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夥しい孤独 8

3月15日


日に日に、許せない気持ちが膨らんでいく。

恋しさよりも、淋しさよりも、腹立たしさに変わってきた。

そのことが、かなしい。

この、10年が、憎しみで終わろうとしているのが、とてつもなく、かなしい。


振られた直後は、ただただ、いきなり突きつけられたタイムリミットと、「最後」という事実に気が動転していて、絶望しかなかったから。

なにもかもがわからなかった。

ただ、どうやって死のうか考えていた。

死なないのなら、どうやって生きていけばいいのか、途方に暮れた。

とにかく、途方に暮れ続けていたから。

壊れた蛇口みたいに、泣き続けるしかなかった。


時が経つほど、今、私はあの人を許せない。

詰れば良かった。
殴って、泣き喚いて、腹が立つすべてを吐き出せば良かった。


私がどうしても、どうしても許せないことは、ふたつ。

最も許せないのは、最後の日を、彼の都合だけで、設定されたこと。

別れ話は、先月の25日だった。

バレンタインのチョコを7日に渡したのが、普通に会った、最後。
それから、会いたいと言っても用事があると言って会ってもらえなくなって。
この日、と決めても、当日になって、やっぱり無理だとキャンセルされる。

そしたらようやく、向こうから、25日なら、と連絡があった。
25日は、彼にとって、特別な日だと言う。
彼はバツイチで、大学生の息子がいる。
その日、はじめて、その息子とお酒を飲むのだという。
息子との初飲み。
そんな、特別な日の。
息子と飲んだ帰りに、私の家に寄ると言う。

3回ほど、理由も言わずに会えないと断られた時から、私はずっと嫌な予感がしていた。

また、捨てられるのかもしれない。

そう思った。

だけど。

そんな、特別な、大切な時間の後に。

いくらなんでも、別れ話をするだろうか?

さすがに、きっとそれはない。

もしかしたら少し距離を置きたいとか(すでに去年の年末に、そういう話は出ていて、今までより会う回数は減っていた)、彼は春になると情緒が不安定になるから、会うのを控えたいとか、そういう話かもしれない、と。

必死に自分に言い聞かせた。
すこしでも、ダメージが少ない、悪い話を想定した。

話がある、と前もって言われて、今まで、いい話だったことは一度もない。

そのたびに、私は振られてきた。

だけど。

いくらなんでも、そんな「ついで」みたいな。

そんな大事なことと大事な話を、片付けるみたいにする人じゃない。

今まで、私に別れを告げるときは、必ず私の休みの前日にしてくれていた。

私がぼろ雑巾みたいになるのがわかっているから。

きちんと、前もって話があると告げてくれていた。

今回、話があると言ってきたのは、しかも25日の当日。
夕方になってからだった。

仕事の休憩中に、LINEを見た瞬間、私は心臓が止まりそうになった。

…やっぱり、振られるんだ。

…本当に?

大切な、楽しい時間を過ごした、その後に。
お酒を、飲んだ後に。

私を振るの?

あなたが?

今まで一度だって、「大切な話」を、お酒を飲んだ後にしたことなんて、なかったあなたが?

もう一緒にはいられないと判断しても、最大限、私を大事にしてくれる人だったのに?


……つまり、もう、
「大事」なんかじゃ、とっくになくなっていたんだ、ということ。

少なくとも、新しい彼女のほうが、私を上回っていたんだということ。

他に、都合のいい日がなかったんでしょう?

あんなに、この日もダメ、次の日もちょっとって、断られたということは、それだけ連日、彼女に会っていたんだよね?

私と付き合う前の、あなたと全く同じ。

ほとんど毎日のように会いに来た。

遠いのに、車で、夜中でもやってきて。

私がすこし怯むほど。

ずいぶん積極的な、情熱的な人だな、と思った。

…あの熱に、今、浮かされているんだね。

だから、他に、空いている日がなかったんだ。

少しでも多く、彼女に会いたいから。

とっとと、済ませてしまいたかったんだ。

彼の息子の住む街は、私の家から、電車ですぐ寄れるほどの距離で。

それも、丁度良かったんでしょう?

何もかも、あなた「だけ」の、都合。

「一番」じゃなくなったとたん、こんなにも、雑に扱われるのかと。

ないがしろに、されるのかと。

今、冷静に思い出してみて、思う。

笑ってしまう。

なんて滑稽なんだろう。


あなたは、なんなら上機嫌で、やって来た。
今から、別れ話をするとはとても思えない空気をまとって。
コンビニで、一日では、「飲みきれない」量の飲み物と、つまみを、「いつものように」、買ってきて。
息子との飲み会の話を、しみじみ、感慨深そうに、涙ぐみながら、穏やかに話す。

私も、涙ぐんだ。

良かったね、という、気持ちと。

こんなに穏やかに笑ってる。

こんな話は、きっと私としか共有できない。
その自負はある。

こんな特別な、大切な話を、私と分け合ってくれてる。

振られるんじゃないのかもしれない。

…なんだ。

…良かった。

そう、どこかで安心した、涙。


なのに。

あらかた話し終わって、彼は、煙草を吸ってくる、と席を立った。


…天国から、地獄へ。

煙草を吸うのは、話しにくいことを、これから話す、合図。


私は絶望した。


抱かれた後に、殺されるみたい。


そんな大事な話の後に、どうして、別れ話をするのかと。

あの夜、そう弱々しく聞いたのは覚えている。

特別な夜だから、私と、共有したいと思ってしまったと。

答えた。

(それなら、

なおさら、

どうして、同じ日にしたの。


せめて、せめて、お願いだから、別れは、別の日
にしてほしかった。)

( )の部分は、言いたいのに、言えなかった言葉たち。

言葉にしてしまったら、本当に、あまりに自分が惨めなことが、突きつけられてしまうから。

…確かに、無神経やったな、

と、あなたは言った。


無神経、なんてもんじゃ、ないよ。

確かに

って…

そんな当たり前にわかるようなことが、わからなくなるくらい、彼女に夢中なんだね。

本当に私のことが、どうでもよく、なったんだね。


ひとごろし。

ひとでなし。

いっそ

ころしてくれたらよかったのに。

そうしたらこんなにも、あなたを憎まなくてすんだのに。

ふたりでわけあったものも、あなたにもらったしあわせも、なかったことみたいに、ならなかったのに。

かえしてよ。

この10年を、かえして。


幸せを。
思い出を。
愛を。


かえして。



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