占守島のアイヌ語地名(増補版)

※有料記事として設定してあるが、実質的には全文無料である。あえて記事を購入して読むこともできる(実際は寄付ということにはなるが)ので私の研究に力を貸して下さるという奇特な意思を持つ方は是非記事を「購入」して頂けるとありがたい。
────
6.7.17『北千島調査報文』に見える地名を追加した。

鳥居竜蔵著『千島アイヌ』,吉川弘文館,明36.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/763049 (参照 2023-08-30)  より 序文


 千島列島はアイヌの文化圏であって古地図を見ればいくらでもアイヌ語地名が出て来るのであるが、残念ながら日本統治時代にはそれらの地名は尊重されず、無味乾燥な日本語地名が当てられることが多かった。故にそれらのアイヌ語地名は後世には忘れ去られてしまい、歴史の墓場に葬られようとしている。冒頭に掲げた画像は偉大なる先達、鳥居龍蔵の『千島アイヌ』の序文であるが、この精神を受け継いで、忘れ去られてしまった千島アイヌ語地名を後世に継承すべく、千島列島の島々のうち今回は占守島のアイヌ語地名を様々な資料中から集め、まとめてみようと思う。


ーーーー

 そもそも占守(シュムシュ)島の島名自体についてはシュムシュ、シュムチュウなどとも記録されてきたが、クシュンコタンという全く異なる別名も存在した。クシュンコタンはkus-un-kotan:対岸にある島(kotanは単に村だけではなく島や世界をも意味する)と解釈できるが、不思議なことにクシュンコタンの名を記録しているのは日本側のみで、露側の記録は悉くシュムシュ系である。

一覧

蝦夷地図式

・モヨロホ
・モヨロベツ
・ライシャシホ

Крашенинников記録の地名

・Таннемуй川(タンネムィ)
・Чипутпит川(チプㇳピㇳ)
・Уреватырь川(ウレワトィリ)
・Охоокыт川(オホークィㇳ)
・Тентен川(テンテン)
・Ангасирика川(アンガシリカ)
・別のТентен川(テンテン)
・Пуяпуяки川(プヤプヤキ)
・Чакушут川(チャクシュㇳ)
・Ксангаки川(ㇰサンガキ)
・Сипук川(シプㇰ)
・Нутмуй川(ヌㇳムィ)
・Сипук / Кумх川(シプㇰ / クムㇷ)
・Сансанчю川(サンサンチュ)
・Питпук川(ピㇳプㇰ)
・Кшааки川(ㇰシャアキ)
・Кшааки川(ㇰシャアキ)
・Пашкурюпит川(パㇱクリュピㇳ)
・Кирюронпит川(キリュロンピㇳ)
・Конгарышки川(コンガルィㇱキ)
・Уратму川(ウラㇳム)
・Наткаумбит川(ナㇳカウㇺビㇳ)
・Чиумуки川(チウムキ)
・Аши-Хурюпишпу川(アシ-フリュピㇱプ)
・Хорюпишпу川(ホリュピㇱプ)
・Моэрпут川(モエㇽピㇳ)

千島アイヌ

・Pet' topó(ペットポ)
・Toichi ushi (トイチウシ)
・Tentem uiri(テンテㇺウイリ)
・Mūriuchi(ムーリウチ)
・Chakó musút(チャコムスㇳ)
・Rikim(リキㇺ)
・Chep'pet(チェㇷ゚ ペㇳ)
・Raishishi(ライシシ)
・Moinrobú(モインロブ)
・Yaichishi(ヤイチシ)
・Ekapam'ro'm(エカパㇺロㇺ)
・Furi natara(フリナタラ)
・Cherashin(チェラシン)
・Okót(オコㇳ)
・Icho'ruri(イチョルリ)
・Agashiriki(アガシリキ)
・Poro etu nót(ポロエトゥノㇳ)
・Onno etu nót(オンノエトゥノㇳ)
・Ichikushi(イチクシ)
・Fūrat' moi(フーラㇳモイ)
・Tanne kutupuku(タンネクトゥプク)
・Maun pōró(マウンポーロ)
・Sukususu moi(スクススモイ)
・Sayaki(サヤキ)
・Kahuro pira(カフロピラ)
・Shunin pira(シュニンピラ)
・Not' moi(ノㇳモイ)
・Chirō pira(チローピラ)
・Pit' sáki(ピㇳサキ)
・Piruturu(ピルトゥル)
・Parachirui(パリチルイ)
・Sansan chiep(サンサンチエㇷ゚)
・Keómukaru(ケオムカル)
・Sukusu moi(スクスモイ)
・Chiumokai(チウモカイ)
・Furi pét(フリペㇳ)
・Moyaróp(モヤロㇷ゚)
・Tukatúk(トゥカトゥㇰ)
・Uriró watara(ウリロワタラ)
・Temukutu(テムクトゥ)
・Poro watara(ポロワタラ)
・Tun'naish'i(トゥンナイシ)
・Sekók(セコㇰ)
・Shitókói(シトコイ)
・Sanushi(サヌシ)

千島実業地誌

アイヌ語であると断定出来ないものには「?」を付けた
・別當部川(ベットウブ)
・三々中川(サンサンチウ)
・蓋留鞆川(フタルトモヱ)
・智愛奴川(チアイヌ)
・濃加恩別川(ノッカヲンベツ)
・茂餘呂布川(モヨロップ)
・智布間加川(チフマカ)
・古潭乳󠄁湖(コタンニー)
・慈母稻(ジボイ子〈チボイネ〉)
・津也古津岬?(ツヤコツ)
・唐津江根岬?(カラツエ子)
・古潭乳󠄁(コタンニー)
・茂餘呂布(モヨロップ)

千島聞見録
・小谷煮󠄀(コタンニー)
・別當部(ベットウブ)
・三三中(サンサンチウ)
・蠋鞆(フレトモ)
・血間縫󠄁(チアイヌ)
・後香戸津(ノッカベツ)
・萌織經(モヨロップ)
・霜稻(シモイネ)

北千島調査報文

・ノット
・キルラペツ
・パシクルペツ
・サツテキトウ

五万分一地形図千島列島

・別飛 (べっとぶ)
 ・別飛川
 ・別飛沼
・咲別川(さきべつ)

 以上に掲げた地名のうち、同一のものと考えられるものを挙げていく。断定出来ないものには「?」を付けた。
蝦夷地図式のモヨロホ=Крашенинников記録の地名のМоэрпут=千島アイヌのMoyaróp=千島実業地誌の茂餘呂布/慈母稲=千島聞見録の萌織經/霜稻
蝦夷地図式のモヨロベツ=千島実業地誌の茂餘呂布川?
蝦夷地図式のライシャシホ=千島アイヌのRaishishi?
Крашенинников記録の地名のЧипутпит川=千島アイヌのChep'pet?
Крашенинников記録の地名のУреватырь川=千島アイヌのUriró watara?
Крашенинников記録の地名のТентен川=千島アイヌのTentem uiri
Крашенинников記録の地名のАнгасирика川=千島アイヌのAgashiriki
Крашенинников記録の地名のНутмуй川=千島アイヌのNot' moi
Крашенинников記録の地名のСансанчю川=千島アイヌのSansan chiep=千島実業地誌の三々中川=千島聞見録の三三中
Крашенинников記録の地名のКонгарышки川=千島アイヌのKeómukaru?
Крашенинников記録の地名のЧиумуки=千島アイヌのChiumokai
Крашенинников記録の地名のУратму川=千島アイヌのFūrat' moi=千島実業地誌の蓋留鞆川=千島聞見録の蠋鞆
千島実業地誌の蓋智愛奴川=千島聞見録の血間縫󠄁
Крашенинников記録の地名のНаткаумбит川=千島実業地誌の濃加恩別川=千島聞見録の後香戸津
Крашенинников記録の地名のПитпук川?=千島実業地誌の別當部川=千島聞見録の別當部川=五万分一地形図千島列島の別飛川
千島実業地誌の古潭乳󠄁湖=千島聞見録の小谷煮󠄀
・・Крашенинников記録の地名のПашкурюпит川=北千島調査報文のパシクルペツ川
Крашенинников記録の地名のКирюронпит川=北千島調査報文のキルラペツ川
千島アイヌのPit' sáki=五万分一地形図千島列島の咲別川?


Крашенинниковの記録における各川の位置と千島実業地誌中の記述

 地名比定の前にその手がかりとなるКрашенинниковの記録における各川の位置の記述を翻訳した上で、またさらに千島実業地誌の記述を以下にまとめておく。なおКрашенинниковの記録の翻訳における括弧の中の記述は私が補ったものである。

Крашенинниковの記録における各川の位置

 Таннемуй川・・・占守島の上端から3露里(1露里=1066.8m)離れており、西側に2露里離れた沼から東の海(=太平洋)に注ぐ。
 Чипутпит川・・・水源は河口から12露里、向かい合った川(Таннемуй川?)の水源との距離は半露里であり、この場所における島の幅は3露里である。
 Уреватырь川・・・Таннемуй川から6露里離れており、西側の沼から1.5露里流れて東の海(=太平洋)に注ぐ。
 Охоокыт川・・・Уреватырь川から5露里離れており、島の中央にある湖から流れ出て東の海に注ぐ。
 Тентен川・・・Охоокыт川の水源の湖と同じ湖を水源とし、東から流れてПенжинское море(オホーツク海)に注ぐ。この場所における島の幅は30露里である。
 Ангасирика川・・・Охоокыт川から10露里離れており、島の中央の湖から流れ出て東の海に注ぐ。
 Тентен川・・・Ангасирика川の水源たる湖にほど近い湖からПенжинское море(オホーツク海)に注ぐ。この場所における島の幅は40露里である。
 Пуяпуяки川・・・Ангасирика川から15露里離れており、西の泉から2露里流れて東の海に注ぐ。
 Чакушут川・・・泉から流れ出て、西へ2露里流れてПенжинское море(オホーツク海)に注ぐ。
 Ксангаки川・・・Пуяпуяки川から5露里離れており、島の中央の湖や沼を水源とする多くの支流を集めて東の海に注ぐ。
 Сипук川・・・水源たる沼から2露里流れ、Пенжинское море(オホーツク海)に注ぐ。
 Нутмуй川・・・Ксангаки川から4露里離れており、島の中央の湖から流れ出て、東の海に注ぐ。
 Сипук またはКумх川・・・東の水源たる沼から1露里流れ、上記のСипук川河口の1露里離れたところでПенжинское море(オホーツク海)に注ぐ。
 Сансанчю川・・・Нутмуй川から8露里離れており、西の水源たる湖から20露里流れて南東の河口で東の海に注ぐ。
 Питпук川・・・長さ2露里、幅1/4露里の湖から流れ出し、東側から 100サージェン(1サージェン=1/500露里)流れて海に注ぐ。そして以下の4本の川は川の東側から湖に入る川である。
 ①Кшааки川・・・水源たる泉から2露里流れて湖の上端に注ぐ。
 ②Кшааки川・・・水源たる湖から1.5露里流れて①Кшааки川の半露里下方で湖に注ぐ。
 ③Пашкурюпит川・・・水源たる沼から10露里流れて②Кшааки川の半露里下方で湖に注ぐ。
 ④Кирюронпит川・・・水源たる沼から5露里流れ、湖の下端に注ぐ。
 Конгарышки川・・・Сансанчю川から15露里離れ、西の水源たる泉から3露里流れて、南南西の河口で東の海に注ぐ。
 Уратму川・・・Конгарышки川から5露里離れている。水源たる泉から1露里流れ、西南西の河口で最初の島(占守島)と二番目の島(幌筵島)の間の海峡(以下、幌筵海峡と表記する)に注ぐ。
 Наткаумбит川・・・Уратму川から1露里離れている。源流たる泉から半露里流れ、幌筵海峡に注ぐ。
 Чиумуки川・・・Наткаумбит川から半露里離れている。源流たる泉から1露里流れ、幌筵海峡に注ぐ。
 Аши-Хурюпишпу川・・・Чиумуки川から2露里離れている。源流たる泉から50サージェン流れ、幌筵海峡に注ぐ。
 Хорюпишпу川・・・Аши-Хурюпишпу川から半露里離れている。源流たる泉から半露里流れ、幌筵海峡に注ぐ。
 Моэрпут川・・・Хорюпишпу川から1露里離れている。源流たる泉から5露里流れて幌筵海峡に注ぐ。
ーーーー
 いささか順番が混乱しているので便宜上以下にТаннемуй川から時計回り順に並び替える。
・Таннемуй川
・Уреватырь川
・Охоокыт川
・Ангасирика川
・Пуяпуяки川
・Ксангаки川
・Нутмуй川
・Сансанчю川
・Конгарышки川
・Уратму川
・Наткаумбит川
・Чиумуки川
・Аши-Хурюпишпу川
・Хорюпишпу川
・Моэрпут川
・Питпук川
 ・Кшааки川
 ・Кшааки川
 ・Пашкурюпит川
 ・Кирюронпит川
・Сипук / Кумх川
・Сипук川
・Чакушут川
・Тентен川
・Тентен川
・Чипутпит川

千島実業地誌中の記述

・「別當部川ハ慈母稻ノ西北三里ニ在リ 源ヲ古潭乳󠄁湖ニ發シ北ニ流レテ海󠄀ニ注󠄁グ 幅十三間深三尺 三々中ハ東南ニ在リ 蓋留鞆ハ西南ニ在リ 其他北ニ茂餘呂布、濃加恩別、智布間加ノ諸󠄀川 西南ニ智愛奴ノ諸󠄀川在リ 其他細流ノ山谷ノ間ヨリ來ルモノ多シ 水質皆淸洌ニシテ飮料ニ適󠄁ス 且ツ鱒、鮭、紅鱒、雜魚ヲ產ス」
・「古潭乳󠄁湖ハ海󠄀濱ニ在リ 形細長ニシテ長二十町廣一町許・・・」
・「慈母稻灣英稱茂餘呂布ト云フ 島ノ西南部小久里留海󠄀峽ニ在リテ波羅牟知島ニ對シ灣口ヲ西ニ向テ開ク 灣形弓曲シテ半󠄁月ノ如シ」
・「露婆久岬ハ東北久里留海󠄀峽ヲ限リテ島ノ北端ニ斗出シ遙ニ北西津也古津岬ト對角シテ全󠄁國ノ關鍵ヲ占ム 而シテ唐津江根岬ハ長ク東南ニ斗出シテ遙ニ波羅牟知島ノ朱江勢須加岬ニ對シテ慈母稻ノ要󠄁港󠄁ヲ扼ス」
・「村落二在リ 一ヲ古潭乳󠄁ト稱シ西北部湖畔󠄁ニ在リ 一ヲ茂餘呂布ト稱ス 西南部慈母稻灣畔󠄁ニ在リ(北海󠄀道󠄁志ニ曰ク千島志ニ占知惠加岩〈スムチエカイワ〉村)トアルハ盍此レナランカ 但方位少ク異ナレリト)・・・」

北千島調査報文中の記述

・「占守島ノ北端國端岬(土人稱「ノット」)」p.22
・「紅鱒、鱒、「ゲリフラ鮭」ノ盛󠄁ンニ產卵スル場所󠄁ハ別飛沼東北沿󠄀岸ノ淺󠄀所󠄁及󠄁南方ノ支流キルラペツ川六七町ノ間東方ニ近󠄁キパシクルペツ川上流四五町ノ間南西方ノ小沼サツテキトウトス」pp.119-120


地名比定

(注意)この章は未完成であり(今後も加筆していくつもりである)、加えて私が全く独自に地名の比定をした結果を書いたものなのでその点は留意されたい。誤りなどがあれば指摘して頂けると大変助かる。

ーーーー
モヨロホ / Моэрпут / Moyaróp / 茂餘呂布(モヨロップ)・慈母稻(チボイネ)
 →片岡 Байково  

・古潭乳󠄁(コタンニー)/ 別飛(べっとぶ)
 →別飛

・ノット
 →国端崎

・Таннемуй川(タンネムィ)
 →国端崎と小泊崎の間の無名川

・Ксангаки川(ㇰサンガキ)/ Pit' sáki
 →咲別川   р.Маячная

・Нутмуй川(ヌㇳムィ)/ Not' moi
 →林川 р.Горбатовка

・Сансанчю川(サンサンチュ)/ Sansan chiep / 三々中川(サンサンチュウ)
 →中川 р.Южанка

・モヨロベツ / Моэрпут川(モエルプㇳ) / 茂餘呂布川(モヨロップ)/
 →小林川 (露名はあるが地図から読み取れず)

・Питпук川(ピㇳプㇰ)/ Pet' topó / 別當部川(ベットウブ)
 →別飛川 / 別飛沼(→古潭乳󠄁湖,柏原湖)оз.Большое

・Кшааки川(ㇰシャアキ)
 →水上川 р.Ушакова      ?

・Кшааки川(ㇰシャアキ)
 →北別飛川 р.Озёрная

 ・Пашкурюпит川(パㇱクリュピㇳ)/ パシクルペツ
 →中別飛川 р.Серединка

・サツテキトウ
 →中別飛川上流部左岸の無名沼

 ・Кирюронпит川(キリュロンピㇳ)/ キルラペツ
 →南別飛川 р.Весенняя

参考文献

・岡本監輔撰『千島聞見録』,1892
・太田代十郎著『千島実業地誌』公明館,1893
・北海道庁『北千島調査報文』北海道庁,1901
・鳥居竜蔵著『千島アイヌ』吉川弘文館,1903
・ОПИСАНИЕ КУРИЛЬСКИХ ОСТРОВОВ ПО ОКАЗЫВАНИЮ КУРИЛЬСКИХ ИНОЗЕМЦОВ И БЫВАЛЫХ НА ОНЫХ ОСТРОВАХ СЛУЖИВЫХ ЛЮДЕЙ, СОЧИНЕННОЕ ЧРЕЗ СТУДЕНТА СТЕПАНА КРАШЕНИННИКОВА

参考地図

・蝦夷地図式


ここから先は

61字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?