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第276回、ユートピア問題について語ってみた


ウィッシュをまだ引きずっているのか、今回はSF作品に見られるユートピア問題を語る事にしました。

SFが描く未来社会には大きく分けて、理想社会を描いたユートピアと、退廃世界を描いたディストピアの二種類があります。

自分は混沌とした退廃社会を描いた、ディストピア的なSFが好きなのですがユートピア系の作品には、ある決まった魅力的なテーマがあります。

それは管理された理想社会は、人間にとって幸せと言えるのか?と言う問題であり、俗に「偽りのユートピア」と言われる物です。

西洋人は、このテーマが大好きです。
なぜなら偽りのユートピアとは社会主義の事であり、資本主義、民主主義の多くの西洋人にとって、社会主義のユートピアは、格好の批判対象になるからです。

日本は多人種、多国籍社会の西洋に比べると、単一民族の為か同一的価値観に従って生きる事を美徳とする、社会主義的な側面が強いのだと思います。
自分は子供の頃から、日本の同一的な価値観に無言の圧力で従わせる社会に適応出来ない人間だったので、西洋の個人主義的な考えに強い憧れを抱いていました。
その気持ちは今でも、本質的には変わりはありません。

しかし年齢的にはいい大人となっている今、こう思う様にもなっています。
自分がいくら日本の精神性がおかしいと思っても、多くの日本人にとって、その方が幸せなのであり、その価値観は、必ずしも間違っているとは言える訳ではないと言う事です。

自分は今でも、日本の精神性が苦手です。
それによって苦しい思いをしている人が大勢いるのも、事実なのだと思っています。それでも尚、大多数の日本人にとっては、今の日本の在り方が幸せなのであり、それをグローバルスタンダードな基準でおかしいと思っても、一概には否定しきれない物があるのだと思うのです。

少なくとも今の日本を幸せだと感じている人に、それはおかしいと一方的に言う事は出来ないのです。


自分はユートピアの在り方として、マトリックスの世界観が大好きです。
マトリックスの世界では、大多数の人が機械に支配された、偽りの仮想世界ユートピアの中で生きています。そしてそんな世界に疑問を感じて、真実に気が付いた人達だけが、自分で選択をして真実の世界へと抜け出します。

そこは何者にも支配をされる事のない、正真正銘の自由の世界です。
しかし映画にも描かれる様に、全ての人間が自由な真実の世界に適応する訳ではないのです。いや殆どの人にとっては自由な真実の世界よりも、機械に支配された偽りのユートピアにいる方が、幸せだと感じるのだと思います。

しかし必ずしもそれを人の在り方として間違っているとは言えないのです。
羊には羊なりの、人間に飼われてこそ得られる、幸せな生き方があります。
人間に飼われているから、野生ではないから、生き物としてあるべき姿ではない。そんな生き物は、幸せであるはずはないとは言い切れないのです。

そして人間も所詮は生き物です。それもかなり非野性的な生き物です。
人間は所詮、社会と言うシステムの中で生きる事を選んだ家畜の一種であり
その中で、人間性というプライドを維持しているに過ぎません。

人間にとって幸せな生き方とは何か?ユートピアとはどうあるべきなのか?
一つの価値観でそれを決められると考えている限り、人間がその答えに辿り着く事は、永遠にないのだと思います。

人間は恐らく複雑に進化をし過ぎてしまったが故に、一つの価値観、一つの定義で生き方をくくれる範囲を、既に超えてしまっているのだと思います。
多様な価値観、多様な幸せの在り方があるのであり、その全てを統括出来る理想の社会は、どの様な社会であっても、実現をし得ないのだと思います。

だからこそ様々な社会の在り方があってしかるべきなのであり、どの社会が絶対に間違えているとは言えないのです。

等と言いつつ、自分は日本の社会や風習を批判し続けます。
日本のここがおかしいのだと言い続けます。

言っている事がめちゃくちゃだと思われるかもしれませんが、そうです。
めちゃくちゃなのです。
人間とは所詮、非合理的で利己主義的なめちゃくちゃな生き物なのです。

でもこれだけは、一貫して言いたいと思います。
この世に一つの価値観で人間を統括できる思想等は存在をしないし、それが出来ると信じる心こそが、偽りのユートピアなのだと言う事を。

全ては価値観の選択の問題であり、どの価値観を選択して生きるかの違いであり、どの価値観が正しいとか間違っているとか言う問題ではないのです。

※この意見も又一個人の決めつけであり、絶対的に正しい意見ではない事を付け加えさせて頂きます。

これ普通に、香港の画像じゃね? と言う意見も、聞こえて来そうですが‥

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