見出し画像

新喜劇、OSアップデート

乳首をドリルできない。その中で、父親に。新型コロナ禍で吉田裕が再認識した吉本新喜劇の“根っこ”

ブサイクイジリの話が途中から。新喜劇は、芝居とストーリーが根幹で、イジリは枝葉の部分という考え方。

好きな芸人さんだし、凄く興味深い考え方だし、環境に適応しながら更に上を目指してほしいとも感じる。

ただ、数年前にこうしたイジリが理由で子どもに新喜劇を見せるのを止めたので、自分はもう視聴者には戻らないかもしれない。

新喜劇は、小学校中学年頃からの自分にとってはストーリーよりギャグやノリのお手本だった。同級生にイジられることもあったし、その返しの見本でもあった。追い込まれる中で如何に面白い返しができるか、というスポーツ的な考え方もあったのかもしれない。

ただ、反射的に笑いを取ろうとすると、どうしても過激なものになってしまう。全方位、誰も傷つけないアクションは、頭のチェックリストを通る間に旬を過ぎる。

そんなアウトプットになる頭の仕組みが間違ってるとは思うけど。正しい方向に変わってるんだとは思うけど。ぺこぱも面白いけど。(いや、けど、アキさんが1番おもろいけど)


けど、けど、寂しい違和感を感じる理由を、まだ見つけられずにいる。

旧いOSに愛着が残ってるだけなのか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?