ザリガニ釣り
「バスに乗りたいの」
娘が突然口にした言葉は、都合よく目の前に停まっていたバスに乗りこむのに十分な理由を与えた。バスは、すぐに僕たちを池のある大きな公園まで連れて行ってくれた。
着くなり、娘は足で漕ぐタイプのボートに乗りたいなどと言い出す。ボートに乗った。汗だくになる。開始三十分でお父さんの体力はゼロになった。
とりあえず休みたいから、アスレチックで遊ぶ前に、ザリガニ釣りをサジェストする。承認を得たので、売店へ向かう。
「タコ糸はありますか?ザリガニ釣りがしたいんです」
店員のおじさんに聞くと、
「なら、こういったものがあるよ」
とサキイカとタコ糸のセット商品をすすめられた。完全に需要を満たす品。文句の付け所がない。GAFAも顔負けである。
そのへんの木の棒を拾ってタコ糸をくくりつけて、糸の先には重りの小石とさきイカを結べば立派な釣り竿の完成だ。
さて、やるからには大物を釣って娘をおどろかせてやろうじゃないか。狙うはマッカチンの名に恥じぬ、大きなオスだ。
しかし思うような結果がでない。釣れるのは大人になりきれていないサイズの、大海(大池?)を知らない、イキったザリガニだけ。
大きなオスがいないわけではない。エサにもかかる。だがやつらは決して自分のポジションから離れない。どこまでが餌に飛びついていいラインなのかを心得ているのだ。器用にちぎったさきイカを頬張りながら、水面下で僕をあざ笑う。
さすが、大物は格が違う。
否、狡猾なザリガニだけが大物になったと考えたほうが正しいのかもしれない。
悔しい。
気がつけば娘などそっちのけで、それどころか、もはや周りの目すらどうでもよく、橋に寝そべりながらザリガニ釣りをするおじさんが爆誕していた。(妻は恥ずかしそうに僕を見つめている)
結局、何回挑戦したところで大物を釣ることはかなわなかった。娘はとっくに興味を失っている。あえなくタイムアップだ。
自然界の厳しさを教えてあげられたということでひとつよろしく。
ザリガニ釣りによって少し体力が回復したので、その後はアスレチックで娘を遊ばせて、帰路についた。
帰りのバスで、なぜか僕はやたらと充実感を感じていた。
思えば僕が子供の頃は、こうしてずっと(ほんとうにずっと)、草むらの中で生き物と戯れていたものだ。
本当に楽しいと思えることというのは、案外更新されないものなのかもしれない。
幸せはタコ糸とさきイカで買えるみたい。
生きられそうです