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女の人と付き合うということ

私は女だ。そして、女の人と付き合ってきた。男の人とも付き合い、結婚もした。その両方に、微塵も違和感を感じない。だから、世間が言う、バイセクシャルというものになるんだと思う。


バイセクシャルは、ところで、じつは本命がいるのだという。男と女を平等に愛することはないとされていて、バイセクシャルのほとんどは実は同性愛者で、カモフラージュの本能が働いて、無意識のうちに異性も好きになっているという場合が多いらしい。


私で言えば、本当はレズビアンだけれど、それを認めたくないから男の人も好きになっている状態、ということ。果たしてそうなのか自分でもわからない。夫にそのことを話すと、浮気さえしてくれなければどちらでもいいよ、という。自由の国出身の人でよかった。


コーヒーとケーキみたいなもの、とよく思う。人をもので例えるのはあまり好きじゃないけど。コーヒーだけ飲んでいたら甘いものが食べたくなるし、甘いものを食べていればコーヒーが欲しくなる。人はそれをよくある言葉で「無い物ねだり」と表現するだろう。自分でもそう思ってきた。それを話したら、とあるトランスジェンダーの人に、「それは無い物ねだり、というわけではなく、単に、二つ揃えばより幸せになれると知っているのね」といわれた。その言葉に何度も救われたな、と思う。


私は、同性を好きになって苦しんだタイプではない。差別も受けたことがない。だから、ちょっとテーマが違うかもしれない。セクシャルマイノリティーについて聞きたい、という人の期待には答えられないかもしれない。私は自分の性を楽しんだだけで、苦しまなかった。


高校生の時に初めて女の人と付き合った。もちろん周囲には隠していたし、今もnoteでしか書かない。高校生の時は、それなりに葛藤があったと思う。異性を好きになろうと努力したり、好きでもない子に告白したりした。本当に好きになる場合もあったし、付き合ってもいいなと思った。けれど実際に付き合ったのは、年上の女の人だった。


家族には言ってない。みんな気づいているのかわからないけれど。ばあちゃんに言ったら、気持ち悪りぃ、というだろう。それは世代がそうさせるのだから、ばあちゃんは悪くない。でも、同性愛やトランスの話を聞くと、ばあちゃんは必ず、気持ち悪りぃ、という。だからいわないようにしておく。


どうしていきなりこんな話をしているのかと言えば、ZINEだ。私は先日話したように、ZINEを作る計画をしている。


作るにあたって、どうしても、避けて通れないのが自分のセクシャリティーだった。旅をした記録を本にしようとしているのだけれど、旅の最中に付き合ったのが、男よりも女の方が多い。そうなると女性との思い出の方が多い。だから、女性との関係を書かないと、なんだか思い出が不自然な途切れ方をするのだ。


ただ、迷うのが、それを安易に載せていいのかどうか、ということだ。私はそれで私につきまとう「普通じゃない」イメージは、別にどうでもいい。そんなのはもう慣れたし、昨今、さほど特別なことではないと感じるから。それでも、なんの躊躇もなく、あいよってなかんじで載せるべきかどうか、ちょっと考える。


でもまあ、(ここまで書いておいて、簡単に答え出しすぎだけれど)載せるだろう。載せないと何も語れない。男の人との思い出だけでは全く物足りないし、それこそ、コーヒーだけを出しているような気分。せっかく、読みたいと言ってくれるお客様がきてくれたのだったら、特別にコーヒーもケーキも用意しておもてなししたい、と考えるのは、当然のことだ。なにより私も、きちんと書きたい気持ちがあるのだしね。


それに、こういう話をすると結構多くの女性が、「実は私にもそういう経験がある」と教えてくれる。その通りだと思う。新しいクラスに入って、友達になりたいと強く思うのは大抵、同性じゃないだろうか。憧れたり、近くに行きたかったり、匂いを嗅いでみたかったり。


目が好きだったり、鼻が好きだったり、なんというか、理由もなく惹かれる気持ちは、異性に向けたそれとほとんど変わらないものだと思う。もちろん年が大きくなるにつれて、対象は異性になるのかもしれないけれど、もともとは、同性で感じて、違和感がなかったはずだ。


そう考えてみると、やっぱりこれは、そのほど特別なことじゃなくて、普遍的なテーマとして出していいような気がする。


同じ歳の友達が、女の人の体に興味を持ち始めた、という。ヨガをしていて、男性と同じ部屋でするのはなんだか違和感があるのだけれど、女の人とするのは凄く安心感がある、というところから、体はどうなっているのか、もうちょっと近くに行きたい、見てみたい、という気持ちになって、自分でも戸惑っているそうだ。


私は、戸惑ったことがあまりないので、その気持ちがわからない。けれど、言えることは、それは当然のだということ。人間はお互いに惹かれあって、時に突き放して生きていて、世の中には「どうして私にそんなことを言ってくるんだろう」なんて意地悪が人がいるのと同じように、「どうして私はこの人のことをこんなに好きなんだろう」というひとがあらわれる。そこが美しさだと思う。


だから彼女には、存分に、その神秘を味わってみてほしいと思う。



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