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思い込みってすごい、こわい、すごい

台所でピーピーと音がする。朝早くから鳴るので

うるさいなあ

なんて思ってみんな起きてきた。ばあちゃんはすでに起きていて、湯沸しポットを開けたり閉めたりしながら

「これがうるさいんだよ。どうしてこんなに鳴るんだろう」

なんて言う。それは先月買ったばかりなので、なにか早速不具合があったか。使い方がまずかったか、とみんなで相談したが、その間もピーピーとうるさい。


らちがあかないのでとりあえずコンセントを切って静かになった。ふう、と安堵してみんなが布団に戻ったのもつかの間。

ピーピー

・・・。

ピーピー

うるさいなあ!

電気ポットに向かっていって見てもしかたないんだけれど、コンセントを抜いたと言うのに電子音が鳴るとは何事か。すると

「デンチヲトリカエテクダサイ」

え!こいつしゃべるの?
電池がないんだってさ。
え、コンセントで繋いでたのに。電池も入るようになってたんだね。

みんなでボサボサの頭を付き合わせて電池を入れる場所を探していたのだから、今思えば滑稽だ。


あまりにうるさい上に解決策が見つからないので裏の倉庫に入れて、臭いものに蓋をした。電池が完全になくなるまでそこにおりんさい。布団に戻ると


ピーピー

うそ。

ピーピー


怪談?耳を疑いながら降りてくると、台所でまたお馴染みの音が。ないはずのポットから音がする!そこでようやく気がついた。


ポットじゃない!


なんと答えは私たちの頭上にあった。10年、天井に張り付き続けた火災報知器。そういえばじいさんが死んでから取り替えてないからねえ。もう10年目かなあ。いやもっとか。


とばあちゃんがしみじみ言う。


ばあちゃん、ポットじゃないじゃん!と総ツッコミを受けていた。





布団に戻って、それでもなんだか面白いなと思った。
私たちはみんな、ばあちゃんの最初の一言で、湯沸かしポットが音を出していると思い続けた。
いろいろな対策を練ったがなにも解決しない。そしてそれは、もともと「ポットが音を出している」と言う発想自体が間違っていた。


世の中にも、そういうことってあるのではないか。


私たちが当たり前のように思っている事柄は、すべて、誰か最初の人が言い出しただけのことで、それが正しいかどうかなんて疑ってすらないのではないか。


最初の人。それは歴史上の人だったり、偉い学者だったり、先生、親、親戚。まあいろいろ。


私にもきっと。

すごくたくさんの、もう数えきれなくてUターン不可の勘違いがたくさん埋め込まれているんだろう。わたしはそれを一生、正しいと勘違いしたまま疑いもせずに生きていく。


・・・うわあ。


それからうたた寝をして、ハッと目覚めた時。なんだか私にふさわしくないほどのポジティブな考えが降っておりてきた。


どうせ勘違いするなら、いい勘違いをしたいものだ。


だって、不可能なことを可能と思い込んで生きていたら、必ずそれは達成できると思うから。
なにか、自分を制限するような思い込みはないだろうか、と頭の中を探っていると、でるわでるわ。そんなのばっかり。


そんなの難しい
できるわけない
人にはできるけど、私にはできない
できるという根拠がないから試したくない
時間を無駄にしたくない
努力を無駄にしたくない
どうせ無駄に鳴るなら、なにもしたくない


などなど。


うーん。これはひっくり返したいなあ、なんて思う朝。これからどうなるかな。まずは、新しい火災報知器を買わなくては。

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