縁切り・縁結び(アナタは、神ヲシンジマスカ?)
ことの始まり
仕事をしていると、時として取引先の事務所に呼び出され、叱責や恫喝されることがあります。
思いが強い仕事の話なら、感情が一時的に昂ぶって、声も荒くなると思います。
私の場合、法人事業とは別に、学校の非常勤講師として、個人の仕事も請け負っています。
法人と個人が混ざると、いろいろなところで話が整理できなくなるため、高専は法人の休業日を利用して、個人の仕事にしています。
また、休業日の仕事で出費する経費は、基本的に個人事業扱いとして振訳しています。
一方で専門学校は休憩時間に行っていることにしており、その間に発生する経費は、個人に振訳ています。
法人事業と切り分けていても、外からは見えないようで、法人の仕事の話に、その話を入れて恫喝されてしまいました。
恫喝された内容については書きませんが、弁護士に相談すると、名誉毀損に当たるのだそうです。
どうもユーザーが元請けに依頼した試作の開発装置を、元請けの自社商品にしようと考えていたようです。
ユーザーのアイデアを元請けの自社商品とし、OEM製品としてユーザーに供給することを考えていたようです。
仕様の打合せで聴いていると、まだまだ研究段階で、
「企画した内容を装置にしてみよう。」
という状態でした。
販売を目的とした商品は、これからの話で、元請けが妄想する様なOEM製品は更に先の話です。
ユーザーにどの様な都合や計画があっても、形になったものがあれば、それをOEM製品にするように、強行に言いくるめるつもりでいたようです。
それが出来なかった。
そのため、元請けの事務所に呼ばれ、冒頭の叱責、恫喝になったようです。
簡単に言えば、八つ当たりです。
その後のこと
弁護士と相談したところ、こんなアドバイスをいただきました。
いつもは人当たりの良い、善良な方なのですが、ひとたび切れてしまうと、法に触れないギリギリのところで、相手が嫌がる事、精神的な恐怖を、徹底的に責めて煽り立てて来る人が、一定数、いるのだそうです。
相手が謝ると、「自分も言い過ぎた。」と謝り反省の姿勢を出します。
しかし、相手の弱みや弱点を知ると、やり方や責め方を変えて、精神的な苦痛。繰り返し与えてくるのだそうです。
ですから、反省や改心などは期待しないほうが良い。
そもそも大人になるまでに完成された人の本質は、そんなに簡単に気持一つで変わるものではない。
結論としては、仕事などに影響がなければ、付き合わないほうが良い。
相手から近づいて来ても、逃げられるなら逃げたほうが良い。
縁を切ることを勧められました。
縁切り・縁結び
元請けとの縁切り・新しい縁結びを祈願に、京都の安井金比羅宮に行ってきました。
今年、2024年3月のことです。
この記事を書いている現在、参拝から半年経過した2024年9月です。
有難い事に、元請けとの縁を切ることが出来ました。
一方、縁結びは、祈願した通りにはなりませんでした。
ただ不思議と、一度は縁が切れた人達と縁を結び直す事が出来ました。
縁が切れた理由は、ボタンの掛け違いでしたが、切れた時点で、二度と話をすることはないだろうと思っていました。
しかし、祈願した縁結びは叶わなかったものの、想定外の縁結びがあり、そちらの方が嬉しかったです。
神頼み(祈願)に対する共感は求めません
祈願、神頼みというのは、祈る行為です。
なので、効果というのも、個人の精神的な安心感だけだと思っています。
ですから、皆さんに共感を求めませんし、同じようなことはおすすめいたしません。
具体的な解決のためには、はじめに弁護士の先生や関係各所にご相談されたほうが賢明だと思います。
また神様という存在は、人が集団になった時、その集団の社会性を保つために発明した記号もしくはシンボルだと思っています。
存在の有無を論じる対象でもないので、
ご自分の判断でご祈願ください。
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