南樺太地名集 〈地名篇豊原市〉

本記事では以下の古地図・資料を用いる。

⑴「豊原市街圖」 年代不明
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/10/Map_of_Toyohara_%28Karafuto%29_in1929.jpg

⑵「豊原市街圖」 1930


豊南

豐南 とよなみ
帝: Христофоровка   フリスタフォーラフカ
現: Христофоровка   フリスタフォーラフカ
[2]N:46.8716   E:142.7490
日本語地名:豊原の南に位置することに因む。[1]豊原市の大字名。唐松、大沢等を含む旧豊南村。[2]①,⑤,⑥などにおいて唐松の北傍(豊南駅周辺)に見える。
|イ:フリストフォロフカ


坂下

さかした
帝:Сорокино サローキナ
現:ー
N:46.8465   E:142.7535?
日本語地名。リ,ル,ヲ,ワ,ソ,ム,サ,ア-23などに見える。恐らく唐松南方の現Сучанка川付近に位置していたものと思われるが詳細不明。旧名ソローキノ。
|ロ,ホ:ソローキノ オ,ヱ:ソロキノ 


唐松

からまつ
帝:Лиственичное   リーストヴィニチナイェ
現:Лиственничное(Лиственичное)リーストヴィニチナイェ(リーストヴィニチナイェ)
N:46.8630   E:142.7504
露語から日本語への翻訳地名。豊原の南10km、唐松川の中流部に位置する。旧名リストエニーチノエ。
|⑨:唐松(リストウェニーチノエ) ロ,ナ:リストウエニーチナヤ ハ:リストウヱニーチノエ ホ:リストウエニーチナヤ/唐松 エ':リストフエーニチエ オ,ヱ:リストウエニーチノエ


唐松殖民地

からまつしょくみんち
帝:ー
現:ー
不明
④,⑧に見える。④においては唐松川の上流部に見える。詳細不明。


清川

淸川 きよかわ きよかな
帝:Хомутовка   ハムトーフカ
現:Хомтово   ハムトーヴァ
N:46.8868   E:142.7431
日本語地名。豊原の南8km、清川の中流部に位置する。旧名ホムトフカ。
|⑥:Кие-гава キヨガワ ⑨:ホムトーフカ イ:ハムウトフカ ロ:ホムトンカ ハ,ナ,オ,エ',ヱ: ホムトフカ ホ:ホムトンカ/淸川 エ-p.430:譽戶深 ユ-2:晴氣村(晴気市三少佐の名に因む)/本深村


清川殖民地 

淸川ー きよかわしょくみんち きよかはー
帝:ー
現:ー
N:46.8912   E:142.8001
①,⑤,⑥,⑦に見える。清川の上流部、丸山の南西傍に位置する。
|⑥:Симидзу   シミズ


清川東山

淸川東山
きよかわひがしやま きよかはー
帝:ー
現:ー
不明
④,⑧に見える。詳細不明。


大沢

大澤 おおさわ おほさは
帝:Большая Елань   バリシャーヤ エラニ
現:Большая Елань   バリシャーヤ エラニ
N:46.9201   E:142.7373
日本語地名。豊原の南4km、大沢川の中流部に位置する。旧名バリシャヤエラニ。
|⑨:ボルシャーヤエラーニ イ:ボリシオイエラーニ ロ,ナ:エラニ ハ,ヱ:バリシヤヤヱラニ ホ:エラニ/大沢 オ:バリシヤヤエラニ エ-p.430:バリシヤ エ':バリシヨエラニ ユ-2:植田村(植田騎兵中尉の名に因む)


大沢東山 

大澤東山 おおさわひがしやま
帝:ー
現:ー
不明
④,⑧に見える。詳細不明。


豊原

豐原 とよはら
帝:Владимiровка(フ' Владимiровское)ヴラジーミラフカ(ヴラジーミラフスカイェ)
現:Южно-Сахалинск   ユージュナ-サハリーンスク
N:46.9593   E:142.7402
日本語地名。樺太最大の都市にして樺太庁の首府。鈴谷川東岸に位置する豊原市役所所在地。旧名ウラジミロフカ。
[参考]この付近はアイヌ語でハアセクシ、オロコトイなどと呼ばれていた
|イ:ウラジーミルスコエ ロ:ウラチーミロフカ ホ:ウラヂーミロフカ/豊原 ナ:ウラシミロフスキ オ:豊原(ウラヂミロフカ) ヱ:ウラジミロフカ ユ-2:深堀村(深堀順蔵中佐の名に因む)/晴氣村(晴気市三少佐の名に因む) は,を,か:ハアセ ほ:ハアセクシ 


南豊原

南豐原 みなみとよはら
帝:-
現:-
N:46.9585   E:142.7146
日本語地名。キ-p.18に大字名として見える。また⑵において豊原市街地の西傍(樺太東線の線路と鈴谷川の間)に見える。
|⑵:ミナミトヨハラ


北豊原

北豐原 きたとよはら
帝:-
現:-
N:46.9733   E:142.7252
日本語地名。ツ,キ-p.18などに見える。豊原市街地の北傍に位置する。旧市街とも。
|①:舊市街


西久保

にしくぼ
帝:ー
現:ー
豊原市域内のうち鈴谷川西岸の北部
日本語地名:西久保豊一郎少佐の名に因む。追分、軍川、滝ノ沢などを含む旧西久保村。軍川に存在していた西久保駅にその名を残す。


追分

追󠄁分 おいわけ おひわけ
帝:Ближнее   ブリージュニェー
現:Владимировка   ヴラジーミラフカ
N:46.9626   E:142.7003
日本語地名:道の形態に因む。豊原市街地の西、鈴谷川と軍川の間に位置する。旧名ブリヂニエー。
|⑨,オ,エ',ヱ:ブリジネエ イ:ブリーヂエ ロ,ホ:ブリンシネエ ハ:ブリレネエ ナ:ブリシーネー ユ-2:白水村(白水政恒少尉の名に因む)


軍川

いくさかわ(いくさがわ) ーかは(ーがは)
帝:Дальнее   ダーリニェイェ
現:Дальнее   ダーリニェイェ
N:46.9911   E:142.6758
日本語地名:この地で西久保豊一郎少佐の壮絶な戦死で知られる戦闘が行われたことに因む。豊原市街地の北西5km、軍川の中流部に位置する。旧名ダルネー。
|⑨,ロ,ホ,ナ:ダーリネエ イ:ダーネー ハ,オ,ヱ:ダリネエ エ-p.430:垂根 エ':ダリネー ユ-2:西久保村(西久保豊一郎少佐の名に因む)


天幕

てんと(てんまく)
帝:ー
現:ー
N:47.0365   E:142.5946
日本語地名。軍川の北西7.5km、軍川の上流部に位置する。
|⑥:Тэнто テント ⑧:軍川天幕


軍川西山

いくさかわにしやま いくさかはー
帝:ー
現:ー
不明
日本語地名。⑧に見えるが詳細不明。


滝ノ沢

瀧ノ澤 たきのさわ たきのさは
帝:ー
現:Перевал-Сахалинский   ピリヴァール-サハリーンスキー
N:47.0577   E:142.5344
日本語地名。天幕の西北西5km、軍川の上流部に位置する。
|ヌ,カ:瀧沢 レ,ラ,ヱ:滝沢 ⑨,ツ,エ-p.430:瀧澤 ヒ:滝澤


緑川

綠川 みどりかわ みどりかは
帝:-
現:-
不明
⑧に見える。学校地名:緑川国⺠学校。詳細不明。
[参考]北海道教育研究所『北海道教育史 地方編二』北海道教育委員会,1957中の樺太地方学校発生分布図によれば、緑川国民学校は軍川南方に存在し(追分付近か)、昭和20年1月8日に開校したらしい。


大富

おおとみ おほとみ
帝:ー
現:ー
[1]豊原市域内のうち鈴谷川西岸の南部
日本語地名。[1]並川、下並川、中沢を含む旧大富村。[2]学校地名:大富国民学校。


大曲

おおまがり おほまがり
帝:ー
現:ー
N:46.9423   E:142.6801
日本語地名:道の形態に因むものか。追分の南西3kmの処に位置する。


並川

竝川 なみかわ なみかは
帝:Троицкое   トローイツカイェ
現:Троицкое   トローイツカイェ
N:46.9225   E:142.6422
日本語地名。追分の南西6.5km、一番川と百番川の間に位置する。旧名トロイツコエ。
|⑨,ハ,オ,エ',ヱ:トロイツコエ イ:トロイチコエ ロ,ホ:トロイツフエ ナ:トロイチコイ エ-p.430:登呂壹(トロイツ) ユ-2:向井村(向井齋輔中佐の名に因む)


下並川

下竝川 しもなみかわ ーかは
帝:ー
現:Новотроицкое   ナヴァトローイツカイェ
N:46.8904   E:142.6700
日本語地名。並川の南東4.5kmの処に位置する。


南六線 

みなみろくせん
帝:ー
現:ー
N:46.9400 E:142.5861
日本語地名。並川の西北西4.7km、六線沢の中流部に位置する。


南八線

みなみはっせん
帝:ー
現:ー
N:46.9229   E:142.5587
日本語地名。南六線の南西2.6km、八線沢の中流部に位置する。


中沢

中澤 なかさわ(なかざわ) なかさは(なかざは)
帝:Успенское   ウスピェーンスカイェ
現:Успенское   ウスピェーンスカイェ
N:46.8552   E:142.5779
日本語地名。並川の南南西8.8km、ツイ川の中流部に位置する。旧名ウスペンスコエ。
|⑨,オ,エ',ヱ: ウスペンスコエ イ:ウスペンスコへ ロ,ホ:オススセフスコエ ナ:ウシンスコイ エ-p.430:薄紅(ウスペン) 


豊原市終り



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