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稲葉浩志作品展『シアン』激重感想

稲葉浩志作品展『シアン』 @角川武蔵野ミュージアム

 

場内注意事項を聞いて最初のスペースに入ると、
稲葉さんが「シアン」に込めた思いと「作詞」に対して感じる自身の思いを綴ったパネルに遭遇。

読みながらガチで「これ歌にしなくて大丈夫ですか?しないなら僕がしてもいいですか?」と思うほどに、
作詞を生業とする人の言葉選びは美しい(桜井さんが小脳梗塞で活動休止する時のコメントを読んだ時も同じことを思った。まっずいなぁー)。



同じ空間にはシアン色のアイテムを様々に飾ったオブジェクトがあり、フォトスポットとなっていた。

僕はそこで汗をかきながら全然知らないおじさんに写真撮影をお願いし、脚を組んでちょっとだけオカマみたいな恥ずかしげな表情で写真を撮った。



オブジェクトの裏側にちらっと飾られていたシアン撮影時のサングラス稲葉さんの写真があまりにカッコよくてパシャパシャとさせて頂いた。
(カメラの前をオッサンが通り過ぎたときは江ノ電ニキの時の撮り鉄くらい心の中でブチギレた)。

 

直筆歌詞ノート展示スペース

稲葉さんが実際に作詞に使用していたかなりの量の作詞ノートの写真が展示されていた。完全撮影禁止でスタッフが巡回していた。


入り口には作詞をする稲葉さん(95~96年くらいだろうか?)の横に『君の中で踊りたい』の作詞ノート。早速鳥肌が立った。

稲葉さんがひどく苦戦しながら生み出した1st, 2nd の現物証拠とも言えるこのノートは初期曲厄介オタクの自分にとっては垂涎ものであった。

じっくり見ていると、骨組みを変えず細かなニュアンスが変更されているのがわかって凄く面白い。


おいおい、こんなものが見渡す限り広がっているなんて、僕は閉館までにここを出られるのか、あと腰はもつのかなど、色々な考えが駆け巡った。
(普通に2時間くらい居たし腰は死んだ)

 

以下、非常に印象的だった展示作詞 (B’z の楽曲)

・『STARDUST TRAIN』/『BOYS IN TOWN』

『BOYS IN TOWN』は原題が『SOMEDAY~BOYS IN TOWN~』だったみたい。そのまますぎる
ファンとしてはこういう細かな事実を知れることはかなり嬉しい。

『BOYS IN TOWN』ってぼーっと聴いてて気がついたら絶対「みんなのこと悔やしがらせてみたい」のとこなんだよな…
という誰にも分からないあるあるを心のなかでつぶやきながら見ていた。


『STARDUST TRAIN』は作詞段階では『誘拐列車』という曲名だったらしい。昔のアダルトビデオみたいなネーミングだね。これは中々衝撃を受けたが、よく考えると発表された歌詞も大してやってることは変わらないのである。

「欲しい物を奪う気持ちがわかるような気がする今」というキレイな愛じゃない言い回しをどのように歌詞ハメするかの葛藤がノートから見てとれた。

下の方に目をやると、作詞のおそらく後半?の段階で綴られた「神様に嫌われても譲りたくない」(神歌詞)が、丸囲みされ決定稿となった瞬間まで残されており、これにはかなり痺れさせて頂いた。

 

・『LOVE PHANTOM』作詞案

ここはかなり来場者の気を引いたようで、自分が去ったあともう一度訪れるとちょっとした列のようになって皆が見ていた。

作詞はじめの段階ではタイトルが『LOVE ALIEN』だったらしい。
キモすぎる。ラブエイリアン…LOVEマシーンよりキモい

Pleasure’95 で満を持して初披露かつストーリー性をもたせた構成ということで、作詞の背景にある壮大な構想、仮歌詞、設定が細かく記されており、かなり興奮して鼻息を荒らげながら目をギョロギョロさせていた。

今ではそこそこ有名になった(平成生まれ視点)「いらない何も捨ててしまおう」が、
作詞のときには「何もいらない捨ててしまおう」だったことを初めて知った。
倒置法をやめて普通の文章にすると本当に思い立って掃除してるだけの人だなこれは…などと思いながら見ていた。

2サビ「濡れる身体溶けてしまうほど…」の部分は、仮歌詞段階ではもっと過激だった。
「ひとつになることが気持ち良すぎて~…」などと書かれていて、「気持ち良すぎてぇとかあんまり歌詞に書くなよ」と思った。

『LOVE ALIEN』のちょっと下に「ARIEN」と書かれており、28年越しにかなりかわいい稲葉さんを摂取できた。”ALIEN” であってますよ、速単やってないんですか?と煽ってから次へ行った。

 

・『ALONE』作詞ノート

B’z の作曲体制は「曲先」といって音楽が先に出来上がり、そこに歌詞をつけるスタイルが基本だ。
稲葉さんはグラサンおじから送られてきた『ALONE』のデモを聞いて、夕暮れの切ない雰囲気を感じ取ったのだろう。

作詞ノートには、夕暮れの切なさを表現するための様々なアイデアがメモ書きされていた。中でも個人的には「信号の向こうに落ちてゆく夕陽」という一文に心をぐっと掴まれた。

夕焼けの街に「激しさを忘れる」という言い回しを当てはめることを決めてからも、
細やかなニュアンスの変更や文字数の変更を経てあの歌詞になったんだな…としみじみさせて頂いた。

「切なくてどこかに帰りたくなる」という気分を歌詞に落とし込むのには相当苦労したようであり、
最終的に「いつか見た空が僕の心を帰すよ どこかに」と無生物主語を落とし所とするのは相当なセンスだ。
無生物主語なら僕も受験英語で得意でしたよ」と稲葉さんにマウントをとった。

稲葉さんがこのように相当な苦労を経て美しい言葉を織りなし我々に届けてくれているのだから、
これからは「大友康平のALONE、DAHYONE」などと考えるのはやめようと思う。

作詞ノートにおそらく『ALONE』のメインテーマ?として「夢と女」とデカく書いてあったのがかなり面白かった。
そんなつもりで聴いてないよ私たちは。

 

・『光芒』

正直、これは読みながら泣きそうになってしまった。


稲葉さん曰く「『光芒』がファンに人気があるのは知っています。できれば、誰かに歌ってもらって聴いてみたい(笑)」(『シアン』インタビュー掲載、意訳)とあり、
お前がVo.になるんだよ!!」と往年のインターネットゴミ言い回しを発動してしまった。

曲のBAD部分「夢はあったのに、何者にもなれない腐った若者」の構想がメモに散りばめられていた。
本人は夢破れてないのに夢破れる若者を描くのがお上手なので、
この人のひねくれ具合には参ったものである。

意外だったのは、オーラス「光を求め歩き続ける…」の部分が恐らく最初に固まっていたこと。
『光芒』の展開はここありきだったのか…と感動した。

最後の部分は「誰かにとっての希望/ / 光となるでしょう」というふうに沢山の迷いが見えた。
作詞ノートには結論が示されて居なかったが、3文字の響きの中で「兆し」を終着点とした稲葉浩志様のセンスには脱帽させて頂いた(ファンかよ)。

 

・『さよならなんかは言わせない』『RUN』

『さよならなんかは言わせない』はこの言い回しになるまでに「さよならなんか言わせないよ♪」という仮サビがあったらしく、
実際口ずさむと何とも可愛らしくて笑えた。イケメンの我が家かよと思っていた。

作詞にあたり色々と迷ったメモ書きはあったが、「親のすねをかじりながら時間だけがあった」の一文はなぜか迷いなく書かれていて怖かった。怒られてる?

ラスサビの
「寂しそうに太陽が沈んでも、小さな星で愛しあった君は今もきっと笑っている」というフレーズにも試行錯誤が見えて興味深かった。
特に目を引いたのは、恐らくほぼ最終段階まで残っていた「生まれてよかった 君に逢えた」というフレーズ。読んでるだけで泣きそうになった。

ちなみに涙腺が弱くなった人は脳の感情表現のハードルが低くなっており、同時に怒りやすくもなっているらしい。よく泣くオッサンがよく怒るのはこれによると考えられている。
僕はこの事実を知ってからおいおい泣くこともできずにいる。



『RUN』作詞にあたってのモチーフに「友情から愛情へ」(憶測ですがおそらく恋愛や思慕に近いと思われるニュアンス)とメモ書きされていたのがかなり印象的だった。

本人達曰く、「(『RUN』は)自分たちB’zのことを歌った曲」と振り返っているので、制作段階では深い友情を超えた愛情の意味づけがされていたことにかなり驚いた。え、愛情だったの?てか稲葉ちゃんってぶっちゃけ松本クンのことどー思ってるの?

 

『Brotherhood』『ながい愛』

純な仲間とのつながりを歌う曲であるからか、
『Brotherhood』の歌詞ノートからはかなりの熱量を感じた。

稲葉さんの中で「くだらないことで笑いあえる」関係性が凄く尊いものであると捉えられていることを改めて認識した
(これは『TIME』3番の「くだらないことで一緒に、一緒に笑い会えるのは誰」などからも読み取れる)。


ブリッジ部分(「どこかであいつがベソかいて…」)がほぼ一発書きで決定稿となっていたのが圧巻であり痺れた。帰り道は『Brotherhood』を聴いた。

『Brotherhood』は展示スペースに現物の作詞ノートが置かれており、これにはかなり鼻の下を伸ばしながら見入ってしまった。傍目から見ると「激エロ写真集でも置いてあるのか?」と思われても仕方ないほど興奮していた。

日焼けしたノートに、憧れの人間の直筆歌詞が、筆圧の溝まで分かるリアルさをもって並べられている。

実際は稲葉さんはかなり字が汚なめ筆圧弱めの達筆であるので、
さらさらと書かれたその黒鉛の炭素原子1つ1つすら愛おしく思えた(これって歌詞になりませんか?)。


個人的には『ながい愛』が展示されていてかなり嬉しかった。

僕は中学生時分、ながい愛もみじかい愛さえも知らない癖に、塾に行く道中でこの曲を聴きまくっていたからだ(中学生すぎる)。

言いたいことを歌にハメていくのに苦労していたのがよくわかり、
「長く」「ゆっくり」「愛してくれませんか」などと、
近くも惜しいフレーズが沢山書き直されていた。

遂には苦労実って「もっと長いあいだ愛してくれませんでしょうか」という1度耳にすればずっと頭に残る一文に仕上げるのだから彼は凄い。
「くれませんでしょうか」ってどういう敬語??

 

・『輝く運命はその手の中に』

この展示を見た瞬間、心のなかで崩れ落ちた
(現場で崩れ落ちたらただの狂人であるため)。

え?数ある楽曲の中からこれを?誰の指示で?






俺のために?(お前のためとちゃうわ!!

「お前のためとちゃうわ!!」の例







と、一瞬で様々な思考が走った。

僕といえば、新生活が始まる少し前から本当にこの曲しか聴いていなかったのである。




以降、早口


『ARIGATO』の2nd beat として収録され、
『もうはなさない』(3rd beat)が2017年のSHOWCASEで終ぞ日の目を浴びたにも関わらず、
この曲だけはずっと歌詞世界のように陰鬱とした曇天に閉じ込められ、
演奏されることはなかった。

それが急にこの作品展に引っ張り出されたというのは、
僕の中では非常に嬉しく、そして意味の分からないことだった。
誰も知らないと思うので以下この曲について自己満足で語る。

『輝く運命はその手の中に』、ひいてはシングル『ARIGATO』は、収録された3曲すべてが雨上がりのような、曇天のようなどんよりとした雰囲気を感じさせるいわゆるダウナーな楽曲だ(使い方合ってる?)。

しかしこの3曲に共通して言えるのは、その鬱蒼とした暗い雰囲気の中に、晴れ間を感じさせるような明るさや、希望を飾り付けてくれているということである。

過去への感謝と未来への不安まじりの期待を歌った『ARIGATO』や、
ひねくれた自己嫌悪の中でも純愛を誓う『もうはなさない』、

この2曲とはまた異なり、
終わらない気怠い日常と忘れたい過去に対してなんとか心の持ちようを差し伸べてくれるこの曲は、
自分の中でもいつのまにか本当に大切な曲になっていた。

本人はおろか運営側も忘れているだろうと諦めていたこの曲が、
この『シアン』でフィーチャーされたことは、自分にとって本当に大きな意味があった(激重感情)。

いつか小さな会場でもどこでもいいから、ゆっくりと演奏されてほしいものだと思う。




 
映像ブース~稲葉ソロ

展示物の中には大変興味深いコーナーがあった。


稲葉さんが書き溜めたフレーズの欠片たちを、
3分ほどのショートムービーにして大量に見せてくれるという、
もう最高というかこれ合法か?みたいな興奮が押し寄せるようなものだった(合法らしい)。

つまりはここで見たフレーズが、今後の新譜に生き生きと登場する可能性がある。
これは流出したLIVE音源やデモテープを聴くことよりも嬉しいかもしれない(そんなことはない)。

1周しか見てなくてかなり後悔しているのですが、個人的に印象に残ったフレーズは


・煽るのやめてもらっていいですか

・時差通勤 それでも人の波、波、涙…

・嘘の愛情、〇〇心情、全部捨てて真の友情…みたいな歌詞 など。


最後のやつなんかは見てて「また変なラップ入れようとしてるな…」と思ったが、

個人的に「煽るのやめてもらっていいですか」が面白すぎてほかをあんまり覚えてない。さっき煽ってごめんなさい。でもキミ明らかにSNSやってるよね?というか何この言い回し。ラノベでも書くつもりか?

 

稲葉浩志ソロ楽曲の作詞ノートも10点ほど飾られており、
特に『マグマ』の楽曲が充実していて嬉しかった。


B’z楽曲ほどの激重感情は持ち合わせていないため
(と言ってもB’zの次に聴くアーティストはELTと並んで稲葉浩志ソロなので気持ち悪い)、詳しい印象は割愛。

大好きな『波』『風船』『エデン』『CHAIN』あたりの作詞ノートをじっくり見ることが出来て本当に貴重な経験だった。

 






最後に最もヤバかったのは、出口間近の展示だった。

壁面にガチ直筆(光に照らして見ると稲葉さんがマジックで実際に書いたことまで分かる)で書かれた2023.4.20.付のサインと、



その横に書かれた”Postscript”と銘打たれた展示会にあたっての本人あとがき。

「こんなものが出版されたら、私の作詞人生は終焉してしまうのではないか、とさえ思いました」などと若干ネタツイ的な言い回しをしていた稲葉さんの文章を楽しんだのも束の間、








最後の最後に

そして、私が人に届けるための歌詞というものを書き始める
きっかけを作ってくれた、松本孝弘氏と彼の音楽、
そしてそこから始まったすべての出会いに心から感謝します。
ありがとうございました。

という文章。







これを見た瞬間、普通に涙がまあまあ出てしまい
テンパって普通にもう1回作詞ノートのスペースに早歩きで戻ってしまった。


当然自分の中でも筆舌に尽くし難く、また簡単に表現できることとも思わないのでこの激重感情のディティールは割愛しますが、
たまに出る「相方への感謝」系の文言は自分の琴線に触れて触れて触れまくる(触りすぎ)としみじみ実感。




我々がどう頑張っても彼が松本さんを思う気持ちは到底推し量りきれるものではないと、半ば惚気を聞かされているかのように深く納得した。5回ほど読み直して、惜しみつつも展示会を出た。





最高の展示会でした。3回は行けるかも。でも所沢が遠すぎる。


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