〈樺太地名研究4〉 忘れ去られた樺太地名① 犬駒内

※有料記事として設定してあるが、実質的には全文無料である。あえて記事を購入して読むこともできる(実際は寄付ということにはなるが)ので私の研究に力を貸して下さるという奇特な意思を持つ方は是非記事を「購入」して頂けるとありがたい。
ーーーーー

 犬駒内という樺太の地名を知っている人はどれほどいるだろうか。この地名は明治45年1月16日樺太庁告示第3号を以て定められた公称地名なのであるが、大正・昭和期には人々から忘れ去られてしまった哀れな地名である(こういう地名は他にもいくらか存在するので、いずれご紹介出来ればと思っている)。


犬駒内の位置

 犬駒内は大泊郡(旧長浜郡)長浜村の西部、より詳しく言うと、長浜村大字礼文別の西部、白石と初子浜(初子別)の間に位置していた。ごく稀に大正期の地図に見えることもないわけではないが[1]、ほとんどの地図には見えない。

五万分一地形圖 樺太長濱(一部分)

 ところで、上に昭和期に製作された「五万分一地形圖 樺太長濱」の礼文別付近を拡大して掲載したが、このあたりには比較的大きな川が流れているのにもかかわらず、川の名が地図中に見えないので、犬駒内の解説ついでにそれについても明らかにしておく(犬駒内とも深く関わってくる話である)。

先ほど掲載した地図中の川の部分を青色で示したもの

 礼文別-初子浜(初子別)間にはやや大きな川(とは言ってもさして大きな川ではないが)が3本亜庭湾に注いでいる。まず、礼文別で亜庭湾に注ぐ川の名を礼文別川といった。そして、白石と初子浜の間を流れる川を犬駒川(別名:白石川)といった。最後に初子浜で亜庭湾に注ぐ川(上の地図の左端の川)を初子浜川といった。犬駒内を流れるからこそ白石-初子浜間を流れる川は犬駒川と名付けられたのであり、この河口付近に犬駒内が位置していただろうことが分かる。

様々な地図に見える犬駒内

 犬駒内は典型的なアイヌ語地名であり、江戸期から記録に残されている由緒正しい地名である。犬駒内の旧名はエソンコオマナイといい、またイヌシコマナイともいった。後者の方に漢字を当てはめて犬駒内としたのであろう。

 江戸期〜明治初期の地図
 
・北延叙地図:ヱノシコマナイ
 ・北蝦夷山川地理取調図:エソンコヲマナイ
 ・大日本四神全図:イニシユマナイ (ユ:コの誤記か)
一部の江戸期の地図(官板実測日本地図等)に犬駒内付近に「ノシケオマナイ」、「ノシコマナイ」の形の地名が見えるが、エノシコマナイと同じものであり、何らかの原因で頭の「エ(イ)」が脱落したものと考えられる。

 帝政ロシア支配下の樺太地図
 
帝政ロシアによって1885年に製作されたКАРТА ОСТРОВА САХАЛИНА(サハリン島地図)には犬駒川が「Р.Инускумъ-о-най(イヌスクムオナイ)」という形で見える。

 『大日本地名辞書 続編』中の記述
 
吉田東伍の『大日本地名辞書 続編』にもこの地名が掲載されている。『大日本地名辞書 続編』では「犬主駒(イヌシコマ)」と表記されており、「於布伊泊の隣村とす、イヌシコマ川といふ」(p.424)と説明されている[2]。

地名解

 前述の通り、犬駒内の旧名はエソンコオマナイ、イヌシコマナイである。まず、前者のエソンコオマナイであるが、菱沼右一らの『樺太の地名』によると「原名イソンナイ、イソンは獵運󠄁ある人、即ち出獵して獲物の多い川の意」(p.43)とのことであるが、個人的にはあまり妥当な解釈ではないように思う。とは言え、偉そうなことを言いながらアイヌ語が完璧に出来る訳ではないのでここはアイヌ語地名の専門家に譲ることとする。
 一方、後者のイヌシコマナイであるが、これに関しては同形の地名が稚内市に存在した。エノシコマナイである。稚内市のエノシコマナイはかつて稚内市大字稚内村字エノシコマナイとして存在していたが、昭和47年9月1日に、アイヌ語地名による住居表示が「複雑で難解な」ものであったという阿呆みたいな理由で緑町、ウエンナイ、クサンル、ナイポポチ、とともに、緑町1〜5丁目、こまどり1〜3丁目、栄1〜4丁目、萩見1〜5丁目、はまなす1〜5丁目というどうしようもないものに改悪されてしまった[3]。全く「こまどり」だの「はまなす」だのふざけているのだろうか。なお、エノシコマナイはエノシコマナイ川にその名が残っている。いささか話がずれてしまったので元に戻す。先ほどの『樺太の地名』によればイヌシコマナイは「獵の爲め野宿する用意のある川」の意であるらしいが、これもいささか無理のある解釈ではないか。北海道各地に存在するアイヌ語地名について精緻な解説を行っているサイト「Bojan International アイヌ語地名」の〈北海道のアイヌ語地名 (870) 「エウクナイ川・ウエンナイ川・エノシコマナイ川」〉(https://www.bojan.net/2021/09/26.html?m=1)の「e-noske-oma-nay   頭(水源)・真ん中・そこにある・川」という解釈の方が妥当であるように思われる。
 

ーーー
[1]
いささか地名の順番が乱れているので注意

[2]於布伊泊=雄吠泊
[3]『稚内市史 第二巻』p.267

参考文献

・吉田東伍著『大日本地名辞書 続編』冨山房,1909
・葛西猛千代,西鶴定嘉,菱沼右一共著『樺太の地名』樺太郷土会,1930
・稚内市史編さん委員会編『稚内市史 第二巻』稚内市,1999

参考地図類

・北延叙地図

・北蝦夷山川地理取調図

・大日本四神全図

・官板実測日本地図

・КАРТА ОСТРОВА САХАЛИНА


ここから先は

61字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?