一人と独り

もうタイトルなんて言わなくても何か分かると思うけど、ある映画を見てきて 色々と思うことがあった。

自分の深層心理や生い立ちや性格や 他人の生活とか何だかそういう「人」について深く考えさせられる作品だった。

こんな文章をつらつらと書き連ねて一体何になるのか分からないし誰が読んで何を思うのか自分が知る由もないけど、これを書くことで頭の中で色々とごちゃごちゃと散らかっている考えが 少しは整理される気がする。そしてほんの少しでもそれを読んで何かを思ってくれる人がいてくれたらそれでいい、ただ脈略のない文章にはなりそう


毎日辛くて寂しくて仕方がない癖に、全然そんなことないフリを続ける。他人に対してじゃなく自分に対して。フリをやめて自分を騙す(?)のを辞めたところで じゃあ何かが楽になる訳でもないし、結局それを心から実感して出てくるものなんて涙くらいなワケで。

辛くて寂しいのをどうにかするのは多分絶対自分だけではどうしようもできない、どうにかできたとしても多分少し誤魔化せるくらいのモノだと思う。

だから誰かが必要なんだろうけど、何かを 誰かを 必要としようとする自分が嫌いだし 何より誰かを必要とすることが怖いから結局なにもできないままなんだろうな。

誰かに何かを求めても結局何も返っては来ず、むしろ更に強く孤独を実感する。誰かを求めることはすなわち自分が傷つくことだった。

本当に、自分はただただ頭を撫でてほしいだけかも知れない。撫でられないなら 誰かを撫でて それで何かを満たした気分になりたいだけなのかも知れない。てかそう

何が正解で一体どんな自分が 自分が心から望んでる自分の姿なのか分からん。自分のことも分からないのに他人のことなんて分かるわけない、てかそもそも分かる必要あるのかな。自分のこと信じれてないのに他人のこと信じれるわけない。てかそもそも他人を信用する必要あるのかな。

何かを考えれば考えるほど分からない。そんな下らんことぐちゃぐちゃと考えてる内に夜も更けて仕事の時間が来る、皆して俯いてる。

こういうこと考えるたびに、昔を思い出す。

親に買ってもらったおもちゃや服、連れて行ってもらったテーマパークや観光地。そのときの自分は笑った写真が多いけど 心底楽しかったのかな。子どもって無邪気だから悲しいことも嬉しいことも それがどんな些細でも過剰に受け取るから、嬉しい時は多分心底嬉しい。

両親は離婚しているけれど、別にだからといって結婚が悪いものだとは思ったことはない。その関係に絶対なんかなくても 絶対に限りなく近づけていこうとお互いが想える関係であればそれは絶対でなくとも安心して寄り添える関係ではあるだろうし。

下品(?)な話になるかも知れないけど、少なくともじゃあ僕をつくろうと子作りはしている訳だから、自分が産まれるまでは仲が良かったんだろう。

兄が6~7歳の頃に自分は産まれた。でも産まれたときからついに離婚するまで自分は両親がお互い会話している所を見たことはなかった。

兄が大人になって家を出ていくというタイミングで父がいなくなった、マジで碇ゲンドウかってくらい寡黙で何も喋んない人だった。でも兄にとってはそんな印象の人ではないらしい。兄は母と父が仲良い状態で、両親の愛を受けて育ったのかな。

なんで自分が産まれてから仲悪くなったんだろう、何で一言も言葉を交わすことなく暮らすことになったんだろう。あんなに狭かった家で。自分が産まれてきたから、二人が辛い道を歩むことになったんだろうか とかそんな下らないこともよく考える、考えても仕方のないことをどこか俯瞰した視点で考える。

自分は自分だから(?)、別に今となってはどうでもいいし他の道を辿った自分なんて考えられないから、別にこれでいい。これでいいけど、限りなく近いはずの家族という存在が自分にとっては限りなく遠く感じるのでした。めでたしめでたし

これも、多分すぐ消す。


みんな、シン・エヴァ観てね。色々考えさせられる内容だけどとても良い映画だったし思ったよりそんな鬱な内容でもなかった...と思う(人による)

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