古墳シスターズの活動日誌その7


お世話になっております。古墳シスターズのギターボーカル松山です。本日は「古墳シスターズの歴史」第5回になります。


今年でめでたくバンド結成10周年。せっかくなのでこれまでの古墳シスターズの活動を振り返ってみようということで始まったこのシリーズ。


前回の更新で、来年1月13日14日開催「はにフェス2024」までに終わらせる宣言をしたということもあって、急ピッチの更新です(いうて遅いですが…)。とりあえずようやくギタリスト松本くんが古墳シスターズに加入したところまでいきました。今回からいよいよライブ活動が始まります。


第5回は2013年7月に行われた初ライブまでの模様と、ライブ当日の思い出が書けたらと思いますが、まあこれまた後学になるようなエピソードもなく、相変わらず冴えない男子四人組のなんとも情けないお話がだらだらと続きます。

絶対にこんなのを書いてる場合ではなく、やるべきことはもっとほかにたくさんあるはずなんですが、まあそれはそれ。せっかくなのでいくとこまでいきましょう。はじまりはじまり





瀬戸内海に面した海の町、香川県高松市北西部。

海からの、初夏らしいかわいた風が吹き込む海岸のすぐ側にその公園はありました。


「タイトルは『クオリティ·オブ·ライフ』でいこうと思う」

「ほう」

「歌詞がいいんだよ。『何かをしなくてはならないな、何かをしなくてはならないな』って」

「その『何か』っていうのは」

「まったくわからない」



古墳シスターズが始まったばかりのころ、ほとんどの曲はこの海の見える小さな公園で松山とKによって作られていました。


こう言うとなんとも素敵なエピソードらしく聞こえますが別に、「ロマンチックな風に吹かれて作る楽曲が…」とか「黄昏の瀬戸内海がもたらすインスピレーションに…」とかなんとか考えていたわけでは全くなく、ただ単純に「4年生になって部室に居づらいから」とか「大きな声を出しても怒られないから」とか「学校から近いから」といった情緒のカケラもない事情でこの公園を選んだだけで、というかそもそも古墳シスターズにそんな奥ゆかしい感性などあるはずもなく、単にこの場所が彼らにとって色々と「ちょうどよかった」だけでした。


とはいえ当時の、ベンチに座って望む瀬戸内海の景色や髪の毛をキシキシにしてしまう海風の心地良さなんかは印象深く、当時の古墳シスターズの楽曲に、期せずして、海や月の情景が多く登場するようになったのは案外そんなことも関係してるのかもしれません。



「サビはまずDで」

「おう」

「そんでG、Aときて、またD」

「簡単だなあ」

「じゃないとライブでできないだろ」


当時の彼らときたら、出来た曲の精査もしければ、練習もほどほど、あまつさえ曲の良し悪しなんかどうでもいいとさえ考えてる始末だったので、この頃になると古墳シスターズはしれっと持ち曲が5つ前後になっていました。数だけ見ればじゅうぶんにライブが1本できるくらいの本数です。


メンバーが揃い、持ち曲も5つくらいになった…となると、ふたりの会話は自然といつか来たる初ライブについて言及することが多くなっていました。



初ライブ。


どんなバンドにも、どんなアーティストにもある初舞台というやつです。大抵「あの時はひどかった」みたいな感じで後年エピソードとして語られることの多いこの「初ライブ」ですが、もちろん古墳シスターズにもそれはあり、そして例に漏れずちゃんと悲惨なものになりました。


古墳シスターズの初ライブは実のところ、ライブハウスで行われませんでした。


理由としてはいろいろとあったのですが、端的に言ってしまえば「人の縁を辿ったらそこになった」みたいな感じで、特別ドラマチックな何かがあったわけではありません。

強いて言うなら、ライブをするのに支払わなくちゃならない「ノルマ」と呼ばれるものを恐れてライブハウスを避けた、みたいなことがあったくらいですが、これも結局初ライブの際、会場にて支払うことになっています。当時は、「ライブハウスでなければノルマはないだろう」みたいなことを考えてたんですね。あります。普通に。

「ところでK。すごく今さらなんだけど、そのベースどうしたの」

松山に「ベースおらんからお前が弾いてくれ」と言われるまでベースはおろか楽器もろくに触ったことがなかったK。そういえばいつの間にベースを手に入れたんだろう。

「友達から借りたんだよ。買うと高いだろ」

「へえ、よく貸してくれたなあ」

「全然分からんけど、これ、まあまあいいやつらしい」 

海から射し込む陽光にきらりと光る黒いボディ。当時は松山も含め誰も楽器の知識なんか持ち合わせておりませんでしたが、なるほど、言われてみれば高そうな代物です。まさかこれがもうじきやってくる初ライブで2つに分離するなど、このときふたりは全く想像しておりませんでした。

「あのさ、K。とりあえずの目標なんだけど」

「うん」

「そこそこいいバンドがしたいよ、俺は。別にバカ売れしなくてもいいから、まあまあいいバンドがしたい」

「例えば?」

「サザンくらい」

「バカ売れだなあ」 

とてもよく晴れた日の瀬戸内海では、あちこちでぽつぽつと浮かぶ小さな島々を眺めることが出来ます。

この日は海の霞もなく、遠くに岡山県と香川県をつなぐ瀬戸大橋も見ることができました。

ふたりが初めて香川県に来たのが18歳の時。瀬戸大橋を渡る電車の中から見た景色は鮮烈で、これから始まる大学生活に彼らの心がどれほど躍ったか…。今でこそすっかり日常の景色となってしまいましたが、その美しさは変わらず、時折吹いてくる風に松山は思わず足を止めてしまいます。

松山の言葉を当時Kがどれだけ真面目に聞いていたのかは分かりません。それでもふたりは気づけばバイトの時間になるまで、いつまでも下手くそなギターとベースを弾いていたのでした………

さて、

とまあ、そんなこんで、なんか綺麗なお話っぽくまとめようとしてる気配がありますが、まったくそんなことはないのでご安心ください。今からです。


まあ今からです、とは言うものの、これからお話する初ライブの模様について、前回の松本くんの登場回と同様、あんまり覚えていないのでほとんど箇条書きみたいな感じになります。あとそんなに事件起きてません。起こしとけばよかった。すみません。


これより時間は少しばかり進み、季節は真夏。舞台は2013年7月の高松市でごさいます。曲も増え、いよいよ初ライブを迎える新生バンド「古墳シスターズ」。10年後「ライブバンド」として名を馳せる(?)ようになる彼らの初ライブはどのようなものだったのでしょう。今回はその一部始終をご覧いただいてさよならです。ではいってみましょう。


さかのぼること今から10年。夏。


うだるような暑さの中、背中に照りつける太陽とギターを担ぎながら自転車を走らせていた松山。彼が向かっていたのは高松市中心街に位置するとある飲食店でした。

時刻は昼過ぎ。予定時刻ぴったりにお店につくとすでにKがいました。

「Tと松本はまだ来てない感じ?」

「うん」

別にそのまま入店してもよかったんですが、せっかくの初ライブ、なんとなくこういうのは全員一緒の方がいい気がして松山とKはそのまましばらく遅れている二人を待つことに。やがてヴィジュアル系ドラマーTがこの日もおびただしいピアスをぶら下げやってくると少し遅れて松本も到着しました。

「いよいよかー」

先に述べたように、彼らが初ライブに選んだ場所というのはライブハウスではありませんでした。そこはとある『飲食店』。

できればその名もここで連ねたいのですが、今はもうなくなってしまったため名前は伏せておきます。とにかく、『とある飲食店』。  


お店の入口は階段を登った2階にありました。どんな気持ちで階段を登り、入口をくぐったのか、正確なところはもう覚えていませんが、ただドキドキというか、あの言いしれぬ高揚感は今でも忘れられません。入口の扉に吊るされた鈴が鳴り、四人は空調の効いた店内へと入りました。


彼らはこのあと、初ライブにふさわしい名「クソ」ライブを繰り広げるのですが、振り返って思うに、その起点となった出来事というか、事柄というのがまず、入店してすぐに店長の人に言われたこの一言だったのではないかと思います。


「このお店では、うるさいのはダメだから、バスドラムの使用は禁止です」


バスドラム。
普段ラースが右足でどんどこ鳴らしてるあれです。ドラムセットの中で一番大きな太鼓で、やっぱり一番大きな音がするアレです。このバスドラムの役目というのが、ご存知の方も多いかと思いますが、バンド・サウンドのリズムの中心を担うもので、いうなればバンドの心臓。普通バンド演奏ではこれがないことには話になりません。ましてやほとんど素人同然の集団「古墳シスターズ」、考えるだに恐ろしい話です。


この店長からのお達しに、あまりに驚いたせいか松山は「もちろんですよ」という謎の返事をしています。何がもちろんなのか、よほど驚いたのでしょう。10年経った今でも店長さんのこのセリフは松山の心のアルバムの中に大切にしまわれています。


とはいえ店内を見てみれば、店長さんが言うバスドラムの禁止理由はとてもよく分かりました。窓1枚で外と隔てられている間取りやオフィスも入っている雑居ビルの2階にあるという構造……確かに大きな音を出していい環境ではありません。そして何より説得力を帯びていたのが、内装のお洒落さでした。とにかくお洒落。名前の分からない花や家具なんかがたくさんあって、少なくとも古墳シスターズみたいなもっさい連中が来るようなとこじゃないんですね。「銀座に野犬」なんてことわざが、もしあればまさにここが使い時でした。


これにより古墳シスターズは初ライブ早々、もはや「普通のライブ」を禁じられます。そして同時に、この宣言によって古墳シスターズの名「クソ」ライブの幕が切って落とされたのです。



会場準備、リハーサルと順調に進み、定刻に開場はオープンしました。出演順は忘れてしまいましたが、日没後が古墳シスターズの出番だったような気がします。


当時、他者を寄せ付けない排他的な組織だった古墳シスターズでしたが、ありがたいことに友人にはめぐまれ、数名の仲間たちが応援にかけつけてくたということもありフロアがガラガラということはありませんでした。もっとも、ここは飲食店、お客さんたちはスタンディングではなくそれぞれテーブルに座ってライブを観るという形式だったのでちょっと独特の空気感であることは間違いありません。



いよいよ出番がやってきました。
迎え撃つ古墳シスターズの布陣は、松山、松本、K、そしてヴィジュアル系ドラマーT。松本くんは入学式のときに着ていたリクルートスーツ、額には白いハチマキを巻いて登場し、Kはサングラス、そしてこの日のために卸したという特注スーツを着込んでいました。ちなみにKの特注スーツはこの日限りの使用となり、それからは基本的に服を脱ぎ捨て、トランクス1枚でライブをするようになります。Tについては覚えてません。


Tによるカウントで曲が始まり、ついに古墳シスターズのライブが始まりました。

開始何秒でしょうか。4人はすでにリズムを失っていました。

ドラムのハイハットと呼ばれる金物の音と、スネアドラムという太鼓の音が交互に鳴りはするものの、それが表の拍子なのか裏の拍子なのか、もはや4人とも誰一人区別がついておらず、彼らは各々が刻むリズムで演奏を続けました。見ていた人たちも、まさか4人が同じ曲を演奏しているとは思わなかったでしょう。

それなのに、そんな目が覚めるような悲しい演奏とは裏腹になぜか盛り上がる4人。親から貰った体がいかに素晴らしいものであったかと言わんばかりの運動で、海の見える公園で一生懸命考えた歌詞は誰も歌わず、ただ母音のみで絶叫するだけ。見に来てくれた友人たちは、ついさっきまで友人だった人に変わっていきます。

当然絡み合うことはないリズムは彼らをそれぞれの濁流に飲み込み続け、その後も、いつそのときがやってきたのか、お客さん含め本人たちすら分からないままに曲が終わりました。


そして、残念ながらこのくだりを5回ほどやります。

言わずもがな回数を経るにつれ演奏の精度は落ち、それに反比例するように運動量は増加。最後の曲がなんだったかは覚えてませんが、後半はただのスポーツになっており、Kがベースを床に叩きつけることによって試合終了のホイッスルが鳴らされました。


果たして拍手があったのかなかったのか。終わってすぐのことは何一つ覚えておりません。ただその後、勝手に「ない」と思っていたチケットノルマを支払い、松本くんに至っては乗ってきた自転車を盗まれ、Kは、友人から借りていた、二つになったベースを持ってそれぞれの家路についたことだけが記録に残っています。

ちなみに松本くんが乗ってきた自転車。もともと鍵がないタイプのものだったので、それこそ盗難防止にとサドルだけ持って入店していたのですが、結果的にちゃんと盗まれ、サドルだけ持って歩いて帰っています。



これより古墳シスターズは、何から何までを間違えたライブ道を歩むことになりました。1年目。まだまだ先は長い旅路の始まりでした。つづく


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