ソシャゲの話、愚痴と呪い

私事だが、この春に昇格した。シンプルに労働時間が増えたし、覚える業務も増えたし、いろんな部署を掛け持ち(ヘルプだが)している。朝帰ってくることもある。人と生活リズムが合いづらくなり、フォロワーが仕事から帰った夜、「これからAmongUsやるんで誰か!」というツイートが流れてきた頃に出勤することもざらにある。当然、心身はことさらに疲れているし、趣味のゲームも積むばかりで減らない。
こういう生活をはじめて一番に、大きく支障をきたしたのがソシャゲである。多くは毎日ログインすることを求め、デイリーミッションがあり、スタミナを消費してレベルを上げたり育成をしたり…、詳しく述べると「あんさんぶるスターズ!」とか「アイドルマスター」シリーズとか「原神」とかだ。気が向いた時にログインするものも含めると10数個インストールしてある。
これらのソシャゲをプレイする体力が、急になくなった。
もともと数日に一回とか、ガチャの切り替えでのみログインするようなものもあったとはいえ、比較的モチベーションは保たれていた。そのモチベーションは、生活リズムの変質によって徐々に薄くなっていき、イベントの終了とかそういう些細なきっかけで事切れたのだ。デイリーを全てこなさなくなり、ログインするアプリが減り、何も開かない日が増えた。
まず常にスマホを開いていることがない。ソシャゲ以外のやりたかったことはおおむねPCで片がつく。それはVivaldiをインストールしたことで拍車がかかった。
ソシャゲを開かなくなった代わりに、なにを始め、なんの時間が増えたかというとPCやCS機(PS4やSwitch)でプレイできるゲームだ。それらには、ソシャゲにあるようなデイリーミッションのような枷は(基本的に)存在しない。好きな時に、好きなだけ進められる。なにを気にかけることもなく集中し続けることができた…ソシャゲではそれができなかったのに。
私にとってスタミナや体力といったシステムは呪縛だった。常にそれを気に掛ければならなかった。イベント中は寝る間を惜しみ、自然回復するスタミナや誰かと奪いあう報酬に一喜一憂していた。
だが、呪縛から(一時的にでも)解放され、なにかの作業中にソシャゲに気を散らす必要がなくなったにもかかわらず、まだ私のスマホの中にアプリは残り続けている。
そのアプリの中にあるのは自分とソシャゲの思い出だからだ。沢山の時間とお金を費やしてきた。推しはこのスマホの中にしかいない。他のどこにもいやしない。
デレステ(アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ)の派生アプリ、デレスポを初めて起動した日のことをよく覚えている。いくつかコンテンツが用意されているが、例えば「3Dコミュ」では、AR機能を利用し、舞台裏のアイドルたちがコミュニケーションをとったり姿見で衣装を確認したり…という風景を覗くことができる。視点を右に向ければ、右にいるアイドルたちが視界に入る。左に向けると、右にいたアイドルたちはフレームアウトし、代わりに左の方に寄っていたアイドルたちがおしゃべりする姿を見られるようになる。自分が立っている位置を起点とし、ステージ裏の緊張と高揚をアイドルと360°共有することができるのだ。
それを見た日、自分の部屋で崩れるほど泣いた。こんなにアイドルが「生きてる」と思ったことはなかった。そこに「いる」と感じた、同時に、アイドルはどこにも「いない」とわかった。スマホを覗けばそこにいたし、視線を逸らせばどこにもいなかった(当たり前だ)。こんなに生きているのに、コンテンツのひとつであることをまざまざと見せつけられた、と思った。
アプリをアンインストールすることは、それをもう一度体感するということだ。思い出と一緒に、彼女たちも、そして他のアプリの彼らも、私の中で死んだことになってしまうような気がしている。大袈裟だろうか?
ここしばらく、ずっとそのジレンマの中にいる。スタミナとかいう呪いが解けても、死んだキャラクターたちが新たな呪いになるんじゃないだろうか?きっと私は再インストールして、なあなあの気持ちのまま、無気力に画面をタップするようになるんじゃないだろうか?どうしたら呪いが解けるだろうか?私は解放されたい。

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