見出し画像

NIGHT642を観て感じたこと。

尖閣諸島は中国のモノ、蒼井そらは世界のモノ と中国の若者がデモで叫ぶ。ですよ。

まずは反日について

失礼か親切かは国籍ではなく個人の問題。世界中の親切な人は親切だし、不親切なひとは日本人でも不親切。これは常日頃、私も思っていることでした。親切な中国の人は何人も知ってる。彼らは日本のアニメやカルチャーが大好きだ。反日教育なんてなんのことやら。

前日の踏み絵3本の解説動画、サムネの食い込みに目が行き過ぎて、なんだかわからず、コメント書き込んで、やっぱりなんだか分からず、翌日見てみて、なんとなく良いね👍した気になってくるから不思議。

 TLに流れてきたら、なんとなく見ましたスタンプや、回覧板の認印の如くイイねするしかないから、その書き込みの意図に賛同しなくても❤️が飛び交うのも事実。かといって👎があれば、知り合いに匿名ではなく押せるかどうかは難しい。

などと、意識がぼーんやりしたところで
動画の内容を反芻する。

堂々巡りからの脱却。

正に今の自分に必要なモノでした。
自分が必要としているのがテーマだとちょっと浮き足立つ。

堂々巡りっていうか、ちょっとづつ変化のあるタイムリープの様な
自分の弱さとへんなこだわりのおかげで全く物事が進まない。

やりたい気持ちだけが、散漫に上から降ってくる。

アウトプットが全て完璧である必要はない。これに気がついたので、いま頭から溢れるままに、この文章を書いている。

なんかバタバタしているだけで、なにかをしている様な気になって、実は何も変わっていない事のジレンマにジリジリしているだけの日々を過ごしておりました。

動画から流れる、加藤さんの声に、あーそうなんだよなー。と頷きつつ、ぼんやりきいてて、いきなり名前を呼ばれるっつー雷に打たれたような感覚にびっくりした。

加藤さんの話、ひとことでまとめられない。


この動画で言っていることを誰かに伝えようとすると、一語一句鸚鵡返しにする回もあれば、

結局なんだっけ?手のひらからこぼれる砂のように、手には言葉が残らないこともある。一度見ただけでは、下手するとコメントすら書けない。

結局何度も見ているうちに、YouTubeのおすすめ動画でゲッターズ飯田が流れてなんだか、分からなくなり寝落ちするという毎日がつづいていた。

そもそも何のためにアウトプットするのか、説明的になってしまって申し訳ないのだけど、子供が加藤さんの話しを全く分からないと、言うからだ。これが動機。

何度か講演会に子を連れて行っていて、うちの子はいい加減でかい高校生で、講演会で質問もするし、加藤さんの凄さも奇跡も知っていて、それでも、話の半分も何言ってるか分からないと言う。

娘は、正直言って日本語は怪しい。

演劇部に入って脚本書くくせに、加藤さんの話がわからないとか言いやがる。

ビックリした。
加藤さんの話から、何かをモノにしようという、ガッツがなくてビックリしたし、残念すぎる。

わからないことがわかれば良い。
体感するだけで良い。

だから、まとめられない。
ひとことでは足りなさすぎるし、下手すると言葉がひとことも出てこない。

まるっきりコピーしたら、
良いんだよ。

って動画の中で加藤さんが
言っていた。ような。

とりあえず、今日はここだけ切り取ってみよう。

ちょっと乱暴だけど、成長するためには、日常をぶっ壊さなけりゃならんらしい。とりあえず今日の感想はここまで。
帰ったら絵を描こう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?