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第277回、創作に大切な事は何かを語ってみた


今回は、物語の創作活動、作品に大切な事は何かという事を、自分なりの
意見や考えで語ってみました。

「終わり良ければ総て良し」という言葉がありますが、自分の好きなアニメや漫画が、常に最高の結末を迎えるかと言うと、そんな事はありません。
むしろめちゃくちゃ好きな作品なのに、何でそんな事になっちゃったの?と思う事も少なくないのです。

例えば自分の好きな「エヴァンゲリオン」も、その最終作である「シン・エヴァンゲリオン」の結末に対して、決して満足している訳ではありません。

自分が永遠に姫と崇める「風の谷のナウシカ」のナウシカも、原作のラストでは確か、何やっちゃってるの?と言う、衝撃的な展開だった気がします。
(知識としては知っていますが、記憶としてはよく覚えていないのです)
原作のナウシカに対しては、今でもややドン引いている所があります。

しかしながらそれで作品が嫌いにも、ダメになったとも思っていません。
なぜならそれが物語の主人公、ひいては作者が考えに考えた上で導き出した結末の一つの形だからです。

物語とは、あるべき理想を迎える為に紡ぐ物とは限らないのだと思います。
主人公にしっかりとした意識と魂があり、その主人公が起こした行動の末に迎えた展開ならば、例えそれがどの様な結末であろうとも、「自分はそうはしないけど、この主人公ならそうするよな」と思い理解をするのです。

「進撃の巨人」も、元々自分の好きなタイプの主人公ではありませんが、「自分とは全く考えもタイプも違うけど、彼ならそうするかもね」と思えるからこそ、終盤のトンでも展開に納得をするし、面白いとも思っています。

自分の様な物語を何も創作していない人がいう事ではないのだと思いますが物語とは、それを見る人達を満足させる為に描くのではなく、作者ひいてはその物語の登場人物が、嘘偽りのない気持ちで起こす行動を、ありのままに描いて、それを見た側がどう感じるのかという物なのだと思います。

だから作り手は、必ずしも全ての人に賞賛される事はありませんし、時には酷評される事もあるのだと思います。
それでも作者が伝えたい思いを描いて伝えるのが、創作なのだと思います。

シン・エヴァンゲリオンの結末は、自分的にはあまり好きではありませんがシンジが偽りのない気持ちで迎えた展開なのだと思い、納得をしています。
エンドロールと共に作者の庵野秀明が、成仏していく様子が見えた位です。
(ラストのふかん映像って、そういう意味ではないのでしょうが‥)

ディズニー作品でも、本の虫のベルが、城の図書室を見て野獣に心惹かれるのも、地上に興味津々なアリエルが、人間の男性に一目ぼれしてしまうのも共感できるかどうかはともかく、魂を持った一人の人間の行動として理解をする事ができ、だからこそ物語にも強く引き込まれて行くのです。

自分は物語は正しい事を描けているかよりも、登場人物の言動や行動に魂を感じられるかが重要なのだと思っています。

その観点で言うとウィッシュのアーシャは、物語として正しい事を描くのを目的にしすぎていて、彼女がなぜそうしようと思うのか、その言動や行動に納得するだけの、人としての魂を感じる事ができなかったのだと思います。

「まるでホワイトボードに書かれたシナリオプロットを、そのまま見させられているみたいだ」とある評論家が言っていましたが、ポリコレとLGBTQの呪縛に囚われている近年のディズニー作品は、正にこうでなければならないと言う意識高い系の上層部から押し付けられた概念によって、魂も何もないキャラクターが、うわべだけの演技をしているに過ぎないのだと思います。

今回も結局、ウィッシュの批判かと、読んだ方もいい加減にうんざりされているかもしれませんが、性懲りもなく今回もウィッシュとディズニー批判をさせて頂きました。

これぞ神の御業の作品と言える、「風の谷のナウシカ」の原作漫画です。
今回も作品の宣伝を兼ねて、ネットで拾った画像を無断転載させて貰っています。
全ての登場人物に魂が込められているからこそ、悪役にも人間的な魅力が溢れているのです。
ナウシカはむしろ、虫の世界に心を寄せすぎて、人間が理解できる領域を超えていきます。
原作のナウシカは、終盤に向けて狂気の領域へと突入していきますが、人物の丁寧な心理描写が
見る側にそれを納得させてきます。
共感できるかどうかは別として、彼女はそういう人なのだと納得をさせるのです。
原作の内容は、殆どもう思えていないですが、もう一度読み直してみたいです。
今回はナウシカの話ではないのですが、めちゃくちゃ画像を掲載してしまいました。
え?AI画像の販売計画はどうなったのかって? 全然進んでいません‥

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