南樺太地名集 〈地形篇土系の部 豊北村北部・落合町・栄浜村・白縫村〉
黄金ヶ原
黃金ヶ原 こがねがはら
帝:ー
現:ー
N:47.2346 E:142.7567
落合町域内。白川の南傍に位置する。
兜岩
かぶといわ かぶといは
帝:ー
現:ー
N:47.3172 E:142.4282
落合町域内。留多加山の西南西7.7kmの処に位置する。
ウロタエ原野
うろたえげんや うろたへげんや
帝:ー
現:ー
N:47.4265 E:142.4465
落合町域内。上美保の北西8.5kmの処に位置する。日露戦争において露軍と戦闘が行われた地として知られている。
[参考]⑴ 原書房『樺太庁施政三十年史 下(明治百年史叢書)』,1974 に次のような記述が見える。「此の頃に當り、留多加小里駐󠄁在の露軍の一支隊󠄁は(中略)遂󠄂に落合川畔󠄁のオーロタ附近󠄁に敗る。(中略)オーロタをウロタヘ原野と云ふ」
⑵ 伴雄三郎・市川与一郎共著『樺太忠魂史』県社豊原神社社務所,1935 に次のような記述が見える。「俗に此戰鬪區域を「ウロタヘ」原野と稱するは、夫は西海󠄀岸方面に於て、我軍の爲めに壓迫󠄁せられたる露軍が、漸次󠄁山間に逃󠄂がれ此地に來りしが、其地形俄かに展開し、圖らず我軍に出會したる爲め、非常に狼狽せしに因み、此名稱を生ぜりと云ふ」
[個人的見解]先の『樺太庁施政三十年史 下(明治百年史叢書)』の記述に拠ればかつてウロタエ原野はオーロタと呼ばれていたことになるが、「ウロタエ」は日本語の「狼狽える」が語源なのではなく、オーロタが変化したものなのではなかろうか。
|⑥:Уротаэхирано ウロタエヒラノ メ:ウロタイ原野
野寒岬
野寒󠄁岬 のさむみさき
帝:м.Острый オーストルィー
現:м.Острый オーストルィー
N:47.2513 E:143.0198
栄浜村域内。野寒の北東傍に位置する。野帆岬とも(地名改正時の改正地名)いうが、後世には専ら野寒岬と呼ばれた。旧名ノッホ岬。
|⑨,オ,ヱ:ノブサン岬 ロ,ホ:オーストルイ岬 ニ:ヲストルイ岬 ト,チ,ヌ,カ,ア-14,ア-15,サ:野帆岬 ツ:對帆岬 コ'-p.248,ア-15,ア-23:野寒󠄁岬(野帆岬)
落歩岬
落步岬
帝:м.Сенявина スィニャーヴィナ
現:м.Сенявина スィニャーヴィナ
N:47.3529 E:142.9401
栄浜村域内。押江の南東傍に位置する。
|⑥:СЭНИЯУИН-МИСАКИ セニヤウインミサキ ⑨,オ,ヱ:セニヤウイン岬 ホ:セニヤーウイン岬 ニ:セニャウ井ナ岬(※井は小文字) ヒ:セニヤウィン岬
二ツ岩
ふたついわ ーいは
帝:ー
現:ー
N:47.4041 E:142.8510
栄浜村域内。北踏辺の南東傍に位置する。アイヌ語名はチシユシ。
アザラシ岩
ーいは
帝:ー
現:ー
N:47.4194 E:142.8137
柏浜の沖合に位置する岩。付近の地名島矢の語源ともいう。
白浦岬
しらうらみさき
帝:м.Серароко セラロコ / フ' Сирарока シララカ
現:м.Муловского ムローフスカヴァ
N:47.8584 E:142.5306
白縫村域内。白浦の北東傍に位置する。東白浦岬ともいったが、東白浦が白浦と呼ばれるようになるのに伴い、後世には専ら白浦岬と呼ばれるようになった。
|イ,ニ:シラロカ岬 ロ:シヲヽカ岬 ホ:シラヽカ岬 オ,ヱ:シララカ岬 ア-12:東白浦岬 は:イナヲ岬
南磯
みなみいそ
帝:ー
現:ー
N:47.8500 E:142.5314
海図に見える岩礁名。平磯の南南西傍に位置する。コ-p.207,ア-27に見える。
平磯
平󠄁磯 ひらいそ
帝:ー
現:ー
N:47.8550 E:142.5366
海図に見える岩礁名。白浦岬の南東傍に位置する。コ-p.207,ア-27に見える。
飛瀬
飛瀨 とびせ
帝:ー
現:ー
N:47.8544 E:142.5273
海図に見える岩礁名。白浦岬の南南西傍に位置する。コ'-p.254,ア-27に見える。
長磯
ながいそ
帝:ー
現:ー
N:47.9690 E:142.5372
海図に見える岩礁名。輪荒山の沖合に位置する。コ-p.208,ア-27に見える。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?