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第337回、自分が反愛国者な事を告白してみた


この問題については、触れるべきなのか、自分も大いに悩みました。
事によっては、命の危険に繋がらないとも言い切れない、日本人にとってのアイディンティティに関わる問題でもあるからです。

世の中には、愛国者と反愛国者の人がいます。
もちろん、どちらかの思想に綺麗に分類できるものではなく、その中間で、殆どの人がどちらかよりのグレーな立場をとっているのだと思うのですが、自分はどちらかと言えば、かなりの反愛国者よりの人間だと思います。

もちろん、日本が全く嫌いという訳ではありません。
日本の伝統文化に、素晴らしさや美しさを感じる気持ちも持っています。

でもそれは多分、外国の人達が、日本を異国の文化として、愛でているのと同じ感覚なのだと思います。
着物、芸者、侍、忍者、そういう日本の歴史的な文化に、魅力を感じていない訳ではないですが、それはもう、ハリーポッターの世界に魅力されるのと同じレベルなのです。
その日本は、自分にとってはもはや、異世界でありファンタジーなのです。
日本人が西洋のエルフに感嘆するのと、同じレベルの話なのです。


外国の人が日本人の美徳として称賛する物に、おもてなしの心があります。
確かに日本人には、謙虚で礼儀正しい要素があるのだと思います。
八百万の概念を持つ日本人は、異なる文化の人を受け入れやすい土壌もあるのかもしれません。

しかし殆どの外国の人は、おもてなしの本質を理解していないようにも思います。おもてなしとは、自分達とは異なる者に対して行う、装い用の作法。本来の自分とは、異なる姿を見せる行為なのです。

外国にも当然、社交の精神や文化があるとは思うのですが、恐らくは日本のおもてなしは、外国のそれと比べてもかなり異質な物であり、その事を理解していない外国の人は、おもてなしで受けた対応を、日本人の普段の様子、日本人の本質的な姿だと思ってしまいます。


日本人のもう一つの側面、真の意味での和の心については、その実態を知る外国の人は、少ないのではないかと思います。

異質な者を表面的に受け入れているおもてなしの心に対して、和の心とは、同質の者で集団を形成する概念で、基本的に異質な者は受け入れません。
和の心の領域内においては、おもてなしの心で見せるような、寛容的で礼儀正しい姿すら、見られない事も少なくないのです。

基本的には、目上の者、高年齢者、家父長、男性、先輩を敬う価値観で形成されており、価値観が異なるマイノリティーな存在の者、女性や子供などが虐げられる事も、珍しくありません。

そして和の心を尊ぶ人の中には「それは社会に協調をしようとしない人間が悪いのだ。協調さえしていれば、自分達はハブくような事はしない。むしろ自己主張ばかりして、協調性を持たない奴の事を教育してやっているのだ」とすら思っている所があるのだと思います。

それはもう、日本の子供の、いじめをしている人達の精神、いじめの構造と殆ど変わらないのです。
自分が日本のいじめ問題が、和の心、協調性の精神にあると主張する所以がそこにあります。


愛国者の人達は、近年の日本の諸問題を、古よりの日本人の精神を捨てて、西洋的価値観に染まった弊害なのだと言われる事が多いように感じます。

それは全くの見当違いではないのだとは思います。
しかし日本は戦後、西洋的な価値観を取り入れたとは言っても、完全に西洋化した訳ではなく、西洋と東洋の精神がごちゃまぜに入り混じった、いわば混沌とした状態にあるのです。

その結果、いい効果が表れた部分もあれば、以前よりも悪くなってしまった部分もあるのだと思います。

西洋化推進派の人は、完全に西洋化していない事に問題があるのだと言い、東洋化推進派の人は、和の心を捨てた事に問題があるのだと主張をします。

どちらの意見にも一理があり、しかしどちらかの意見だけでは、解決をしないようにも思います。

日本は、もはやかつての日本には戻れないのだと思いますし、また戻るべきとも自分は思っていません。しかしだからと言って、今の日本がいいとも、西洋化をすれば、解決するのだとも考えてはいません。

そもそもお手本とする西洋文化も東洋文化も、別に完成された理想社会ではないのです。
どの国も、それぞれに問題を抱えて、改善するべき事を抱えているのです。

ならば日本はこのまま、和洋折衷社会として、西洋と東洋の両方の価値観を取り入れ続けて、独自の文化を築いていくしかないのだとも思っています。


日本は島国故に、他の国等に比べると、単一民族、単一言語、同一の精神で歴史を紡いで来た、奇跡の国であるように言う人もいます。

しかし実際には、琉球民族やアイヌ民族を含め、複数の民族、複数の言語で構成されており、日本が言語や精神を含む、今のような単一的な国家概念を築いたのは、比較的最近の事になります。
日本もまた諸外国と同様に、争いによる統合の歴史の上に、今の日本という姿を形成しているに過ぎないのです。

日本はこれからも、その姿を変えていくのだと思います。
これからは島国内での統合ではなく、諸外国との融合を行いながら。

そして、かつてのような日本の姿では、なくなっていくのかも知れません。
しかしそもそも、芸者も侍も、日本人の本来の姿という訳ではないのです。
日本の極一部の、華やかで勇ましい人達だけを見て、それが日本人の本来の姿だと思い込んでいるに過ぎないのです。
昔の日本人の殆どは、至って普通で貧しい生活を強いられていた農民にしか過ぎません。決して侍が、日本人の本来の姿という訳ではないのです。


自分は、そう遠くない将来に、日本が消滅する事もあり得るのではないかと思っています。
しかし自分は、例えそうなったとしても、それもまた、日本のあるべき歴史なのかと思わなくもありません。
別に積極的に、日本が滅びる事を望んでいる訳ではありませんが、何度もいうように、日本が長い間、同じ姿でいられた時代等は、あまりないのです。

常に変わり続けるのが日本の姿であり、これからもそうなのだと思います。
そして実の所、自分が望んでいる日本の姿とは、攻殻機動隊等に描かれる、サイバーパンク・ジャパンであり、今よりもさらに混沌した社会なのです。


※元々は神風特攻隊や天皇皇族制についても触れるつもりでいたのですが、より日本の禁忌に触れる事になるので、やめておく事にしました。

また社会的な同調圧力は、日本人だけではなく、人類全体に共通する問題である事は、把握をしているのですが、単一民族の日本では、その傾向がより出やすくなっているのだと考えています。

自分が望むサイバーパンク・ジャパンになる為には、今の日本ではまだまだ変革が足りません。
秩序のない混沌とした社会こそ、自分が望む日本の姿なのです。(これは、AKIRAの画像でした)

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