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保護犬を飼うということ

朝、熱いほうじ茶を飲んだら、たちまち暑くなってしまった。

お盆が明けてから、朝夕が少し涼しい。でも、こんなことをするのはまだ早かったみたい。

足元にイヌが寝ている。
今年の正月までは、うちには真っ白いイヌがいた。ラブラドールの女の子で、出生がイギリスの犬種であるせいか、毛が濃かった。今年の夏も辛いだろうなあ、と思っていたら、逝ってしまった。13歳、とても長く幸せに生きた。

その3ヶ月後に、いまのイヌを見つけた。
私たちが見つけたのではなく、誰かが通報した。


「山の入り口に、ものすごく足の速い動物がいる」
「狐や、イタチにしては大きい。まさかオオカミの子供なのでは」

オオカミって。大げさな人もいるものである。長野の山付近に住むならそれくらい覚悟せよ、と言いたいが、そのおかげでこのミニ・オオカミが見つかった。


ジャーマンシェパードと柴のミックス。うちでは「シパード」とか「シバード」と呼んでいる。


ミックスだから、常に振れるのだ。キリリとした顔つきをしてるなと思ったら「シパード」。目を丸くして笑っていたら「シバード」。



この顔はシバード


「あ、シバードになった!かわいい」とか「お、シパードになってる。考え事してんのかな」とか、私たち家族は彼女の二面性を楽しんでいる。


でも、なぜかうちの弟の膝の上では、思いっきりシェパードになる。それも警察犬のような。


ポリスモード



普段♪




ポリスモード





◼︎



今年の4月。次は保護犬だ、と弟が言い出した。

うちの弟は、セントバーナードにそっくりである。イヌをやたらに欲しがるのはイヌ同士、なにか分かり合える部分があるのかもしれなかった。


私は今年のうちに引っ越すので、あまり賛成できなかった。仲良くなり過ぎたら、お互いに悲しい思いをするだろう。でも弟がどうしても、というので保健所についていった。
世話好きそうな女性が案内してくれた。エガミさんといった。


エガミさんはボロボロの作業着を着ていた。古いんじゃなくて、噛まれたようだ。保護室、と書かれた鉄のドアを開けると、中にはたくさんの鉄格子がありイヌが5匹ほどいた。


この子は保護先が決まっています、この子はまだ着たばかりです、この子はトイレがなっていません。鉄格子を開け、戯れ、目を合わせ、舐められたり握手したりした。


一匹だけ、紹介してくれなかった。みんな、かわいい首輪をしているのに、そのイヌはしていない。つまり、散歩に連れ出していないということだ。一番奥にいる、すごく唸ってるやつ。エガミさんはそれを背中で隠すように立っていた。


保健所で犬を選ぶというのは不思議な体験だ。自ら痛みを求めるようなもの。
犬が5匹いて、1匹選んで連れて帰れば、残りの4匹は選ばないということになる。当然、4匹にはそれぞれ「期限」があり、それが過ぎれば処分となる。

すべての犬に会うのが、礼儀ってもんだ。
なぜかそう思っていた。弟も。だからもう一度行った。暴れすぎて顔がよく見えない。よだれを垂らし鉄格子から鼻を突き出している。弟が近づき、フリースはすぐに破れた。

やめてください、離れてください。

エガミさんは嫌そうだった。素人が、勝手なことするなよ。そう言いたかったんだろう。


背中の黒い毛は総立ち。目がつり上がっている。でも、柴らしい白い靴下を履いていた。

興奮しているから、今日はおしまいです。
エガミさんはきっぱり言った。彼女に従って鉄のドアを出る。出るとき振り返って、

モモ、また来るね

と言ってしまい、自分でも驚いた。恥ずかしさのあまり、頭に血が上りぎりぎりと痛い。さっさと挨拶をして車に隠れた。


もう名前をつけてたんだね、と弟に言われるかと思ったが、何も話さないまま家に着いた。


◼︎



次は対決だな。なんとなくの予想は的中した。


この子は対象外なんです、と言い張るエガミさんをどう説得しようか、というのが弟と私の課題だった。
エガミさんもまた、私たちをどう説得しようかと考えあぐねているようだったが、覚悟を決めたように言った。



他にも助けを待つ犬はいます。気に入っていただけたのはありがたいこと、でも諦めてください。

もう何度もこのやり取りをしたんだろう、彼女はあまり感情を込めずに言った。


どんな事故があっても責任が取れません。大丈夫だ、と連れて帰って、取り返しのない事故になった事例は山ほどあります。かわいい顔をしているうちは、みなさん可愛がってくれます。でも、ひとたび被害を受ければ、人は手段を選びません。悲惨な結果となり「最初から渡さなければよかった」と思ったことはこの20年で数え切れません。

そして、エガミさんは言った。力を込めて。


この子たちは、すでに大きく裏切られたんです。その傷があるのに、それをまた再体験させるのはあまりに酷です。そんなことなら、ここで処分を待つ方がずっといいでしょう。下手に生き延びることが全てではない。ここで最期を迎える方が幸せな犬だって、なかにはいます。


エガミさんは「これは仕事なんだ」と言い聞かせていただろう、泣かないように気をつけているようだった。


お見せしてしまった私の落ち度もあります。申し訳ありません。


ノックアウト。終了のゴングが鳴った。
これで、みんな諦めるんだろう。私も諦めた。この人の言う通りだ。無理に連れて帰って、うまくいかなかったら?自分や家族が大怪我をしてそれでも心から可愛がれるか?



ペットショップの犬と保護犬は明らかに違う。傷を癒す難しさなんて、この歳になれば痛いほどわかっているはずだ。
どうせ悲しい結末なら、ほかを選んだほうがいい。他の犬を連れて帰り、モモの分まで可愛がって育てよう。モモはここに残る。その方がいいんだろう。


いや、それは違うでしょ。


背後から弟の声がした。とても低くて、すこし明るい声。

どんなに傷つけられたって、死んだ方がマシなんて。そんなことあるわけないでしょ。



◼︎



どうしてモモ、と名付けたんだろう。
可愛らしい、とも、女の子らしい、とも思わなかった。
丸っこくないし、むしろ鋭利だった。あのいい匂いがするみずみずしい果実は、このイヌに全然あわない。


でも、そんなことを考えてる暇はない。
とにかくモモはうちに来た。


襖をぶち抜いて、やってきた!



これで3枚目!いえーい!


大暴れ、噛み付き、唸り、飛び回り、攻撃、破壊、飛びつき、ひっかき。もう何でもあり。
注射して、去勢して、怯えてまた吠えて、噛み付いて壊した。

特技は体当たり。アタックナンバーワン、というあだ名がついた。



突き破ってやったぞ♡


誰に何と言われようと構わない。うちにはうちのやり方がある。
「こらモモ!やめなさい!」なんて、全く効果がないってことはすでに学んでいる。


うちの教育方針は、こうだ。

がーんばれ、モモちゃん!
がーんばれ、モモちゃん!

手を叩いて盛り上がる。家中を飛び回り、壁に激突するイヌ。

がーんばれ、モモちゃん!
がーんばれ、モモちゃん!

布団カバーが敗れ、壁に穴が開く。障子の骨が折れ、網戸が外れた。
それを全力で応援する人たち。異様だ。


でも不思議と効く。うちに来て4ヶ月のいま、モモはゆったりと生きている。つり上がった目がぱっちりと丸くなり、ピンと張ったままの耳をくる、くる、と動かすようになった。


いま、くるくるしてます!




🍑




うちの家族にはゲームがある。

ある日、犬好きのギャングが襲ってくる。そっくりの犬を100匹連れてきてうちの子を紛れ込ませる。
「どの犬か当ててみろ、さもなくば連れ去るぞ」と言われたら、どうする?


初めてのイヌはダックス。乳首が一つ、潰れていた。
2匹目もダックス。耳の内側に一本、すごく長い毛があった。
3匹目のラブラドールは前歯が片方、ほんの少し短い。


つまり、うちらだけ知ってる特徴を探すゲームだ。


母と弟、私の3人で体じゅうを点検すると、モモはおとなしくしていた。触られるのがすっかり好きになったみたいだ。ころん、と横になり手をぐーーっと突き出して伸びをした。

あ!これだ!!

みんなで叫んだ。


肉球がおにぎりみたい!



◼︎



夜、お隣さんが花火をしていた。モモは唸った。
「久しぶりに孫が来たんだよ」
撫でて、キスをして、そばにいる。打ち上げ花火、子供の声、唸る。バナナを食べて、寝る。笑い声。また唸って、キス、撫でる。


夜が嫌いだね、山でひとりは嫌だったね。
赤い光がパチパチ鳴るたびに、飛び上がる。抱きしめた。


夜中、水を飲みに起きると、まだ窓の外を伺っている。
「もう花火は終わったよ」
そう声をかけると耳をくる、くる、と動かして目を瞑った。

秋の虫を待っているんじゃないかな。弟が言った。去年は秋の虫を、山でひとり聞いていたんだもんね、モモ?


腸に残った木の実の破片や、肉球の傷から、どれくらい長く野良をしていたのか獣医が教えてくれた。


長い一人旅だったな、モモ?

となりに横になり、目を瞑る。そういえば、夜は涼しい秋の風が少しずつ通りはじめた。


耳をすませる。
まだ聞こえない秋の虫を、今年はみんなで待っている。







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