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ツイてるなと思ったときに常に最善だったと納得した話

以前、勤務時の昼食事情について話したが、ハンバーガーやサンドイッチばかりでは、さすがに飽きてくるので、たまに食事屋にも入る。

商店街の中にある食事屋は、昼食時にはどこも混んでおり、席は狭くとてもゆっくりなどできるものではない。店側にとっても勝負の時間だろうし、このかき入れ時に客を何回転させるかで売り上げも変わるだろう。ゆっくりしたい者は煙たがられるのは当然。客もそれを弁えてさっさと食べてさっさと店を後にするのがスマート。

それはさておき、いつもなら、パーソナルスペースを脅かされる、混雑時の飲食店に入ることを避けているが、冒頭の様にたまにご飯、おかずが揃った昼食を取りたくなる。

職場が商店街の中に立地していることから、食べる場所には不自由しない(はず、本来なら)。ただし、美味しい店、コスパの良い店は、皆よく知っている。昼時に行こうものなら、列ができており、とても休憩時間内に食べ終えることなどできない。

それでも、ごく稀にそんな店でも、人が並んでいないタイミングがある。

昼食をどうしようかとキョロキョロ忙しなく目を動かしながら、ああでもないこうでもないと考えを巡らせ、いつもは待ち人の列ができているカジュアルなステーキ屋に視線をやると、女性が1人待っているだけだった。

その人もすぐ案内され店内に入って行ったのを見て、「今日は行ける日なんじゃないか」と、珍しくその店で昼食を取ることにしてみた。

先の女性でまた店内は満席になった様で、少し店の前で待った後、店員が店内に招き入れてくれながらこう言った。「カウンターの少し狭い席になっております。」

カウンター席は、晩夏の昼間にステーキで精をつけたいガタイのいい男性がずらっと並び、皆気持ち肩をすぼめる様にして昼食をとっていた。

「あー失敗した。」そう思い席に着くや、水を給仕してくれた店員に日替わりをお願いした。こういう店は、タイミングを逃せばなかなかオーダーできないのだ。

料理を待つ間、両脇の男性に遠慮して、さらに小さくなる様息を潜めていたのだが、右側の男性が席を立ち、左側の男性も席を立ってと、同じカウンターに並んでいた男性4人が順に席を立って、料理が着く頃にはたぬきちはそのカウンター席に1人になった。

たぬきちの後にも新規のお客さんの来店はあるも2人以上で、皆テーブル席に案内されているようだった。

結局、たぬきちの食事が済むまでの間、カウンターにお客さんが座ることはなく、十分すぎるほどのパーソナルスペースを維持したまま、食事を取ることができた。「ああ良かった。ツイていた。」と安堵した。

そして思った。「全ては最善の形でそこにある」と。

悪い席に通される→ツイてない。
と考え、入ったタイミングが悪かったとか、この席はいやだからと断れば良かったかと過去を憂うよりも、今起こった事は、最善の結果だと思えば、ジタバタしようがない。

今回はとても良い結果だったので、確かに今起こっていることは最善だと認識しやすい。それがもし、最善とは思えない結果であれば、たちまち難しいことである。

なんとなく、今起こっている事は最善だからと、「今」に集中して過ごすようにしていたある夕刻。

夕食の準備のために、ワイヤレスイヤホンでYoutubeを聞こうと思いたち、そして同時に昼間、バッテリーの切れたイヤホンを充電ケースにしまわず、別の場所に置いていたことを思い出した。これぞズボラのなせる技。

今までのたぬきちであれば、過去の自分に怒り、そして音楽を聴きながら準備できないという事実に落胆し、過去の自分を恨み倒したと思う。

だがその日は、「ワイヤレスイヤホンをつけずに調理することが最善なんだろう」と考えることで、今を受け入れることができた。

都市伝説YouTuberのナオキマンさんが対談した「左脳のおしゃべりが消えた女性ネドじゅん」さんが自分の呼吸に集中しながら「今ここ」と意識してと言っていたことを思い出しては、呼吸に集中する時間をとるようにしている。

それは、引き寄せの法則を伝える何者かと言われるエイブラハムが人類に伝えた、「人は必死になって川上に向かってボートを漕ぐのを辞めて、ボートの流れる川下へとなんの抵抗もせず流れておくことが最善である」と言っていたことなのかと1人納得したという話。

身を任せることが最善ならば、とかくこの世は生きやすい。である。

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