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第305回、AI画像生成について思う事を述べてみた


自分は今、あれ程夢中になっていた、AI画像生成に対する思いが、少し冷めかけています。
自分には到底描けない様な凄い画像を生成できる、革新的な技術だと喜んでいましたが、結局生成できない画像は、どんなに頑張っても生成できないし
生成できる画像は、自分以外の誰にでも生成できるのです。

当たり前です。生成しているのは自分ではなくて、AIなのだから。
自分が頑張って画像生成の研究をしても、自分が生成できる程度の画像は、大抵の人にも生成ができるのです。

自分にとって満足のいく、可愛い少女の画像も、社会的には、誰でも生成ができる程度の物でしかないのです。

決して、AI画像自体を、否定している訳ではありません。
自分はAI画像を使って、素晴らしい創作活動をしている人達を、このブログで沢山知りました。自分の描きたい物語の為に活用している人、新たな表現方法を模索している人、自分の生成画像スタイルを確立している人。

そういう人の画像は、例えAIを用いていても、他の誰も作成する事のない、唯一無二の物であり、その人ならでは作品として、ファンがついています。生成された画像に、きちんと社会的な評価が付いているのです。

しかし自分の様に、画像のスタイルが確立をしていなく、ただ可愛い少女が生成されたと喜んでいる程度の物は、ネットに大量に溢れており、それには何の評価も付きません。

こうしている内にも、生成AIは、画像のキャラクターを喋らせたり、完全な動画を作成できる様になる等、凄まじい勢いで進化をし続けています。

しかしどんなにAI技術が進化をしても、それを使う自分の心に、唯一無二の表現をしたい物がなければ、結局他の誰もが生成をしている程度の物しか、生成する事が出来ないのです。

結局は、それを使う人間側の、イマジネーションにかかっているのです。
それは自分も最初から言っていた分かっていた事ではあるのですが、自分はそのイマジネーションに、自分の限界を感じ始めているのです。
結局自分は、クリエイターになれる程のイマジネーションは、持ち合わせていなかったのかも知れません。

本当にもう、AI生成をやめようと思ったのですが、自分はまだ、自分の中のイマジネーションを、表現しきれていないのとの思いから、もう少し挑戦をしてみようと思い直しました。

自分の少女への萌え心は、こんな程度の物ではないはずなのです。
自分はもっと、少女の魅力を表現できるはずなのです。

自分は第297回の投稿で、子供の時に「サルカニ合戦」のうんち役を立候補した話をしているのですが、自分は別に他人の為に自分を犠牲にしたという事を言いたくて話した訳ではない事を、きちんと言っておきたいのです。
自分は誰も成りてのいない役ならば、確実に役を勝ち取れると思ったから、立候補をしたのです。自分はいわば、手段を択ばずに勝ちにいったのです。

それなのに自分は、AI画像生成で、今まで手段を選ぼうとしていました。
世間に白い目で見られるのを気にして、エロ画像には、手を出すまいとしていたのです。

もちろんエロ画像を生成すれば、売れる様な甘い世界ではない事はわかっているつもりです。決してエロ画像の事を甘く見ているつもりはありません。ですが自分は、世間の目を気にして躊躇をする位なら、世間的に見下されようと、自分が勝負に勝てる可能性のある手段を選びたいと思うのです。
子供の頃に、サルカニ合戦で、うんち役を立候補した時のように。

自分は少女のエロ画像を否定するつもりはありませんが、少なくとも少女の裸を一番の萌え所だと思っている人達に、少女に対する萌え心で、エロ心で負けたくないのです。

このヒーローは、伝説のギャクアニメ「ボボボーボ・ボーボボ」のソフトンです。
決して、う〇ちではありません。多分ですが。
AIに、上記の画像を修正して貰った所、このような画像になりました。
AIには多分、人種差別の意図はないのです。

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