2025年の抱負、というか、人生をかけて解決したいこと
この時期のラジオでは、今年の抱負、目標、というテーマメールで目白押しで、番組によって内容を変えながら送っていたので結構苦労したのだが、そこでは、割と当たり障りのない、紋切り型の、典型的な目標を送っていた。そこで、ここでは、私が人生をかけて解決したい、大きな目標であり、昨年の心残りを記しておきたいと思う。
社会性というか、人付き合いの甲斐性をつけていきたい。
昨年、職場で飲み会の幹事を任されたことがあって、僕個人としては飲み会は大嫌いなんだけど、それでも「これは人のための仕事」と思って、個人的な感情を押し殺してやるつもりでいた。
でも、日程とか会場とか調整しようとすると、思うように進まなかった。日付の決め方とか、聞き方とかが悪かったのだろうか、めちゃくちゃ文句を言われてしまった。そこで我慢したらよかったのに、私は押し殺していた気持ちを抑えることができず、激昂してしまった。
「こちとら飲み会なんて大嫌いなんですよ、でも、皆さんのためにこうしてやってるってのに…じゃあもうやらねえよ!やりたい人らでやれや!!」
こうして私は、幹事の役から降りることとなった。自分に幹事は勤められないことが、任せた側と任せられた側で気持ちが一致した形となった。案の定、上司からは落胆された。
幹事をやめた時は、面倒ごとから解放されて嬉しかった気持ちもあったが、「俺、仕事として割り切れないくらい飲み会ダメだったのかよ、俺割り切れないのかよ」という自分の不甲斐なさに大いに悩んだ。事実、幹事を引き継いでくれた先輩は、ものの見事に食事会を成功させている。
飲み会嫌いはその後も治ることはなく、職場の忘年会や同期の飲み会もすべて欠席しており、自分がいかに社会性がないか、人付き合いに難を持っているのかで悩み続けた。
この日本社会において、飲み会嫌いというのがいかに大きなハンディキャップなのかを、強く知らしめられた。
この世の中は、変人であるだけでは生きていけない。人見知り、飲み会嫌い。私の場合、そう治るとは思えないけれど、少しずつ、少しずつ、人付き合いをうまくしていきたい。人の気持ちが分かるようになりたい。総じて、社会性を身につけていきたい。もっと言えば、世の中が言う「普通の人」になりたい。普通のハードルが高すぎる、とは、もう言っていられないけれど…