見出し画像

〈樺太地名研究5〉 忘れ去られた富内湖周辺のアイヌ語川名

※有料記事として設定してあるが、実質的には全文無料である。あえて記事を購入して読むこともできる(実際は寄付ということにはなるが)ので私の研究に力を貸して下さるという奇特な意思を持つ方は是非記事を「購入」して頂けるとありがたい。

ーーー
 樺太に川は数多く存在するが、その中には固有のアイヌ語川名が付けられていたのにもかかわらず、日本語川名が当てられたりして後世に忘れ去られてしまったものも少なくない。今回は富内湖周辺の湖沼のうち、特に富内湖、池辺濽湖、和愛湖、遠淵湖に流入する川の忘れ去られたアイヌ語川名を集めてみることにする。


忘れ去られたアイヌ語川名一覧

種内川

 帝政ロシア時代の地図(Р.Танену)や一部の日本の地図・書籍(『北海道樺太南部沿岸水路誌 第2巻』p.183等)に見える。荒栗川にあたる。「種内」は明らかにアイヌ語由来であり、元はtanne-nay(長い川)であったのであろう。洞舟湖から無名湖に海岸線に沿って流れるこの川はまさに長い川と呼ばれるに相応しい形態である。

ワワイ川

 帝政ロシア時代の地図(Р.Вавай)や極一部の日本の地図に見える。この川は当然ながら和愛湖に注ぐ川であるが、日本時代の何日川にあたる。

クガクシナイ川

 帝政ロシア時代の地図(Р.Кугакуси-най)や極一部の日本の地図、そして日露戦争の記録(『明治卅七八年日露戦史 第十巻』p.315)等にも見える。この川は和愛湖に注ぐ安比川にあたる。

ウンビナイ川

 帝政ロシア時代の地図(Р.Унби-най)や極一部の日本の地図に見える。この川は和愛湖に注ぐ女鹿川にあたる。

ヤスト川

 帝政ロシア時代の地図(Р.Ясто)に見える。この川は和愛湖に注ぐ男鹿川にあたる。

チェピナイ川(チピナイ川)

 帝政ロシア時代の地図(Р.Чепи-най)や極一部の日本の地図に見える。この川は池辺濽大湖に注ぐ藻岩川にあたる。

ピチナイ川

 帝政ロシア時代の地図(Р.Пичи-най)や極一部の日本の地図、そして日露戦争の記録(『明治卅七八年日露戦史 第十巻』p.311)等に見える。この川は富内湖に注ぐ時岱川にあたる。なお、トーキタイナイ(to-kitay-nay)とも呼ばれていたらしい(『あいぬ物語』p.108)。

口矢頃川

 海図に見える。この川は頭場湖に注ぐ頭場川にあたる。

オプフサナイ川

 『あいぬ物語』p.123に見える。富内湖に注ぐ川であるが、豊川、中ノ川のいずれかにあたるものと思われる。

イチャンナイ川

 『あいぬ物語』p.123に見える。富内湖に注ぐイチャン川にあたるものと思われる。

参考文献

・山辺安之助著,金田一京助編『あいぬ物語』博文館,1913
・参謀本部編纂『明治卅七八年日露戦史 第十巻』東京偕行社,1914
・水路部編『北海道樺太南部沿岸水路誌 第2巻』,1928

参考地図

・КАРТА ОСТРОВА САХАЛИНА 1885г.
・時事新報樺太及勘察加全図

ここから先は

61字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?