じゃがいもを忘れて不登校になりました
最近、油絵を描いています。今日、絵がひとまず完成したのでお見せしたく記事を書いています。最後まで読んでいただけると嬉しいです。微熱
また、こんな夢を見た。
私は学生で、周りの子はみんな、今日のテストを前に最後の復習をしている。私は、今日、テストだと知らなかった、私だけが知らされてなかった、と騒ぐが、周りは誰も相手にしてくれない。
じきに、テストがはじまる。どうすればいいかわからない私は、周りに頭を下げて、少しでも教科書や参考書を見せて欲しい、と頼む。そしていざ見せてもらうと、大切な情報はそこにはない。みんな、私を見てニヤニヤしている。私はそこで初めて、もう何をしてもムダだと気づく。
こんな夢もある。
大切な宿題を提出する日で、みんな先生のところに順番に持っていく。私は机の中に手を入れても、カバンの中を探しても、ゴミみたいなものばかり出てきて、その大切な宿題が見つからない。
朝、家を出て、どこに行けばいいかわからない。学校の場所がわからない。そんな夢もある。
これらの夢は何かを象徴した夢なんかではなくて、どれも現に起きていたことだ。こんなことは、小学校から高校まで続いた。
私の不登校は小学校時代から始まる。
よく忘れ物をしていた。なんでも忘れてしまう。先生の言うことや授業が頭に入ってこない。友達との約束を簡単に忘れて破ってしまう。
小学4年生の時、それらのことに戸惑うのに疲れて、なんとなく学校に行けなくなって、クラスの仲良くしていた子に手紙を書いて、それを机の中にしまって学校を休むようになった。2ヶ月後にひさしぶりに学校に行ってみると、机の引き出しは勝手に開けられ、手紙はみんなに読まれ、クラス中からなんとなく不気味な行為をする子、と位置付けられるようになった。
卒業式には途中までいった。私の学校はブラジル人がすごく多くて、前の席のビアンカという子が、卒業式でドレスを着てきて、香水をつけてきて、驚いたのを覚えている。放課もない。授業もない。明日もない。卒業式はいいな、と思った。あとで、学級委員の子が「紅白饅頭を忘れてる」と家まで届けにきてくれた。
中学生になっても、連絡帳にいくら書いても忘れ物をしてしまう。テストや宿題など、大切なものほど忘れてしまって、交換ノートや友達に貸す漫画みたいなどうでもいいものほど学校に持ってくるものだから、先生はいい顔をしない。
そのうち、忘れ物が多すぎて、先生に言っても無視をされるようになった。
中学生2年の時、じゃがいもを忘れた。家庭科の授業で、粉ふきいもをつくるということだった。一人1個。エプロンは持ってきた。じゃがいもは忘れました、と言ったら、あなたの食べる分はないから、廊下で立ってなさい、という。廊下に立っていると、社会の先生が通りすぎる。父親ほどの年齢のその人は、私に猫なで声でいう。
「あらあら、微熱さん。廊下にいらっしゃるとは。また忘れ物をして、こんなところに立たされているの、かわいそうに」。家庭科の先生は、補習をしてあげるから、ありがたく思いなさい、明日は必ずじゃがいもを持ってくるように、という。
私はその日の夕方のうちに、母さんにじゃがいもをもらい、カバンの中に入れ、次の日から学校に行かなくなった。
半年家に引きこもった後、母さんは新しい学校を見つけ、制服を新調した。新しい学校では、以前より少しは良くなったが、それでもここぞ、という時の忘れ物は絶えなかった。(高校入試では消しゴムを忘れて、間違えた字を消せなかった)
高校では、友達がたくさんいて、スポーツもでき、成績は下の方だったが、よくモテたので全然平気だった。女の人とも付き合ったり、クラスの男の子に手を出したり、申し分なかった。けれどやっぱり、3年生の夏に行けなくなった。
それまで私は、不登校は自分で「いかない」という選択をしている状態なんだと思っていた。それに、いじめ、とかはっきりとした理由があるものだと。でも、高校では、行きたいのに行けない、という状態になった。はっきりした理由はなかった。
もしあったとすれば、当時は自覚していなかったけれど、なんとなく周りと、自分が違う人種のような、うまくいえないけど「毛並みが違う」?というかんじ。
みんなは血統書付きで、わたしだけ雑種のような気がしていた。別に雑種の方が劣っているというわけではないけれど、血統書がないことは明らかで、ここぞ、というときに雑種であるというだけで自分の行動が規制されているような気分だった。何かが根本的に違って、どれだけ仲良くなっても、他人から見れば全然違う。
私は、毎朝の名古屋駅、高校に行くまでの電車に乗れなくなった。
◇
今から10年前、大学生のときに新宿を歩いていた。すると、横断歩道を挟んで向こう側に蜂のコスプレをして、街を闊歩している女性(多分35歳くらい)を見た。普通、コスプレをしている人って何人か連れ合っていたり、そういうコスプレをすると決められた日、決められた場所にいたりするものだけれど、その人は、なんでもない昼間に新宿の大きな交差点にいた。
信号が青になり、横断歩道でその人とすれ違った時に、この人をいつか描きたいなと思った。なんていうか、すごく不思議なオーラがあると思った。
その人の体はもちろんコスプレの中に隠れていたのだけれど、なにも隠れていないような生々しさを感じた。裸で歩いているのとほとんど同じだ、と思った。それは別に、蜂のコスプレが裸でいるのと同じくらい恥ずかしい、って意味じゃない。露出した肌と同じくらい、コスプレで包まれている肌や肉も感じ取ることができたのだった。
それは、どういう感覚なんだろうな?と不思議に思い続けてきた。でも、難し過ぎて絵にできなかった。今回、解明できたらいいなと強く思い、思い切って絵を描こうとしている。
イメージとしては、この人がまだ蜂のコスプレと出会う前、自分の体という容器を持て余し、どうしたらいいかわからない時に、蜂と出会い、表現の仕方、生きかたを変える瞬間のようなものを描きたかった。蜂は、スズメバチをモデルにした。スズメバチはまともに出会えば死に至る。その特質も加味して、この絵についてみた人に考えて欲しいと思った。
すれ違った時、あの人の体は、何か叫んでいるような感じがした。何かは具体的にはわからないけれど、私はその人を思ったとき、いつも、過去の自分を思い出す。どうして自分が不登校を選んだか思い出す。ひとり、明日、学校に行くかどうか、悩んでいる自分。私はいつも、引きこもる選択肢をとった。でも、このひとは、表に出ると決めた。私は、この人に出会ったあの時まで、その選択肢があることを知ろうとすらしなかったのだ。
◇
ところで。
嫌な思い出はときが経っても生々しい傷のまま残り、痛むことがある。でも、悪い記憶の中にも必ずいい思い出はあったはずだ。
五島先生という国語の先生がいた。じゃがいもを忘れて廊下で立たされて、泣いている私に近づき、小さくて細い手をそっと、私の頭の上に置いて去っていった。
私が転校するといって学校に母さんと挨拶に行ったとき、校長室から出てきた私に折りたたんだ小さなメモを五島先生は渡してくれた。帰りの車の中で開いたら、そこにはこう書いてあった。
人と違うことを恐れずに。あなたのことを応援しています。
私はどれだけ嫌な体験をしても人を嫌いにはならない自分に気がついた。それは、人とのやりとりのなかで、自分がじんわり色づいていく感覚が好きになったからだ。
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