落とされるのをしょうがないと受け入れるのも、既存の秩序の死守のため努力するのも価値観の問題だと思う。人間は結局自分の幸せ以外の尺度を持たないのだから。
自由民主主義の名の下の弱者弾圧に憂慮しつつ、一人の日本人の死を悼む。
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