ダサい男が多すぎる

トキシック・マスキュリニティ

ニューヨークタイムズの記者マヤ・サラマン「トクシック・マスキュリニティとは何か」(2019年1月22日付)によれば、この「伝統的男性性イデオロギー」には、以下のような3つの行為や信念が控えているという。
つまり「感情の抑圧あるいは苦悩の隠蔽」「表面的なたくましさの維持」「力の指標としての暴力(いわゆる“タフガイ”行為)」である。
さまざまな感情を抑圧し、たくましさを自他に証明し続けなければならないと思い込んでいる男性たちが、ストレスや不安定な状況に陥った時、抑制してきた感情を爆発させ、「自分には力があるのだ(俺は弱い人間ではない)」と示すために、過剰な暴力行為に走るプロセスが見出せるということだろう。

https://wrcj.jp/column_toxicmasculinity/

「自他を害する過剰な男らしさへの執着」
ただしこうしたToxic Masculinityが、ユンク派の人々のアニムス/アニマ論に見られるように、「人間日本来備わっているもの」と超歴史的にとらえてしまうのも問題ではないかと思う。
というのも、あきらかに現代社会のToxic Masculinity現象の背後には、ジェンダー平等へと向かう文明史的転換=歴史的変化があるからだ。
この変化に対応しきれず、古い男性性に執着する男性たちが、ほとんど無自覚なまま背負い込んでいる危機状態(メンズ・クライシス)ないし「剥奪(感)の男性化」(大きな変化に対応しきれず「何か奪われているのではないか」という不安感の男性たちへの広がり)が、Toxic Masculinityの背後にはあると考えるからだ。

https://wrcj.jp/column_toxicmasculinity/

男らしさの呪縛は、“ホモソーシャル”によって深まっていくと言われている。ホモソーシャルとは、同性同士、とくに男性同士の繋がりのことを指す言葉。男性同士は、男らしさの呪縛が作り出した“女が好き”“男の友情”といったような価値観を共有して絆を深める場合があり、すると例えば、男性同士はその友情を証明するために同性愛を否定することになる。そしてその結果、同性愛差別に結びつきやすい。
 そして男らしさの呪縛は、女性差別を引き起こすことにもなる。“男なら女をモノにできなくてはいけない”といった価値観は、女性の意思を無視した不適切な扱いに繋がりやすい。そして、男性から女性への性加害は“男らしさ”で片づけられてしまうこともある。例えば女性の外見について性的なコメントをすること、お風呂を覗くこと、スカートめくり、嫌がる女性と性行為に及ぶことなどが、男だから仕方ないと肯定的に描かれているフィクション作品はいまだに多い。
男性社会による女性蔑視は非常に深刻。男性に対するプレッシャーから男らしさの呪縛が出来上がり、そこから女性蔑視が引き起こされたからといって、男性もプレッシャーがあって辛いのだという理由で差別が許されるものではない。そういった女性蔑視や、そのほかの様々な差別をなくすため、そして男性自身が有害な“らしさ”で感情や行動を制限されないためにも、男性が男らしさの呪縛から解放されることは社会全体にとって重要。

https://front-row.jp/_ct/17410335

ラッパーのマイソンは、過去に性暴力を働いたことがあるとの疑惑が出たアメリカ最高裁判所判事のブレット・カバノー氏に対する就任反対デモに参加し、ホモソーシャルについて反省した。
 「私たちは、自分たちでも気づかないうちに、女性にトラウマを与えている。なぜなら、それが普通とされてきたからです。…、女性がノーと言ったって、彼女にプレッシャーをかけて何かをさせたことがあるだろう。それは、男にとって普通の行動だとされてきたから。男は女性をモノにするのがかっこいい生き物とされてきたから。
 しかしそのことに気がつき、女性たちからの話を聞いた時、自分たちが普通だとしてきたことのせいで、彼女たちは傷ついてきたんだと気がつくんだ。そして、そこで説明責任はうまれる。自分は何かをしたかもしれない。レイプはしていないけれど、男として、女性のトラウマとなる何かをしたかもしれない。その時こそが、成長した男としての始まりなんだ。自分の過ちへの説明を果たす時が」

https://front-row.jp/_ct/17410335

植え付けられた男らしさは戦争が原因ではないか?つうちゃん

一般的に男性の多くは、子どもの頃「男の子なんだから泣くな」「男なら弱音を吐くな」などと教えられる。また、周囲の大人の会話からジェンダー規範を学び、その刷り込みが是正されないまま、「有害な男らしさ」を宿していくと考えられている。
大人になってからも、「一家の大黒柱であれ」や「男は仕事をするべき」という偏った意見がはびこる社会によって、ステレオタイプな「男らしさ」に縛られてしまうのではないか。

https://eleminist.com/article/1338

男尊女卑や性別役割分業における「大黒柱としての役割」といった、かつての「あるべき男性像や価値観」といった「男らしさ」に囚われてきた男性たちは、変化を求められても、そう簡単には変われない。
「なぜ変わらなければいけないのか」すら理解できない、「どう変わればいいのか」わからない…悩み、苦しみ、戸惑い…最悪の場合、「有害な男らしさ(トキシック・マスキュリニティ)」に端を発した、暴力事件などの加害行為につながるケースにつながる場合すらある。
つまりメンズクライシスは、「旧来の男性主体の社会が、ジェンダー平等の推進によって揺らぎ、男性性にもたらされた危機的状況」と言い換えられる。

ジェンダー平等は、本来、女性だけでなく男性をも救うものだ。しかし男女問わず、それまでの考え方や価値観を内面化させている場合、その呪縛を解くのは、容易ではない。

特にジェンダー平等は「女性問題」と見なされる傾向にあるため、男性は「自分ごと」として向き合う機会が少ない。さらには男性性が社会的マジョリティとして持ち得た特権を「直視できない・したくない」男性も少なくない。

だからこそメンズクライシスの問題は根深い。男性たちが現状を理解して受け入れれば、男性自身はもちろん、女性をも救うきっかけとなるはずだ。

https://liensbleu.com/gender/post-4156/

具体的にどうしていったらいい?
「それはトキシック・マスキュリニティだね」もダメ
まず女になにか言われること自体抵抗する

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