目には見えないと言う事

見えないというとなんだか怪しい話のように受け取りがちですが、そういう話ではありません!


どんな事かと言うと、
先日祖父の法事がありお寺で供養がありました。その中で住職さんは不思議な話をしたのです。内容がグロいので嫌な方は飛ばしてください。

それは、死刑執行の話。法務大臣の話でした。
ある大臣が、ニュースで私の名前が取り上げられるのは死刑執行の判を押す時だけだ。
と言った大臣がいました。
はたまた、過去には
私が任期の間は死刑執行は行いません。
と言った大臣もいます。


どちらの発言も世の中の批判は受けました。

住職さんは続けて死刑執行について詳しくお話ししてくれました。
当日の朝のことや、どうやって執行台に向かわせるか、刑務所での説法を務めていたのでそれはそれは詳しくリアルでした。
そして一番辛い仕事についても。それは自らの手の中で命が消えていくのを確認する仕事だそうです。んんー、考えただけでも震えます。その仕事をした方はとても続ける人がいないそうです。

何が言いたかったかと言うと、
これって判を押すだけというような簡単な事でしょうか?
たった1人の大臣が判を押すだけでもその裏にはこれだけの人が動き、辛い思いまでしている。たとえ仕事であろうと。
それを考えることのできる人と、自分の事しか考えない人。
人はその2つに分かれているということでした。
そしてそれは無意識のうちに行動や発言に現れているのだと。

あなたはどうですか?
と問われるお話しでした。


YUKO氏はいつも人の話はよく聞くように、と言います。
何か意味がある。自分の事と繋がっているのだと。


最後に住職さんは僕はなぜこの話をしたのだろう?と言いながら不思議そうな顔をしていました。
今日は変な話ですみません。
と言っていましたが私には凄く響いたお話しで感謝しかありません。内容うんぬんよりも結局言いたかった人としての部分が。

物事には必ず裏がある。
そこを考えられる人になろう、と。
自分勝手な人はすぐバレますから。
今はまだどちらかと言うとそちら側にいると思います。
考えれなかったわけじゃなくて考えもしなかった。やってこなかったという事ですね。
これからはまず一歩、こうかな?と考えてみようと思います。それが合ってようが合ってなかろうが。そんなのはどっちでも良くて、やるかやらないかだけですね。
人が考えてることなんて目には見えないですが見えるものに表れてきます。行動や発言、そして近くにいる人達。
どんな人に成りたいか、ただそれだけですね!
まだまだ磨きます!

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