坐禅和讃「無相の相」と無相大師

白隠禅師坐禅和讃に「無相の相を相として」という箇所がある。白隠慧鶴が、妙心寺開山の関山慧玄(=無相大師)を慕って、「無相」という言葉を選んだのかなあ?と思っていました。関山「慧」玄と白隠「慧」鶴というように同じ「慧」を用いているし、また白隠禅師は「大応・大燈・関山像」を描いている。
しかしながら、関山慧玄に無相大師と追諡したのは、明治天皇だった。白隠禅師の活躍した江戸時代において、既に関山慧玄が無相大師と呼ばれていたので明治天皇の追諡号に繋がったのか、あるいは明治天皇が白隠禅師坐禅和讃から無相という号を選んだのか、学説はあるのでしょうか?


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