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日本を原ねて 心の健康 ストレス解消【一遍上人】

26 一遍上人(1239~1289)
地域からの世界史 日本 大江一道 朝日新聞社
 鎌倉仏教の第三世代として、日蓮の時代とおなじころ、都市に固定されずに全国を遊行して阿弥陀仏信仰を民衆に広めたのが、一遍である。伊予(愛媛県)の没落武士の子一遍は、浄土宗の僧となり、熊野権現のお告げをうけて、1270年代から名号札(「南無阿弥陀仏決定往生60万人」と記したもの)を配り歩く遊行の旅を始め、とくに踊り念仏を創案して教線を広げた。これを時宗という。             118ページ

折々の歌 大岡信 岩波新書
   すてやらで こころと世をば 嘆きけり 
     野にも山にも すまれける身を  一遍上人
「一遍上人語録」所収 時宗開祖一遍は、その作になる。何篇かの和讃でも明らかなるように、ずばぬけて詩藻(しそう)ゆたかな中世の詩人だった。
人々に折々与えた歌も短い中に複雑高度な内容を詠みすえていて感銘が深い。
この歌(すてやらで…)心をも現世を捨てる覚悟で生きるなら、野にも、山にも自由に住むことができる。捨てる覚悟がないから「心」というものにこだわり、世を嘆いてついに自由を持てないのだという。心を捨てよという所が肝心、だがそれが難題。            129ページ

日本花道史 西堀一三 創元社
 足利義政(将軍)(1436~1490)の周辺には数十人の同朋衆がいたといわれる。その職掌(しょくしょう)は、配膳、御酒方奉行、御湯殿、御湯取、茶湯道具飾り、座敷飾り、連歌、立花、香合など多岐にわたり、…将軍近侍の雑役者にとどまらず、芸能、文化方面にすぐれた能力をもち、むしろそれらの技能をもって将軍に仕えていた。
同朋衆の多くは時宗の徒となり阿弥号を称した。       185ページ

一遍上人は無為自然をあらわしている。


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