人権制約に関する憲法判例の整理

広く人権の制約に関する憲法判例(最高裁判例)を整理する。

今回の整理の着眼点は、「制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべき」などという一般則を打ち出している判例。

1.最大判S45.9.16(未決拘禁者の喫煙禁止)

これがおそらく嚆矢。

【問題提起】

 所論は、在監者に対する喫煙を禁止した監獄法施行規則九六条は、{未決勾留により拘禁された者の【自由】および【幸福追求についての基本的人権】を侵害するものであつて、憲法一三条に違反するというにある。

【規範の導出】

 しかしながら、未決勾留は、刑事訴訟法に基づき、逃走または罪証隠滅の防止を目的として、被疑者または被告人の居住を監獄内に限定するものであるところ、監獄内においては、多数の被拘禁者を収容し、これを集団として管理するにあたり、その秩序を維持し、正常な状態を保持するよう配慮する必要がある。このためには、被拘禁者の身体の自由を拘束するだけでなく、右の目的に照らし、必要な限度において、被拘禁者のその他の自由に対し、合理的制限を加えることもやむをえないところである。

最高裁でしばしば出てくる「必要(な限度)」かつ「合理的(制限)」論。

【規範】

 そして、右の制限が必要かつ合理的なものであるかどうかは、
①制限の必要性の程度
②㋐制限される基本的人権の内容
 ㋑これに加えられる具体的制限の態様
との較量のうえに立つて決せられるべきものというべきである。

ここに至るまで、人権の内容及び性質について、一切言及がないことがポイント。つまり、人権の内容に応じて上記規範を導いているわけではなく、あくまで行政側の「必要」から人権制限の可否が論じられている。

なので、「集会の自由は基本的人権として重要→よって比較衡量」とかやっちゃうと、たぶん判例の趣旨とは異なる。


【当てはめ】

(制限の必要性の程度)
 これを本件についてみると、原判決(その引用する第一審判決を含む。)の確定するところによれば、監獄の現在の施設および管理態勢のもとにおいては、喫煙に伴う火気の使用に起因する火災発生のおそれが少なくなく、また、喫煙の自由を認めることにより通謀のおそれがあり、監獄内の秩序の維持にも支障をきたすものであるというのである。右事実によれば、喫煙を許すことにより、罪証隠滅のおそれがあり、また、火災発生の場合には被拘禁者の逃走が予想され、かくては、直接拘禁の本質的目的を達することができないことは明らかである。
のみならず、被拘禁者の集団内における火災が人道上重大な結果を発生せしめることはいうまでもない。

(制限される基本的人権の内容)
他面、煙草は生活必需品とまでは断じがたく、ある程度普及率の高い嗜好品にすぎず、喫煙の禁止は、煙草の愛好者に対しては相当の精神的苦痛を感ぜしめるとしても、それが人体に直接障害を与えるものではないのであり、かかる観点よりすれば、喫煙の自由は、憲法一三条の保障する基本的人権の一に含まれるとしても、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない

(これに加えられる具体的制限の態様)
〔略;「あらゆる時、所において保障されなければならないものではない」自由を、「収監されたときに、監獄内においてのみ制限するにすぎない」ということかと思われる。〕

(結論)
したがつて、このような拘禁の目的制限される基本的人権の内容制限の必要性などの関係を総合考察すると、前記の喫煙禁止という程度の自由の制限は、必要かつ合理的なものであると解するのが相当であり、監獄法施行規則九六条中未決勾留により拘禁された者に対し喫煙を禁止する規定が憲法一三条に違反するものといえないことは明らかである。

「制限の必要性の程度」といいつつ、「制限の必要性」を具体的に明らかにしているが、その「程度」を明確に述べるものではない。

「制限される基本的人権の内容」として、「あらゆる時、所において保障されなければならないものではに」とする。

以上に加えて、「拘禁の目的」を併せて「総合考察」することにより、「喫煙禁止という程度の自由の制限」につき、「必要かつ合理的なもの」であり、よって憲法13条に違反するものとはいえないと判断した。

なお、法令の定めそれ自体が人権制限の根拠となっているので、法令が憲法に違反しないとのみ判断している。

2.最大判S58.6.22(よど号新聞記事抹消事件)


【問題提起】

 所論は、未決勾留によつて拘禁された者に対する新聞紙の閲読の自由を制限しうる旨定めた<監獄法三一条二項、監獄法施行規則八六条一項の各規定、昭和四一年一二月一三日法務大臣訓令及び昭和四一年一二月二〇日法務省矯正局長依命通達>は、【思想及び良心の自由】を保障した憲法一九条並びに【表現の自由】を保障した憲法二一条の各規定に違反し無効である、というのである。

【規範の導出】

 未決勾留は、刑事訴訟法の規定に基づき、逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として、被疑者又は被告人の居住を監獄内に限定するものであつて、右の勾留により拘禁された者は、その限度で【身体的行動の自由】を制限されるのみならず、前記逃亡又は罪証隠滅の防止の目的のために必要かつ合理的な範囲において、【それ以外の行為の自由】をも制限されることを免れないのであり、このことは、未決勾留そのものの予定するところでもある。

基本的に言っていることは1.判例と同じ。
強いていえば、「このことは、未決勾留そのものの予定するところでもある」という一文を追記し、論理の隙間を埋めている。

なお、ここで問題となっているのは、「逃亡又は罪証隠滅の防止」という本来目的のために必要(かつ合理的)な制限。

また、監獄は、多数の被拘禁者を外部から隔離して収容する施設であり、右施設内でこれらの者を集団として管理するにあたつては、内部における規律及び秩序を維持し、その正常な状態を保持する必要があるから、この目的のために必要がある場合には、未決勾留によつて拘禁された者についても、この面からその者の【身体的自由及びその他の行為の自由】に一定の制限が加えられることは、やむをえないところというべきである(その制限が防禦権との関係で制約されることもありうるのは、もとより別論である。)。

ここで、「逃亡又は罪証隠滅の防止」という本来目的は別に、「内部における規律及び秩序を維持し、その正常な状態を保持する」という必要(必要性をいう行政の言い分)を認め、「この目的のために」必要がある場合には、たとえ未決勾留によって拘禁された者であっても、「一定の制限」が加えられることはやむを得ないとする。

【規範】

そして、この場合において、【これらの自由】に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、
①右の目的のために制限が必要とされる程度と、
②㋐制限される自由の内容及び性質
 ㋑これに加えられる具体的制限の態様及び程度
等を較量して決せられるべきものである(最高裁昭和四〇年(オ)第一四二五号同四五年九月一六日大法廷判決・民集二四巻一〇号一四一〇頁)。

②㋐につき、自由の「内容」のみならず、「性質」が追加された。
②㋑につき、具体的制限の「態様」のみならず、「程度」が追加された。

ここまで、人権・自由の内容及び性質について、一切言及がないことは1.判例と同様。

【当てはめ】~その1

 本件において問題とされているのは、東京拘置所長のした本件新聞記事抹消処分による上告人らの【新聞紙閲読の自由】の制限が憲法に違反するかどうか、ということである。

「自由」として想定するものは、「閲読の自由」であり、とりわけ「新聞紙閲読の自由」であるという問題提起。憲法問題においてはめっちゃ大事。

ここで、検討するのは、「閲読の自由」であり、とりわけ「新聞紙」の閲読の自由なんだということが分かる。

そこで検討するのに、およそ各人が、自由に、さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成・発展させ、社会生活の中にこれを反映させていくうえにおいて欠くことのできないものであり、また、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも、必要なところである。それゆえ、【これらの意見、知識、情報の伝達の媒体である新聞紙、図書等の閲読の自由】が憲法上保障されるべきことは、思想及び良心の自由の不可侵を定めた憲法一九条の規定や、表現の自由を保障した憲法二一条の規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところであり、また、すべて国民は個人として尊重される旨を定めた憲法一三条の規定の趣旨に沿うゆえんでもあると考えられる。
しかしながら、このような閲読の自由は、生活のさまざまな場面にわたり、極めて広い範囲に及ぶものであつて、もとより上告人らの主張するようにその制限が絶対に許されないものとすることはできず、それぞれの場面において、これに優越する公共の利益のための必要から、一定の合理的制限を受けることがあることもやむをえないものといわなければならない。そしてこのことは、閲読の対象が新聞紙である場合でも例外ではない。

ここで、「制限される自由の内容及び性質」をまず検討している。
その上で、下位規範。

この見地に立つて考えると、本件におけるように、未決勾留により監獄に拘禁されている者の新聞紙、図書等の閲読の自由についても、逃亡及び罪証隠滅の防止という勾留の目的のためのほか、前記のような監獄内の規律及び秩序の維持のために必要とされる場合にも、一定の制限を加えられることはやむをえないものとして承認しなければならない。
しかしながら、未決勾留は、前記刑事司法上の目的のために必要やむをえない措置として一定の範囲で個人の自由を拘束するものであり、他方、これにより拘禁される者は、当該拘禁関係に伴う制約の範囲外においては、原則として一般市民としての自由を保障されるべき者であるから、監獄内の規律及び秩序の維持のためにこれら被拘禁者の新聞紙、図書等の閲読の自由を制限する場合においても、それは、右の目的を達するために真に必要と認められる限度にとどめられるべきものである。

したがつて、右の制限が許されるためには、
(1)<当該閲読を許すことにより{右の規律及び秩序が害される}一般的、抽象的なおそれがある>というだけでは足りず、<被拘禁者の性向、行状、監獄内の管理、保安の状況、当該新聞紙、図書等の内容その他の具体的事情のもとにおいて、その閲読を許すことにより{監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる}相当の蓋然性がある>と認められることが必要であり、かつ、
(2)その場合においても、右の制限の程度は、{{右の障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきもの}}と解するのが相当である。

これは、
①右の目的のために制限が必要とされる程度
について、1.判例のような「(一般的、抽象的な)おそれがある」では足りず、「具体的事情のもとにおいて、~相当の蓋然性がある」と認められる必要があり、かつ、
②㋑これに加えられる具体的制限の態様「及び程度」
について、「右の障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきもの」
である必要がある、というものと考えられる。

【当てはめ】~その2

 ところで、
監獄法三一条二項は、在監者に対する文書、図画の閲読の自由を制限することができる旨を定めるとともに、制限の具体的内容を命令に委任し、
・これに基づき監獄法施行規則八六条一項はその制限の要件を定め、
・更に所論の法務大臣訓令及び法務省矯正局長依命通達は、制限の範囲、方法を定めている。
これらの規定を通覧すると、その文言上はかなりゆるやかな要件のもとで制限を可能としているようにみられるけれども、上に述べた要件及び範囲内でのみ閲読の制限を許す旨を定めたものと解するのが相当であり、かつ、そう解することも可能であるから、右法令等は、憲法に違反するものではないとしてその効力を承認することができるというべきである。
 論旨は、採用することができない。

いわゆる合憲限定解釈。。。(これにより、法令違憲をいう所論を否定)

(2) 適用違憲について

 所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができ、その過程に所論の違法はない。
そして、具体的場合における前記法令等の適用にあたり、「当該新聞紙、図書等の閲読を許すことによつて監獄内における規律及び秩序の維持に放置することができない程度の障害が生ずる相当の蓋然性」が存するかどうか、及び「これを防止するためにどのような内容、程度の制限措置が必要と認められるか」については、監獄内の実情に通暁し、直接その衝にあたる監獄の長による個個の場合の具体的状況のもとにおける裁量的判断にまつべき点が少なくないから、
→障害発生の相当の蓋然性があるとした長の認定に合理的な根拠があり、その防止のために当該制限措置が必要であるとした判断に合理性が認められる限り、長の右措置は適法として是認すべきものと解するのが相当である。

一段上がって下げる、みたいな規範。

すなわち、「具体的事情のもとにおいて、~相当の蓋然性がある」と認められる必要があるが、その蓋然性の存否については、監獄の長の裁量的判断に委ねる(→「相当の蓋然性がある」とした長の認定に「合理的な根拠」があれば、その長の措置は適法として是認すべきである)。

また、「右の障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきもの」であるが、「どのような内容、程度の制限措置が必要と認められるか」については、監獄の長の裁量的判断に委ねる(→「その防止のために当該制限措置が必要である」とした判断に「合理性」が認められれば、その長の措置は適法として是認すべきである)。

「合理的な範囲にとどまるべき」という規範が抜けて落ちているのは気になる。「必要かつ合理的な範囲にとどまる」と「必要とした判断に合理性が認められる」は同じじゃない、よね。。。


まあ、仮にこの規範でいくとして、そもそも監獄の長は、「相当の蓋然性がある」必要があるなんて思ってもいないし、「その防止のために当該制限措置が必要かつ合理的な範囲にとどまる」必要があるなんて思ってもいないはずなんだけど、当該事案において、監獄の長の判断をどうやって審査するんですかね、という疑問は当然に生ずる。

これを本件についてみると、前記事実関係、殊に
・本件新聞記事抹消処分当時までの間においていわゆる公安事件関係の被拘禁者らによる東京拘置所内の規律及び秩序に対するかなり激しい侵害行為が相当頻繁に行われていた状況に加えて、
・本件抹消処分に係る各新聞記事がいずれもいわゆる赤軍派学生によつて敢行された航空機乗つ取り事件に関するものであること
等の事情に照らすと、
東京拘置所長において、公安事件関係の被告人として拘禁されていた上告人らに対し本件各新聞記事の閲読を許した場合には、拘置所内の静穏が攪乱され、所内の規律及び秩序の維持に放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があるものとしたことには合理的な根拠があり、また、右の障害発生を防止するために必要であるとして右乗つ取り事件に関する各新聞記事の全部を原認定の期間抹消する措置をとつたことについても、当時の状況のもとにおいては、必要とされる制限の内容及び程度についての同所長の判断に裁量権の逸脱又は濫用の違法があつたとすることはできないものというべきである。

まあ、「相当の蓋然性がある」必要があると思ってその該当性を吟味したはずがなくても、そこはしれっと無視して「相当の蓋然性があるものとした」と考えていいよってことですね。

ここでも「合理的な範囲にとどまるべき」という規範が抜けて落ちているのは気になるところ。


3.最大判H4.7.1(成田新法事件)


【問題提起】

 現代民主主義社会においては、集会は、国民が様々な意見や情報等に接することにより自己の思想や人格を形成、発展させ、また、相互に意見や情報等を伝達、交流する場として必要であり、さらに、対外的に意見を表明するための有効な手段であるから、憲法二一条一項の保障する【集会の自由】は、民主主義社会における重要な基本的人権の一つとして特に尊重されなければならないものである。
 しかしながら、集会の自由といえどもあらゆる場合無制限に保障されなければならないものではなく、「公共の福祉」による必要かつ合理的な制限を受けることがあるのはいうまでもない。

一転して今度は、人権の内容及び性質から論ずる。

1.2.の判例は、いずれも監獄内という特殊な世界の中での話であったのに対し、今度は、本当に自由に満ちあふれたシャバの世界での法理。そのため、「必要」「目的」から論ずることはできない。

そこで、「公共の福祉による必要かつ合理的な制限を受けることがあるのはいうまでもない」とする。

まず制約法理というのが、論ずる基本ということですかね。

【規範】

そして、【このような自由】に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、
①制限が必要とされる程度と、
②㋐制限される自由の内容及び性質
 ㋑これに加えられる具体的制限の態様及び程度
等を較量して決めるのが相当である(最高裁昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁参照)。

規範は基本的に2.判例と同じだが、当然ながら、一定の目的が措定されているわけではないので、「右の目的のために」という制約原理は削除されている。

【当てはめ】

 ところで、本法三条一項一号は、規制区域内に所在する建築物その他の工作物が多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供され又は供されるおそれがあると認めるときは、運輸大臣は、当該工作物の所有者等に対し、期限を付して当該工作物をその用に供することを禁止することを命ずることができるとしているが、同号に基づく工作物使用禁止命令により当該工作物を多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供することが禁止される結果、多数の暴力主義的破壊活動者の集会も禁止されることになり、ここに憲法二一条一項との関係が問題となるのである。

なぜ集会の自由が問題となるかの分析。
本法は、集会の自由を制限ないし禁止するものではないが、集合の用に供することが禁止される結果、必然的に集会も禁止されるという論理。

ここで重要なのは、「集会が禁止される」なんていうことを最高裁が素直に認めるはずもなく。。。(理由も必要性もない)

「多数の暴力主義的破壊活動者の」集会が禁止されるという点がポイント。単に集会の自由が制限されるのではなく、制限されるのは、「多数の暴力主義的破壊活動者の」集会の自由にすぎない、ということを指摘する文脈。

(保護される利益)
 そこで検討するに、本法三条一項一号に基づく工作物使用禁止命令により保護される利益は、【新空港若しくは航空保安施設等の設置、管理の安全の確保】並びに新空港及びその周辺における【航空機の航行の安全の確保
であり、それに伴い【新空港を利用する乗客等の生命、身体の安全の確保
も図られるのであって、【これらの安全の確保】は、国家的、社会経済的、公益的、人道的見地から極めて強く要請されるところのものである。

(制限される利益)
他方、右工作物使用禁止命令により制限される利益は、多数の暴力主義的破壊活動者が当該工作物を集合の用に供する利益にすぎない。

(規制の必要性の程度)
しかも、前記本法制定の経緯に照らせば、暴力主義的破壊活動等を防止し、【前記新空港の設置、管理等の安全を確保】することには高度かつ緊急の必要性があるというべきであるから、

(結論)
以上を総合して較量すれば、【規制区域内において暴力主義的破壊活動者による工作物の使用を禁止する措置を採り得るとすること】は、「公共の福祉」による必要かつ合理的なものであるといわなければならない。

やや規範との乖離があるのではないかと思われるところだが、理由はおそらく「公共の福祉」が制約原理とされているから。

その点はさて措き。

まず、制約原理である「公共の福祉」の内容を明らかにする必要がある。これが「保護される利益」。

次に、「制限される自由の内容及び性質」、もとい「制限される利益」につき、
・「多数の暴力主義的破壊活動者」が
・「当該工作物」を
・「集合の用に供する」
という「利益」にすぎない(すなわち、「自由」を制限するものですらない)とする。

そして、1.判例と同様、「これに加えられる具体的制限の態様及び程度」についての検討を省略した上で、上記「利益」の制限を伴う「規制」の必要性につき、「高度かつ緊急の必要性がある」という。


まあ国策立法で違憲にできるはずもない中での判断ということは差し引く必要はあるんだろうと思う。


4.最判H5.3.16(教科書検定事件)

ここへ来て初めての小法廷。

(1) 規範&当てはめ

極めて簡潔な導入から入る。

 憲法二一条一項にいう表現の自由といえども無制限に保障されるものではなく、「公共の福祉」による合理的必要やむを得ない限度の制限を受けることがあり、その制限が右のような限度のものとして容認されるかどうかは、
①制限が必要とされる程度と、
②㋐制限される自由の内容及び性質
 ㋑これに加えられる具体的制限の態様及び程度
等を較量して決せられるべきものである。

3.判例では、「集会の自由」につき、「あらゆる場合」に「無制限」に保障されるものではないとし、「公共の福祉」による「必要かつ合理的な制限」を受けることがあるのはいうまでもないとするが、こちら(「表現の自由」)では、「あらゆる場合に」という無駄な仮定が削除され、「合理的(な制限)」であっても、「必要」であれば足りるというのではなく、「必要やむを得ない程度の制限」である必要があるとしている。

規範自体は3.判例と同じ。

【当てはめ】

これを本件検定についてみるのに、
(一) 前記のとおり、普通教育の場においては、教育の中立・公正、一定水準の確保等の要請があり、これを実現するためには、これらの観点に照らして不適切と認められる図書の教科書としての発行、使用等を禁止する必要があること(普通教育の場でこのような教科書を使用することは、批判能力の十分でない児童、生徒に無用の負担を与えるものである)、
(二) その制限も、右の観点からして不適切と認められる内容を含む図書のみを、教科書という特殊な形態において発行を禁ずるものにすぎないことなどを考慮すると、
本件検定による【表現の自由】の制限は、合理的必要やむを得ない限度のものというべきであって、憲法二一条一項の規定に違反するものではない。

このことは、当裁判所の判例(最高裁昭和四四年(あ)第一五〇一号同四九年一一月六日大法廷判決・刑集二八巻九号三九三頁、最高裁昭和五二年(オ)九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁、最高裁昭和六一年(行ツ)第一一号平成四年七月一日大法廷判決・民集四六巻五号四三七頁)の趣旨に徴して明らかである。

(2) 最大判S49.11.6(猿払事件)

上記判決を「趣旨に徴」する判決として引用しているのは、憲法21条1項との関係ゆえと思われる。

【導入】

 一審判決及び原判決が被告人の本件行為に対し国公法一一〇条一項一九号の罰則を適用することは憲法二一条、三一条に違反するものと判断したのは、民主主義国家における表現の自由の重要性にかんがみ、国公法一〇二条一項及び規則五項三号、六項一三号が、公務員に対し、その職種や職務権限を区別することなく、また行為の態様や意図を問題とすることなく、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を掲示し又は配布する行為を、一律に違法と評価して、禁止していることの合理性に疑問があるとの考えに、基づくものと認められる。よつて、まず、この点から検討を加えることとする。

【制約原理】

(一) 憲法二一条の保障する表現の自由は、民主主義国家の政治的基盤をなし、国民の基本的人権のうちでもとりわけ重要なものであり、法律によつてもみだりに制限することができないものである。
そして、およそ政治的行為は、行動としての面をもつほかに、政治的意見の表明としての面をも有するものであるから、その限りにおいて、憲法二一条による保障を受けるものであることも、明らかである。

この論証、使えそう。

国公法一〇二条一項及び規則によつて公務員に禁止されている政治的行為も多かれ少なかれ政治的意見の表明を内包する行為であるから、もしそのような行為が国民一般に対して禁止されるのであれば、憲法違反の問題が生ずることはいうまでもない。しかしながら、国公法一〇二条一項及び規則による政治的行為の禁止は、もとより国民一般に対して向けられているものではなく、公務員のみに対して向けられているものである。

ところで、国民の信託による国政が国民全体への奉仕を旨として行われなければならないことは当然の理であるが、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」とする憲法一五条二項の規定からもまた、公務が国民の一部に対する奉仕としてではなく、その全体に対する奉仕として運営されるべきものであることを理解することができる。
公務のうちでも行政の分野におけるそれは、憲法の定める統治組織の構造に照らし、議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策の忠実な遂行を期し、もつぱら国民全体に対する奉仕を旨とし、政治的偏向を排して運営されなければならないものと解されるのであつて、そのためには、個々の公務員が、政治的に、一党一派に偏することなく、厳に中立の立場を堅持して、その職務の遂行にあたることが必要となるのである。すなわち、行政の中立的運営が確保され、これに対する国民の信頼が維持されることは、憲法の要請にかなうものであり、公務員の政治的中立性が維持されることは、国民全体の重要な利益にほかならないというべきである。

したがつて、【公務員の政治的中立性を損うおそれのある公務員の政治的行為】を禁止することは、それが合理的必要やむをえない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところであるといわなければならない。

「行政の中立的運営」が確保され、「これに対する国民の信頼」が維持されることは、憲法の要請にかなうものであり、
「公務員の政治的中立性」が維持されることは、国民全体の重要な利益であるという。

その上で、(「公務員の政治的中立性」を損なうおそれのある)「公務員の政治的行為」を禁止することは、「合理的」で「必要やむを得ない限度にとどまるものである限り」、憲法の許容するところであるとする。

なお、ここでいう「公務員の政治的中立性を損なうおそれのある」は、それ自体が要件となるものではなく、単なる枕詞にすぎないものと思われる。

(二) 国公法一〇二条一項及び規則による公務員に対する政治的行為の禁止が右の合理的で必要やむをえない限度にとどまるものか否かを判断するにあたつては、
①禁止の目的、
②この目的と禁止される政治的行為との関連性、
③政治的行為を禁止することにより得られる利益と禁止することにより失われる利益との均衡
の三点から検討することが必要である。

極めて明確な規範(3要件説)。

 そこで、まず、①禁止の目的及び②この目的と禁止される行為との関連性について考えると、もし公務員の政治的行為のすべてが自由に放任されるときは、おのずから公務員の政治的中立性が損われ、ためにその職務の遂行ひいてはその属する行政機関の公務の運営に党派的偏向を招くおそれがあり、行政の中立的運営に対する国民の信頼が損われることを免れない。
また、公務員の右のような党派的偏向は、逆に政治的党派の行政への不当な介入を容易にし、行政の中立的運営が歪められる可能性が一層増大するばかりでなく、そのような傾向が拡大すれば、本来政治的中立を保ちつつ一体となつて国民全体に奉仕すべき責務を負う行政組織の内部に深刻な政治的対立を醸成し、そのため行政の能率的で安定した運営は阻害され、ひいては議会制民主主義の政治過程を経て決定された国の政策の忠実な遂行にも重大な支障をきたすおそれがあり、このようなおそれは行政組織の規模の大きさに比例して拡大すべく、かくては、もはや組織の内部規律のみによつてはその弊害を防止することができない事態に立ち至るのである。

したがつて、このような弊害の発生を防止し、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するため、公務員の政治的中立性を損うおそれのある政治的行為を禁止することは、まさしく憲法の要請に応え、公務員を含む国民全体の共同利益を擁護するための措置にほかならないのであつて、その目的は正当なものというべきである。

また、右のような弊害の発生を防止するため、公務員の政治的中立性を損うおそれがあると認められる政治的行為を禁止することは、禁止目的との間に合理的な関連性があるものと認められるのであつて、たとえその禁止が、公務員の職種・職務権限、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無等を区別することなく、あるいは行政の中立的運営を直接、具体的に損う行為のみに限定されていないとしても、右の合理的な関連性が失われるものではない。

想像力たくましいと感じるかどうかはさておき、これだけの論証を過去の最高裁はやっていたということは評価すべき。

次に、③利益の均衡の点について考えてみると、民主主義国家においては、できる限り多数の国民の参加によつて政治が行われることが国民全体にとつて重要な利益であることはいうまでもないのであるから、公務員が全体の奉仕者であることの一面のみを強調するあまり、ひとしく国民の一員である公務員の政治的行為を禁止することによつて右の利益が失われることとなる消極面を軽視することがあつてはならない。
しかしながら、公務員の政治的中立性を損うおそれのある行動類型に属する政治的行為を、これに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしてではなく、その行動のもたらす弊害の防止をねらいとして禁止するときは、同時にそれにより意見表明の自由が制約されることにはなるが、それは、単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約に過ぎず、かつ、国公法一〇二条一項及び規則の定める行動類型以外の行為により意見を表明する自由までをも制約するものではなく
他面、禁止により得られる利益は、公務員の政治的中立性を維持し、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するという国民全体の共同利益なのであるから、
得られる利益は、失われる利益に比してさらに重要なものというべきであり、その禁止は利益の均衡を失するものではない。


(三) 以上の観点から本件で問題とされている規則五項三号、六項一三号の政治的行為をみると、
その行為は、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を掲示し又は配布する行為であつて、政治的偏向の強い行動類型に属するものにほかならず、政治的行為の中でも、公務員の政治的中立性の維持を損うおそれが強いと認められるものであり、政治的行為の禁止目的との間に合理的な関連性をもつものであることは明白である。
また、その行為の禁止は、もとよりそれに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしたものではなく、行動のもたらす弊害の防止をねらいとしたものであつて、国民全体の共同利益を擁護するためのものであるから、その禁止により得られる利益とこれにより失われる利益との間に均衡を失するところがあるものとは、認められない。
したがつて、国公法一〇二条一項及び規則五項三号、六項一三号は、合理的で必要やむをえない限度を超えるものとは認められず、憲法二一条に違反するものということはできない。

(3) 猿払事件の「趣旨に徴」する意味


猿払事件は、憲法21条の保障する表現の自由、さらには政治的行為につき、国民一般に対して禁止されるのであれば、憲法違反の問題が生ずることはいうまでもないとする一方、公務員のみに対して向けられているものであるとした上で、その禁止は、「合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものである限り」憲法の許容するところであるとした。

逆にいえば、表現の自由の制限→公共の福祉により「合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものである限り」憲法上許容される、というのは、少なくとも猿払事件の判例の趣旨とは異なる。あくまで、公務員の政治的行為の制約についてのみ。

一方、この4.判例は、公務員の政治的行為の禁止ではない。

しかしながら、公務員の政治的行為の禁止と同様、「公共の福祉による合理的で必要やむを得ない限度の制限を受けること」は当然あり得るとの理解の下で、かかる限度として容認されるかについて、さらなる下位規範を立てた。

猿払事件は、一定の政治的行為を一律に違法と評価し、禁止するものであり、「制限される自由の内容及び性質」(表現の自由、しかも政治的行為)や、「これに加えられる具体的制限の態様及び程度」(絶対禁止)についてみれば、極めて重大な制限であるといわざるを得ない。

そこで、一般的な規範とは別に、「特定のごく一部の者のみの人権を制約する場合の規範」を持ち出す。それが、以下の3要件規範。

①禁止の目的、
②この目的と禁止される政治的行為との関連性、
③政治的行為を禁止することにより得られる利益と禁止することにより失われる利益との均衡

つまり、禁止の目的の正当性を強調し、その目的達成との手段の関連性につき、厳しく判断するのではなく、「合理的な関連性」を認め、限定がなくても「合理的な関連性」は失われないとした上で、「失われる利益」(≒制限される利益)については、有名な「間接的、付随的な制約」にすぎない(だからなんやねん!という突っ込みはさておき)として、「利益の均衡を失するものではない」として正当化する。

ある意味特別権力関係理論に近いんじゃないかという気がしなくもない。

まあ、一般則だと到底合憲性が認められないようなときは、この猿払事件を流用すると合憲性を肯定することは容易となる。


5.最判H24.12.7(堀越事件)

猿払事件では、国家公務員法102条1項、人事院規則14-7・5項3号(「政治的目的」:特定の政党その他の政治的団体を支持し又はこれに反対すること)、6項13号(「政治的行為」:「政治的目的」を有する署名又は無署名の文書、図画、音盤又は形象を発行し、回覧に供し、掲示し若しくは配布し又は多数の人に対して朗読し若しくは聴取させ、あるいはこれらの用に供するために著作し又は編集すること)による特定の政党を支持する政治的目的を有する文書の掲示又は配布の禁止と憲法21条の関係が問題となったものであるが、本件は、人事院規則14-7・6項7号(政党その他の政治的団体の機関紙たる新聞その他の刊行物を発行し、編集し、配布し又はこれらの行為を援助すること)、13号(同上)による政党の機関紙の配布及び政治的目的を有する文書の配布の禁止と憲法21条の関係が問題となったものである。

原判決は、本件配布行為に対して本件罰則規定を適用することは、国家公務員の政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度を超えた制約を加え、これを処罰の対象とするものといわざるを得ず、憲法21条1項及び31条に違反するとして、第1審判決を破棄し、被告人を無罪とした。これに対し、検察官が上告した事件である。


【規範の導出】

 本法102条1項は,「職員は,政党又は政治的目的のために,寄附金その他の利益を求め,若しくは受領し,又は何らの方法を以てするを問わず,これらの行為に関与し,あるいは選挙権の行使を除く外,人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。」と規定しているところ,同項は,行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することをその趣旨とするものと解される。すなわち,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない。」と定めており,国民の信託に基づく国政の運営のために行われる公務は,国民の一部でなく,その全体の利益のために行われるべきものであることが要請されている。その中で,国の行政機関における公務は,憲法の定める我が国の統治機構の仕組みの下で,議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策を忠実に遂行するため,国民全体に対する奉仕を旨として,政治的に中立に運営されるべきものといえる。そして,このような行政の中立的運営が確保されるためには,公務員が,政治的に公正かつ中立的な立場に立って職務の遂行に当たることが必要となるものである。このように,本法102条1項は,公務員の職務の遂行の政治的中立性を保持することによって行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することを目的とするものと解される。

猿払事件は、徹頭徹尾「公務員の」政治的中立性を問題としていたが、「公務員の職務の遂行の」政治的中立性が問題であると修正した。

 他方,国民は,憲法上,表現の自由(21条1項)としての政治活動の自由を保障されており,この精神的自由は立憲民主政の政治過程にとって不可欠の基本的人権であって,民主主義社会を基礎付ける重要な権利であることに鑑みると,上記の目的に基づく法令による公務員に対する政治的行為の禁止は,国民としての政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度にその範囲が画されるべきものである。

この観点は、猿払事件にはない。

 このような本法102条1項の文言,趣旨,目的や規制される政治活動の自由の重要性に加え,同項の規定が刑罰法規の構成要件となることを考慮すると,同項にいう「政治的行為」とは,{公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれ}が,<観念的なもの>にとどまらず,<現実的に起こり得るものとして実質的に認められるもの>を指し,同項はそのような行為の類型の具体的な定めを人事院規則に委任したものと解するのが相当である。

猿払事件は、「政治的行為の中でも、公務員の政治的中立性の維持を損うおそれが強いと認められるもの」であったがために(かどうかはさておき)、その「おそれ」が「現実的に起こり得るものとして実質的に認められるもの」か否かは問題としなかったが、当然それは必要であるとのこと。

そして,その委任に基づいて定められた本規則も,このような同項の委任の範囲内において,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる行為の類型を規定したものと解すべきである。
上記のような本法の委任の趣旨及び本規則の性格に照らすと,本件罰則規定に係る本規則6項7号,13号(5項3号)については,それぞれが定める行為類型に文言上該当する行為であって,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものを当該各号の禁止の対象となる政治的行為と規定したものと解するのが相当である。
このような行為は,それが一公務員のものであっても,行政の組織的な運営の性質等に鑑みると,当該公務員の職務権限の行使ないし指揮命令や指導監督等を通じてその属する行政組織の職務の遂行や組織の運営に影響が及び,行政の中立的運営に影響を及ぼすものというべきであり,また,こうした影響は,勤務外の行為であっても事情によってはその政治的傾向が職務内容に現れる蓋然性が高まることなどによって生じ得るものというべきである。


【規範】

 そして,上記のような規制の目的やその対象となる政治的行為の内容等に鑑みると,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるかどうかは,
当該公務員の地位,
その職務の内容や権限等,
当該公務員がした行為の性質,態様,目的,内容
等の諸般の事情を総合して判断するのが相当である。
具体的には,
当該公務員につき,指揮命令や指導監督等を通じて他の職員の職務の遂行に一定の影響を及ぼし得る地位(管理職的地位)の有無,
職務の内容や権限における裁量の有無,
当該行為につき,勤務時間の内外,国ないし職場の施設の利用の有無,公務員の地位の利用の有無,公務員により組織される団体の活動としての性格の有無,公務員による行為と直接認識され得る態様の有無,行政の中立的運営と直接相反する目的や内容の有無
等が考慮の対象となるものと解される。 

【憲法適合性】

 そこで,進んで本件罰則規定が憲法21条1項,31条に違反するかを検討する。
この点については,本件罰則規定による政治的行為に対する規制が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかによることになるが,これは,
①本件罰則規定の目的のために規制が必要とされる程度と,
②㋐規制される自由の内容及び性質,
 ㋑具体的な規制の態様及び程度
等を較量して決せられるべきものである(最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁等)。

猿払事件は、「合理的で必要やむを得ない限度にとどまる」禁止か否かを問題としたが、本判決では、「必要かつ合理的なもの」かと簡略化されている。

一方、猿払事件では、上記判断に当たり、
①禁止の目的、
②この目的と禁止される政治的行為との関連性、
③政治的行為を禁止することにより得られる利益と禁止することにより失われる利益との均衡
の3点から検討することが必要であるとし、一般則をあえて使用していないが、本判決は、一般則に立ち返っている。

この辺の規範の整理がよく分からん。

(規制の目的)
そこで,まず,本件罰則規定の目的は,前記のとおり,公務員の職務の遂行の政治的中立性を保持することによって行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することにあるところ,これは,議会制民主主義に基づく統治機構の仕組みを定める憲法の要請にかなう国民全体の重要な利益というべきであり,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる政治的行為を禁止することは,国民全体の上記利益の保護のためであって,その規制の目的は合理的であり正当なものといえる。

(規制される自由及び規制態様等)
他方,本件罰則規定により禁止されるのは,民主主義社会において重要な意義を有する表現の自由としての政治活動の自由ではあるものの,前記アのとおり,禁止の対象とされるものは,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる政治的行為に限られ,このようなおそれが認められない政治的行為や本規則が規定する行為類型以外の政治的行為が禁止されるものではないから,その制限は必要やむを得ない限度にとどまり,前記の目的を達成するために必要かつ合理的な範囲のものというべきである。

そして,上記の解釈の下における本件罰則規定は,不明確なものとも,過度に広汎な規制であるともいえないと解される。

なお,このような禁止行為に対しては,服務規律違反を理由とする懲戒処分のみではなく,刑罰を科すことをも制度として予定されているが,これは,国民全体の上記利益を損なう影響の重大性等に鑑みて禁止行為の内容,態様等が懲戒処分等では対応しきれない場合も想定されるためであり,あり得べき対応というべきであって,刑罰を含む規制であることをもって直ちに必要かつ合理的なものであることが否定されるものではない。

以上の諸点に鑑みれば,本件罰則規定は憲法21条1項,31条に違反するものではないというべきであり,このように解することができることは,当裁判所の判例(最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁,最高裁昭和57年(行ツ)第156号同59年12月12日大法廷判決・民集38巻12号1308頁,最高裁昭和56年(オ)第609号同61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁,最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁,最高裁平成10年(分ク)第1号同年12月1日大法廷決定・民集52巻9号1761頁)の趣旨に徴して明らかである。

【具体的行為について】

 次に,本件配布行為が本件罰則規定の構成要件に該当するかを検討するに,本件配布行為が本規則6項7号,13号(5項3号)が定める行為類型に文言上該当する行為であることは明らかであるが,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものかどうかについて,前記諸般の事情を総合して判断する。
前記のとおり,被告人は,社会保険事務所に年金審査官として勤務する事務官であり,管理職的地位にはなく,
その職務の内容や権限も,来庁した利用者からの年金の受給の可否や年金の請求,年金の見込額等に関する相談を受け,これに対し,コンピューターに保管されている当該利用者の年金に関する記録を調査した上,その情報に基づいて回答し,必要な手続をとるよう促すという,裁量の余地のないものであった。
そして,本件配布行為は,勤務時間外である休日に,国ないし職場の施設を利用せずに,公務員としての地位を利用することなく行われたものである上,公務員により組織される団体の活動としての性格もなく,公務員であることを明らかにすることなく,無言で郵便受けに文書を配布したにとどまるものであって,公務員による行為と認識し得る態様でもなかったものである。
これらの事情によれば,本件配布行為は,管理職的地位になく,その職務の内容や権限に裁量の余地のない公務員によって,職務と全く無関係に,公務員により組織される団体の活動としての性格もなく行われたものであり,公務員による行為と認識し得る態様で行われたものでもないから,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものとはいえない。
そうすると,本件配布行為は本件罰則規定の構成要件に該当しないというべきである。

なお、もう1件、同日の同小法廷の判決があり、こちらは有罪(維持)となっている。

 次に,本件配布行為が本件罰則規定の構成要件に該当するかを検討するに,本件配布行為が本規則6項7号が定める行為類型に文言上該当する行為であることは明らかであるが,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものかどうかについて,前記諸般の事情を総合して判断する。
前記のとおり,被告人は,厚生労働省大臣官房統計情報部社会統計課長補佐であり,庶務係,企画指導係及び技術開発係担当として部下である各係職員を直接指揮するとともに,同課に存する8名の課長補佐の筆頭課長補佐(総括課長補佐)として他の課長補佐等からの業務の相談に対応するなど課内の総合調整等を行う立場にあり,国家公務員法108条の2第3項ただし書所定の管理職員等に当たり,一般の職員と同一の職員団体の構成員となることのない職員であったものであって,指揮命令や指導監督等を通じて他の多数の職員の職務の遂行に影響を及ぼすことのできる地位にあったといえる。
このような地位及び職務の内容や権限を担っていた被告人が政党機関紙の配布という特定の政党を積極的に支援する行動を行うことについては,それが勤務外のものであったとしても,国民全体の奉仕者として政治的に中立な姿勢を特に堅持すべき立場にある管理職的地位の公務員が殊更にこのような一定の政治的傾向を顕著に示す行動に出ているのであるから,当該公務員による裁量権を伴う職務権限の行使の過程の様々な場面でその政治的傾向が職務内容に現れる蓋然性が高まり,その指揮命令や指導監督を通じてその部下等の職務の遂行や組織の運営にもその傾向に沿った影響を及ぼすことになりかねない
したがって,これらによって,当該公務員及びその属する行政組織の職務の遂行の政治的中立性が損なわれるおそれが実質的に生ずるものということができる。
そうすると,本件配布行為が,勤務時間外である休日に,国ないし職場の施設を利用せずに,それ自体は公務員としての地位を利用することなく行われたものであること,公務員により組織される団体の活動としての性格を有しないこと,公務員であることを明らかにすることなく,無言で郵便受けに文書を配布したにとどまるものであって,公務員による行為と認識し得る態様ではなかったことなどの事情を考慮しても,本件配布行為には,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められ,本件配布行為は本件罰則規定の構成要件に該当するというべきである。

6.最判H26.5.27(二親等内親族経営企業規制)

こんな判例、知らなかったぞ。。。

 本件規定(議員の2親等以内の親族が経営する企業(以下「2親等内親族企業」という。)は上告人の工事等の請負契約等を辞退しなければならず,当該議員は当該企業の辞退届を徴して提出するよう努めなければならない旨の規定部分)が憲法21条1項に違反するかどうかは,2親等規制による議員活動の自由についての制約が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかによるものと解されるが,これは,
①その目的のために制約が必要とされる程度と,
②㋐制約される自由の内容及び性質,
 ㋑具体的な制約の態様及び程度
等を較量して決するのが相当である(最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁,最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁等参照)。

 本件条例は,議員の政治倫理に関する規律の基本となる事項を定めることにより議員の政治倫理の確立を主権者たる市民に宣言し,もって市民に信頼される清浄で民主的な市政の発展に寄与することを目的とし(1条),議員は,市民全体の奉仕者として,自らの役割を深く自覚し,市民に対し,常に政治倫理に関する高潔性を示すよう努めるとともに,その使命の達成に努めなければならないと定めており(2条),これらの本件条例の趣旨及び目的や前記2(1)の本件条例4条1項及び3項の文言等に鑑みると,本件規定による2親等規制の目的は,議員の職務執行の公正を確保するとともに,議員の職務執行の公正さに対する市民の疑惑や不信を招くような行為の防止を図り,もって議会の公正な運営と市政に対する市民の信頼を確保することにあるものと解され,このような規制の目的正当なものということができる。

本件規定による2親等規制は,上記の目的に従い,議員の当該企業の経営への実質的な関与の有無等を問うことなく,上告人の工事等の請負契約等の相手方が2親等内親族企業であるという基準をもって,当該議員に対し,当該企業の辞退届を徴して提出するよう努める義務を課すものであるが,
議員が実質的に経営する企業であるのにその経営者を名目上2親等以内の親族とするなどして地方自治法92条の2の規制の潜脱が行われるおそれや,議員が2親等以内の親族のために当該親族が経営する企業に特別の便宜を図るなどして議員の職務執行の公正が害されるおそれがあることは否定し難く(地方自治法169条,198条の2等参照),また,2親等内親族企業が上告人の工事等を受注することは,それ自体が議員の職務執行の公正さに対する市民の疑惑や不信を招くものといえる。
そして,議員の当該企業の経営への実質的な関与の有無等の事情は,外部の第三者において容易に把握し得るものではなく,そのような事実関係の立証や認定は困難を伴い,これを行い得ないことも想定されるから,仮に上記のような事情のみを規制の要件とすると,その規制の目的を実現し得ない結果を招来することになりかねない。
他方,本件条例4条3項は,議員に対して2親等内親族企業の辞退届を提出するよう努める義務を課すにとどまり,辞退届の実際の提出まで義務付けるものではないから,その義務は議員本人の意思と努力のみで履行し得る性質のものである。

(制約の態様及び程度)
また,議員がこのような義務を履行しなかった場合には,本件条例所定の手続を経て,警告や辞職勧告等の措置を受け,審査会の審査結果を公表されることによって,議員の政治的立場への影響を通じて議員活動の自由についての事実上の制約が生ずることがあり得るが,これらは議員の地位を失わせるなどの法的な効果や強制力を有するものではない

これらの事情に加え,本件条例は地方公共団体の議会の内部的自律権に基づく自主規制としての性格を有しており,このような議会の自律的な規制の在り方についてはその自主的な判断が尊重されるべきものと解されること等も考慮すると,
本件規定による2親等規制に基づく議員の議員活動の自由についての制約は,地方公共団体の民主的な運営におけるその活動の意義等を考慮してもなお,前記の正当な目的を達成するための手段として必要かつ合理的な範囲のものということができる。

以上に鑑みると,2親等規制を定める本件規定は,憲法21条1項に違反するものではないと解するのが相当である。

7.最判R4.2.15(大阪市ヘイトスピーチ条例)

 憲法21条1項により保障される表現の自由は,立憲民主政の政治過程にとって不可欠の基本的人権であって,民主主義社会を基礎付ける重要な権利であるものの,無制限に保障されるものではなく,公共の福祉による合理的必要やむを得ない限度の制限を受けることがあるというべきである。
そして,本件において,本件各規定による【表現の自由】に対する制限が上記限度のものとして是認されるかどうかは,
①本件各規定の目的のために制限が必要とされる程度と,
②㋐制限される自由の内容及び性質,
 ㋑これに加えられる具体的な制限の態様及び程度
等を較量して決めるのが相当である(最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁等参照)。

 本件各規定は,拡散防止措置等を通じて,表現の自由を一定の範囲で制約するものといえるところ,その目的は,その文理等に照らし,条例ヘイトスピーチの抑止を図ることにあると解される。
そして,条例ヘイトスピーチに該当する表現活動のうち,特定の個人を対象とする表現活動のように民事上又は刑事上の責任が発生し得るものについて,これを抑止する必要性が高いことはもとより,民族全体等の不特定かつ多数の人々を対象とする表現活動のように,直ちに上記責任が発生するとはいえないものについても,前記1で説示したところに照らせば,人種又は民族に係る特定の属性を理由として特定人等を社会から排除すること等の不当な目的をもって公然と行われるものであって,その内容又は態様において,殊更に当該人種若しくは民族に属する者に対する差別の意識,憎悪等を誘発し若しくは助長するようなものであるか,又はその者の生命,身体等に危害を加えるといった犯罪行為を扇動するようなものであるといえるから,これを抑止する必要性が高いことに変わりはないというべきである。
加えて,市内においては,実際に上記のような過激で悪質性の高い差別的言動を伴う街宣活動等が頻繁に行われていたことがうかがわれること等をも勘案すると,本件各規定の目的合理的であり正当なものということができる。

 また,本件各規定により制限される表現活動の内容及び性質は,上記のような過激で悪質性の高い差別的言動を伴うものに限られる上,その制限の態様及び程度においても,事後的に市長による拡散防止措置等の対象となるにとどまる。
そして,拡散防止措置については,市長は,看板,掲示物等の撤去要請や,インターネット上の表現についての削除要請等を行うことができると解されるものの,当該要請等に応じないものに対する制裁はなく,認識等公表についても,表現活動をしたものの氏名又は名称を特定するための法的強制力を伴う手段は存在しない

 そうすると,本件各規定による表現の自由の制限は,合理的必要やむを得ない限度にとどまるものというべきである。
そして,以上説示したところによれば,本件各規定のうち,条例ヘイトスピーチの定義を規定した本件条例2条1項及び市長が拡散防止措置等をとるための要件を規定した本件条例5条1項は,通常の判断能力を有する一般人の理解において,具体的場合に当該表現活動がその適用を受けるものかどうかの判断を可能とするような基準が読み取れるものであって,不明確なものということはできないし,過度に広汎な規制であるということもできない。

 したがって,本件各規定は憲法21条1項に違反するものということはできない。
以上は,当裁判所大法廷判決(前掲最高裁昭和58年6月22日大法廷判決,最高裁昭和57年(行ツ)第156号同59年12月12日大法廷判決・民集38巻12号1308頁,最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。論旨は採用することができない。

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