思想と脳髄


あの、中江兆民も言ってたんですけど、思想っていうのは種子で、脳髄っていうのは畑なんですよ。 



種子って、外からもたらされて、畑に根付き、成長してやがて新たな種子を残すじゃないですか。
それと同じで、思想も私たちの身体の外からもたらされて、脳髄に根付いて、私たちの身体が死んだのちも世に脈々と受け継がれていきますよね。

そういう、大きな流れの、話なんですけど。

今日は、宇宙のダイナミズムを感じていただきたくて、この話を持ってきました。 



ここで、思想と人間のどちらが行為の主体なのかって考えてみると、これ実は思想のほうなんですよ。自ら種を育てているように見える畑が、生物学的にみれば種の存続に利用されているにすぎないのと同じです。つまり、人間が思想を所有しているんじゃなくて、思想の方が人間の脳髄を利用して、時代を越え生き続けているということです。 



ということはですよ、私たちって、生物学的に見ればお笑いに利用されていると思いませんか? 


あ、よくわかんないよって人は頭の中でチャーハン作り始めてください。
チャーハンは、善なのでね。


私もチャーハン作りながら失礼します。 



行為の主体はお笑いで、私たちは大きなお笑いという営みのなかで一時的に利用されているにすぎない。私がネタを書いてるんじゃなくて、お笑いが私にネタを書かせている。あくまでも主体はお笑いという営みなんです。 


カチッ ボッ




そう、私がお笑いをしているんじゃないんです…… 

ジュー 

お笑いという営みが私を利用している…… 

ジュー 



大きな宇宙の…… 

パラパラ 

めぐり…… 

パラパラ 



ダイナミズム 

ジュー (おこげをつくる) 

よいしょっ (フライパンを大きく振る) 



よいしょっ 


子「お母さーん」 








子供ですね 



子「お母さんただいまー」
母「あら、おかえりなさい」
子「お母さん今日の昼ご飯何?」
母「チャーハンよ」
子「やったー!ぼくお母さんが作るチャーハン大好き!」


母「(フライパンを置いて火を止める)

あー、ちょっとちょっとちょっと(子供を呼ぶ)、

(子供の目線にかがんで)お母さんがチャーハンを作ってるんじゃなくて、チャーハンという営みがお母さんを利用しているのよ。あくまでも行為の主体はチャーハン。

そう、あの、

中江兆民も言ってたんだけど、思想っていうのは種子で脳髄っていうのは畑で…


あ、よくわかんない?よくわかんなかったら、お外で遊んできなさい」 

子「はーい。
思想は種子で、脳髄は畑で、お母さんはチャーハンという営みに利用されているのか……

ふーん


僕も犬の散歩という営みに利用されようかな!ポチ!いくよ!」 



犬「ワンワン!」 

子「いやー、お散歩楽しいね」 

犬「ワン!」 

子「そうだ!フリスビーしよっか!」 

犬「ワン!!」 

子「はは!ポチは本当にフリスビーが好きだなあ。じゃあ投げるよ!取っておいで!」 

犬「ワンワン!」 



子「よーしよしよし。いい子だね。
あっ、でも、

違うからね?」

犬「ヘッヘッヘッ」

子「いかにも自分が取ってきましたみたいな顔してるけど、違うからね?
主体はフリスビーだから。ポチは、フリスビーという営みに利用されてるだけなの。」 

犬「ワン!」 

子「ポチがフリスビーを取ってきたんじゃなくて、フリスビーという営みがポチを走らせて……」 

犬「ワンワン!」 

子「あーよしよしかわいいね。でも、主体ではないから。」 

犬「ワン!」 

子「うん、あの、中江兆民も言ってたんだけど、思想っていうのは種子で、脳髄っていうのは畑で、畑は種子に利用されてるんだ……だから主体は人間じゃないんだよ………」 


犬「ヘッヘッヘッ」

(徐々暗)


去年の5月に書いていたものです。


お笑い軍資金にさせていただきます。