〈樺太地名研究10〉 ナイポロと内幌

 椎内川河口部に位置する内幌はアイヌ語地名ナイポロが改称されたものだが、本来のナイポロは日本時代の内幌とは異なる場所を指していたことが明らかとなった。

間宮林蔵「北蝦夷島地図」 国立公文書館デジタルアーカイブより一部分を拡大・切抜した上で転載

 まずは上に掲げた「北蝦夷島地図」の一部分を見て頂きたい。2本の川が見え、右の一方に「シーナ井」、左の一方に「ナ井ボロ」の地名が書き込まれていることがお分かり頂けるであろう(ちなみに赤丸はアイヌ人集落であることを示す記号)。これは日本時代の内幌町内幌にあたる部分を拡大したものであるが、ここから本来ナイポロという地名は日本時代の内幌(椎内川河口部)を指していた訳ではなく、その北の北内幌川河口部を指していたことが分かるのである。さらに日露戦争直後に製作された仮製樺太南部五万分一「氣主」を見てみてもナイポロは日本時代の北内幌川河口部に見える。
 また、この事実から考えて従来のナイポロの解釈(nay-poro:川が大きい→大川 等)は改める必要があろう。もし椎内川と比較すると格段に小さい北内幌川が本来のナイポロならば、これをnay-poroなどと解釈するのはいささか不自然である。さらに北蝦夷山川地理取調図などではナイポロのあるべき場所にナイホが見えるが、これも合わせて考えてみるとナイポロはnay-po-oro:小川の処と解釈するのが妥当であろう。このように解釈するとシイナイ(si-nay:真の川、大きな川)とナイポロ(nay-po-oro:小川の処)は一種の対地名の関係にあることも見えてくる。

参考文献等
・知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター,1984(復刻版)
・間宮林蔵「北蝦夷島地図」
・陸地測量部 仮製樺太南部五万分一「氣主」1911年


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