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主人公学概論

 私は「主人公じみている」という言葉をよく使います。なんだか変な表現ですが、「あ、今私めちゃくちゃ主人公じみてるな」とか、「へえ、そんなことで悩むなんて主人公じみてるじゃん」とか、そういう使い方をする言葉です。

 この考えは主人公学(Protagonistarism)という考え方に基づいたものです。一言で言えば、「自分の人生を物語、自分をその主人公だと捉え、主人公にふさわしい行動をとろうと心がけることによってより良い人生を歩むこと。またその考え方を体系的に説明した学問」を主人公学と言います。

 主人公学という考え方は、まだ世の中に広くは知られていません。なぜなら私が作ったからです。(失礼しました)

 決して一般的ではない「主人公じみている」という言葉を、私は、あるいは他人をあるいは自分を、鼓舞し奮い立たせるために使います。自分を自分の人生の主人公に据えおき、そのことに責任を持って生きることは実はかなり偉大なライフハックになりうるのです。

 今日は、その”主人公学概論”を学んでいただきたいと思います。

注意
※本記事では”主人公学”というテーマに則って、可能な限り学術っぽく述べたり定義したりしていますが、あくまでもこれは私が考えた空想学問なので真に受けないようにしてください。ただ、この”主人公であろう”という考え方が誰かの人生をちょこっとだけ救うのを願っています。


一時限目:一般的な主人公の定義

 記事を書くにあたって、そもそも主人公の定義って何だっけと思いwikipediaで調べてみました。

主人公の機能

1. 語り手(視点人物)
2. 問題を解決するもの
3. 物語の主題の実行者
4. 操作可能なキャラクター(プレイヤーキャラクター)
5. 越境するもの
6. 感情移入の対象

 どれもわかりやすいものばかりです。5.越境するもの というのだけが少しわかりにくかったので詳細を調べて見たところ、要するに物語の世界と現実(=読み手)の世界の境を超える立場にある人物が主人公、ということでした。

主人公の資質

1. 人間あるいは擬人化された存在
2. 特異な才能の持ち主
3. 何らかの欠落を抱え、その回復に努める

 続いて主人公の資質に関してですが、以上3項目がメインとしてあげられるようです。特異な才能の持ち主、というのは必ずしも天才や秀才である必要はなく、特筆して優しいとかこだわりがあるとかそういったものでも十分に資質を満たします。

 この辺、色々面白いのでぜひwikipediaさんも読んで見てください。


二時限目:主人公の取るべき行動とは

 さて、先ほども申し上げた通り、主人公学の考え方では「自分の人生を物語、自分をその主人公だと捉え」ます。そして以上のような基本原則に則り、主人公はこうやって動くべきだという行動規範の定理(Hero/Heroin's Obligation)があります。

主人公の義務(Hero/Heroin's Obligation)

1. 自分の人生の視点的人物である
2. 物語(=人生)で発生した問題を解決する責任を負う
3. 抱えた欠落を認識しその回復に努める
4. 物語(=人生)を進行するために行動する
5. 自分が持つ何らかの特異的才能を開花させること、また活かすことに尽力する

i. 自分の人生の視点的人物である

 当たり前ですが、人は自分の人生において視点的人物です。自分の身の回りに起こることは自分の視点から見続けることになります。逆にいうと、自分の人生を最も近くで観察する人間であらねばならない、ということです。その権利を移譲することは誰にもできません。

ii. 物語(=人生)で発生した問題を解決する責任を負う

 人生を進んでくと、様々な問題(=イベント)が発生します。そのイベントを、主人公は何らかの方法で解決しなくてはいけません。場合によっては問題から目を背けなかったことにする、という解決策を取ることもできます。ただ基本的には発生した問題を責任を持って解決しなくてはいけません。

iii. 抱えた欠落を認識しその回復に努める

 抱えた欠落とは具体的に、容姿や学歴、出自などへのコンプレックスなどがあげられます。うまれながら持っていなかったもの、あるいは途中で取りこぼしたものがコンプレックスとして顕在化した時、それを認識することがスタート。そしてそれを解決していくことが”主人公じみている”とされます。

iv. 物語(=人生)を進行するために行動する

 主人公は物語を停滞させたまま放置することは基本的にできません。そうしないと物語にならないからです。何らかの次の展開のために考え行動していくことが必要とされます。

v. 自分が持つ何らかの特異的才能を開花させること、また活かすことに尽力する

 一般的にいう「強みを見つけて生かしていくこと」を主人公学的に説明するとこのようになります。自分が主人公として、他者と何が違うのか。他者に何ができるのか。どこが秀でていて物語や世界にどう寄与できるのかを常に考えていくことが主人公の行動です。


三時限目:楽しく生きるための主人公学

 ようやく最初に私が書いた、「主人公じみている」という考え方にお話を戻します。上では定義を非常に細かく書きましたが、私は自分が行動したりなにかを選択する上で”どうするのがより主人公っぽいか”で決定をします。逆に、主人公っぽくない行動は取らないようにしよう、というのが私の行動規範です。

 自分が人生の主人公であると心得ていると、結構いろいろなメリットが得られます。主人公っぽい行動を心がけていくことによって、個人的には迷いや悩みが晴れていくことも多くあります。

 例えばなにかの選択を迫られた時、私はいつもこう思います。「私がなりたい主人公はここでどういう選択をするだろう?」。「自分が今主人公として恥ずかしくない行動ってなんだろう?」。

 例えばなにかしんどいことや辛いことがあった時、私はいつもこう思います。「主人公なんだから試練や災難があるのは当たり前。ここからどう乗り越えるかに、主人公としての真価が問われるに違いない」。

 例えば誰か他者と分かり合えないことがあった時、私はいつもこう思います。「この人もこの人の人生の主人公として必死なんだ。価値観を守るということは相容れないこともある。そういうこともある」。


 すこし話が逸れますが、私がこの「主人公であろう」という考え方にたどり着けたのは、私の祖父の言葉がきっかけです。

 高校一年生の時、私は父と大喧嘩をしました。喧嘩というか、私があまりにもどうしようもなかったので父が腹を立て、「学校をやめろ勘当だ」と大騒ぎになったことがあります。その間を取り持ってなんとかしてくれたのが私の祖父でした。

「人は自分の人生の主人公。あなたがあなたの人生の主人公であるように、あなたのお父さんはお父さんの人生の主人公。価値観はそれぞれ違うし、責任を負うべきものもまた違う。どんな物語にしていきたいかの責任はそれぞれ、親と子といえどあなたはお父さんの人生における”脇役”でしかない。何かを全て親が負ってくれるってことはないと思った方が良い。あなたはそろそろ自分の人生の主人公として責任を持たないといけない」 

 これが私の祖父の言葉です。私はこの時初めて、自分の人生をよくするのも悪くするのも自分次第なのだと気づいた気がします。それからずっと、「私は主人公」ととなえ続けて生きています。


 人生とは行動の積み重ねです。一度しかないのであれば、できるだけ楽しく面白く生きていきたい。そして、私には私の人生を、あなたにはあなたの人生を面白くする権利があります。だって主人公なんだから。

 お読みいただきありがとうございました!

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