〈樺太地名研究6〉 謎の「М.ТОСАН-САКИ」について

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注意 今回はかなり短めの記事である。

 ソヴィエト赤軍が作製した南樺太の地図の中知床半島先端部に「М.ТОСАН-САКИ(トサン サキ)」という岬名が見える(※1)。場所は近泊(ソヴィエト赤軍の地図ではСирэтоко〈=シレトコ〉となっている)の北の近泊岬(雲母岬)付近なのであるが、果たしてこれは近泊岬と同じものなのであろうか。

 近泊岬は中知床岬の北9kmほどのところに位置する亜庭湾側に突き出た岬である。この岬の付近をよく見てみると単に一つの岬ではなく、二つの岬が存在することが分かる。

だいたいこんな感じの地形である

 ここで昭和初期に作製された海図(「亞庭灣及󠄁附近󠄁」)を見てみると、北側の岬に雲母岬、南側の岬に登山埼(とさんさき)という名称が付けられている。つまり近泊岬(雲母岬)と登山埼は別のもので、二つの小さな岬を包括する広義の近泊岬のうち、その二つの小さな岬の北側の一方が近泊岬と呼ばれ、南側の一方が登山埼と呼ばれていたのである。

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※1  「Карта РККА острова Сахалин」


参考文献・地図等
・Карта РККА острова Сахалин

・旧海図「亞庭灣及󠄁附近󠄁」


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